第16話

 翌日、結菜は俺が起きるよりも早く家を出ていた。

 顔を合わせたくないということだろうか。だとしたら軽くショックだ。

 今まで結菜は俺にすり寄ってきていた。その結菜に嫌われたかと思うと、途端に憂鬱な気持ちになる。

 朝食もほとんど口に付かず、俺は家を出て登校した。

 こういう時、クラスが違うというのは辛いところだ。家でも避けられ、学校でも避けられるとなると話をする機会は永遠にやってこない。


「おう、穂高。どうしたんだ、顔が死んでるぞ」

 

 一輝が俺の顔を見て、目を丸くする。

 

「ちょっと色々あってな。同居の妹を怒らせてしまって」

「それは災難だったな。まあ女はすぐ怒るからな」

「いや、今回は完全に俺が悪いからな」

「どれ、話してみろよ」


 そう言われたので、俺は一輝に事の経緯を話した。勿論、体の関係になったのが班目だということは伏せたが、概ね事実を語った。

 結菜との関係はぼかしたが、一輝は顔をしかめて不快感をあらわにした。


「それはお前、妹が悪いだろ」

「そうか?」

「だってお前が誰と体の関係になろうが自由なわけじゃん。彼女でもあるまいし。だったらそれで怒るのは筋違いってもんだ」


 言われてみれば確かにそうだ。結菜はなぜあんなにも怒ったのだろう。体の関係になるのは自分だけがよかったという独占欲から来る怒りだったのだろうか。だが、俺はあの時、やらかしたと思った。もっと上手い言い訳があっただろうに。俺の態度が拙かったのもあるのかもしれない。


「あんまり気にする必要はないんじゃないか」

「そうはいかないさ。俺たちは家族になったんだ。家族とそう気まずい時間を過ごすわけにはいかないだろ」

「家族だったら、自然に仲直りできると思うぞ。家族ってのはそういうもんだ」


 確かに放置しても問題ない気はする。明日になったら結菜はけろっとした顔をして話し掛けてくるかもしれない。だが、俺はこのまま放置するのが嫌だった。

 放課後になったら結菜と話をしよう。選挙戦の打ち合わせで顔を合わせることになっている。そこで、結菜にちゃんと謝ろう。



結菜視点


 どうして私はあんなに怒ってしまったんだろう。そんなことはわかっている。穂高を顔の知らない誰かに取られたと思ってしまったからだ。

 穂高が家に帰ってこないことは珍しいことだった。一緒に暮らし始めてまだ数日だけど、初めてのことで私は気になってしまった。最近、班目さんと連絡先を交換したり、女子の間でひそかに注目を集めているのを知っていたから、私は不安に駆られた。生徒会長選に立候補したことで、女子たちは穂高に注目してしまった。学年一位の安城穂高という人間を認識してしまったのだ。そんな人間が私とペアを組んでいる。モテている男に好意を抱くのは女子の習性だ。穂高を見る目が変わったのだろう。

 だから、もしかしたら誰かに誘惑されているんじゃないかって思った。

 家に帰ってきた穂高に、女の子の匂いがするとカマをかけてみた。その反応だけで十分だった。穂高は明らかに動揺したし、それだけで誰かと寝てきたんだとわかった。

 感情が抑えられずに、穂高に怒鳴ってしまった。あれは私が悪い。家だったのに。ママに聞かれるかもしれない状況で、あんな大胆なこと、言うべきじゃなかった。

 それでも自分の感情が抑えられなかった。

 一晩寝ても穂高とどう顔を合わせたらいいかわからず、早めに家を出てきてしまった。

 学校に着くなり、美奈にあった出来事を相談した。


「それは気が気じゃないね。そっか、安城くんが他の子とね」

「私は兄妹だから抱いてもらえないのにずるいよ」

「それは仕方ないよ。兄妹だからこそ普段の距離は近いわけじゃない。いいところもあれば悪いところもあるってことだね」


 それは美奈の言う通りだ。少なくとも、兄妹になったから、普段誘惑することもできるし、穂高の一面を知ることができる。

 セフレだった頃は、穂高は自分のことは話さないし、私のことを知ろうともしなかった。でも兄妹になってから、少しは私のことを知ろうとしてくれているような気がする。


「でも、やっぱりきつい。もしその子のこと好きとかだったら」

「それはあるよね。でも付き合ったんだとしたら、そんな早く体の関係になるかな」


 確かにそれはあるかも。穂高はすぐに体の関係になることも厭わないだろうけど、普通の女の子はすぐに体を重ねることを嫌がるはずだ。だとしたら今回もまたセフレなのだろうか。だとしたらまだ私にもチャンスはあるのかも。


「とにかく安城くんが誰かと付き合ったのか、それを確かめるのが先だね」

「うん、穂高と話し合ってみる」


 いつまでも穂高から逃げているわけにはいかない。ちゃんと向き合って、話をするんだ。

 私は放課後の打ち合わせには行くと、穂高にスマホでメッセージを送った。



穂高視点


 放課後、俺は結菜が教室にやってくるのを待っていた。残っている生徒はもう誰もいない。みんな授業が終わると同時に帰宅したり、部活に行ったりしている。放課後の教室は人がいないので、内緒の話をするにはちょうどいい。

 引き戸が開き、結菜が入ってくる。顔は逸らしながらだが、来てくれた。結菜は俺の前に座ると、俺の方を見て言った。


「昨日はごめんなさい」


 深々と頭を下げる結菜を見て、俺は驚く。結菜も謝ろうとしてくれていたんだ。そのことがわかって胸を撫で下ろす。


「俺の方こそごめん。態度悪かった」


 結菜に倣って、俺も頭を下げる。俺の謝罪を受けた結菜はくすっと笑うと、俺の頭に手を置いた。


「許す」


 結菜のお許しが出たことで、俺は頭を上げる。結菜は照れくさそうに微笑むと、視線を泳がせた。


「それで、さ。穂高は誰かと付き合ってるの?」


 結菜が視線を泳がせながら、俺にそう訊ねてくる。薄々そうじゃないかと思っていたが、見事に勘違いされていた。


「いいや、誰とも付き合ってない」


 俺のその言葉に結菜はわかりやすく安堵する。

 

「じゃあ、セフレってこと?」

「セフレでもない」

「じゃあワンナイト?」

「でもないな」

「んん? どういうこと」

「ちゃんと説明するから聞いてくれ」


 俺は結菜に事の経緯を話した。相手が誰かは伏せたが、できるだけ詳細に話した。練習に付き合ってほしいと頼まれたこと。そいつの家に行ってアドバイスしながらしてもらったこと。自分でそういうことを言うのは恥ずかしかったが、羞恥心を殺して説明した。

 結菜は俺の説明を黙って最後まで聞いていた。俺が説明を終えると、ふーっと息を一つ吐き、吹き出した。


「なにそれ。めちゃくちゃお人好しじゃん」

「自分でもそう思う」

「じゃあこれからもその子の練習に付き合うんだ」

「まあ乗りかかった船だしな」


 実際、昨日も班目からお礼のメッセージと、これからも練習させてくれという旨のメッセージが届いていた。

 

「ふーん、なんだ。じゃあその子と寝たわけじゃないんだ」

「そうなる」

「それならそうとさっさと言ってくれれば良かったのに」


 机に突っ伏しながら、結菜が笑う。

 どうやら、練習に付き合うことに関してはなんとも思わないらしい。

 俺はほっと胸を撫で下ろす。


「俺も結菜がそこまで怒ると思ってなかった。俺たちは所詮体の関係だったわけだし」


 そう言うと結菜はぱっと頭を上げ、ぷーっと頬を膨らませる。


「そうだけど、そうじゃない。私は今でも体の関係続けたいのに生殺しなんだよ。私は穂高がいいのに、穂高が別の子と寝たってなったら腹立つじゃん」

「そんなに俺とやりたいのか、お前」

「うん、やりたい。穂高じゃなきゃ嫌だ」


 その結菜の真っすぐな瞳に、俺は赤面して顔を背ける。


「俺だってできるものならやりたいよ。でも俺たちはもう家族なんだ。そういう関係になるわけにはいかないだろ」


 俺の説得にどこか納得いかないように結菜がジト目で俺を見てくる。


「じゃあさ、いっそのこと付き合っちゃうってのはどう? 彼氏彼女の関係ならそういう関係になっても不思議じゃないでしょ」


 突然の提案に俺は目を丸くする。


「付き合うって、お前、俺のこと好きなのか?」

「そういうわけじゃないけど……でも、穂高となら上手くやれる気がするんだよね。ほら、セフレの時だって上手くやってたわけだし」


 結菜は僅かに頬を染めながら視線を泳がせてそう言う。


「まあなくはないが、無理かな。俺はやっぱり誰かと付き合う気はないし」

「……そっか」


 少しだけ、結菜が悲しそうな目をしたような気がした。

 結菜は手をぱんっと打ち鳴らすと、笑顔で言う。


「冗談だよ。何? 本気にしちゃった?」

「お前な、そういう冗談は洒落にならんぞ」

「ごめんごめん。でも、ちょっといいなって思ったでしょ」

「まあ悪くはないかなとは思ったが」


 結菜はひとしきり笑うと、俺の肩をぽんっと叩いた。


「まあ、これからも兄妹として仲良くやっていこ」

「ああ、そうだな」


 とにかく俺は安堵していた。結菜と仲直りできて、よかった。昨日の時点ではしばらく口をきいてくれないかもと考えていたし、実際、今朝は顔を合わせてくれなかった。でも結菜も謝ろうとしてくれていたし、お互い様だったのだろう。


「それじゃ、選挙の打ち合わせしよっか」


 結菜がそう言って昨日の話は幕を閉じる。

 頭を選挙に切り替え、俺は思考を巡らせる。


「明後日が討論会だ。わかってると思うが」

「そうだね。人前で話すのなんだか緊張するなあ」

「まあこればっかりは場数だからな。経験のない俺たちが不利なのはしかたない」


 とは言ったものの、俺はあまり心配していなかった。結菜は物怖じしない性格だし、人前でも自分の考えを堂々と話せる素質がある。そこへの信頼は揺るぎない。

 俺は討論会で発表する公約が書かれた紙を結菜に手渡しながら、確認する。


「俺たちの公約は制服のデザイン変更と勉強会、自由恋愛ってのを付けたした」

「相手の恋愛禁止に対するやつだね」

「そうだな。自由恋愛を売りに楽しい学校づくりを目指すというのがコンセプトだ。結菜が会長なら楽しい学校になるだろうなってイメージを植え付ける」

「その辺のイメージ作りは任せてよ」


 そう言って結菜はウインクする。

 それから俺たちは打ち合わせを続け、討論会の準備を万全にするのだった。


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