第8話

 翌日の昼休み。俺は放送部の番組に出演する結菜の付き添いで放送室まで来ていた。結菜は放送ブースの中で放送部部長と向かい合って座っている。俺はその外の音響を操作する機材のある部屋で様子を見守っている。

 結菜は緊張しているのか、表情がやや硬い。肩に力が入っており、台本を凝視している。そうこうしているうちに、放送開始の時間になる。イントロが流れ、放送部部長が先陣を切って挨拶する。


「みなさんこんにちは。ランチタイムのラジオです。今日も盛り上がっていきましょう。今日から新しいパーソナリティが増えましたので紹介します。和泉結菜さんです!」


 放送部部長が合図を送り、結菜が緊張した面持ちで第一声を発する。


「み、みなさんこんにちは。今日からパーソナリティを務めさせていただきます、和泉結菜です。ゆいにゃんって呼んでください」


 明るく語り掛けるような口調で台本を読み上げる結菜。ゆいにゃんって呼び名も、恐らく放送部部長が考えたのだろう。結菜をこの番組のマスコットにするつもりだ。


「というわけで早速今日もお悩み相談やっていきましょう。せっかくなので、ゆいにゃんに答えてもらおうかな」


 お悩み相談コーナーは放送部が公式で募集している投書箱に寄せられたお悩み相談をもとに行っているらしい。だが、実際に毎日コーナーを維持するだけのお悩みが集まっているとは考えにくい。俺の予想だが、放送部員が考えたものも混じっているのだろう。


「それでは一通目。私には好きな人がいるのですが、付き合いが長い分、異性として見られているか自信がありません。相手に異性として意識してもらうにはどうしたらいいでしょうか。ということで恋のお悩みですね。ゆいにゃん、どうすればいいと思いますか?」


 部長からのパスに結菜が緊張した面持ちで頭を捻る。このお悩み相談は事前の打ち合わせではランダムに読み上げることを聞いている。つまり回答はアドリブで、即興で考えなくてはならない。経験のない結菜にいきなり生放送を任せるのは正直不安だったが、結菜がかまわないというのでオーケーした。

 逡巡した結菜はすぐさまマイクに口を近づけると回答を口にする。


「質問者さんが男の子か女の子かによって変わるね。男の子だったらお化け屋敷とか行って頼りになるところを見せるとかいいかもね。女の子だったらお弁当とか作ってあげるのがいいかも。男を口説き落とすには胃袋を掴めって言うじゃない?」


 淀みなく答えた結菜に俺は舌を巻く。肩に力こそ入っているが、すらすらと回答した様子からは心配する要素はどこにも見当たらない。


「なるほどー、確かに男の私からすれば手料理を振舞われるとぐっときますね。まあ、私には手料理を振舞ってくれる女の子の友達なんていないんですが。誰か募集中です」


 部長がコミカルに場をまとめる。さすがは放送部部長といったところか。


「続いてのお悩み相談行ってみましょう。失恋しました。でもまだ好きです。きっぱりと諦めるべきでしょうか。はい、また恋のお悩みですね。やっぱり高校生のこの多感な時期。恋のお悩みが多いですね。これはどうですか、ゆいにゃん」

「んー、失恋は辛いよね。私も経験あるからわかるなー」

「え? ゆいにゃん好きな人いるの?」

「内緒でーす。失恋したことはあるとだけ」

「気になりますねー。ゆいにゃんぐらい可愛い女の子を振る憎き男の顔が」


 結菜の存在を生徒にアピールするのに、この恋の話題はあまり望ましくない。男子生徒はもしかしたらワンチャンなんて夢を抱いているかもしれないし、アイドル売りするのなら、恋の話題はセンセーショナルだ。だが、結菜は上手く躱していると思う。結菜は失恋を経験している。それは聞いた。そして今の回答なら、結菜は現在フリーであることがわかる。それだけで世の男子生徒たちは夢を見るのだろう。


「それでお悩みの回答ですけど、諦める必要はないんじゃないかなって思うよ。だって好きでいることは自由だし、今は駄目でも未来は可能性あるかもだし。それまで自分を磨いて好きになってもらえばいいんじゃないかな」

「確かに好きな人に振り向いてもらう為に努力するってのはいいですね」

「そうそう。だから諦める必要はないんじゃないかなって。好きな人に振り向いてもらう為に、自分を磨きましょう」

「ありがとうございます。素晴らしい回答でした。いやー、こんなに恋のお悩みが多いと私も恋したくなっちゃいますねー。どうです、ゆいにゃん、私と恋してみませんか」

「ごめんなさい」

「即答!」


 放送部部長ががっくりと肩を落とす。今の、冗談だと思ったんだが、案外本気だったのか。しかし、場は笑いに包まれている。


「次のお悩みいきますか。僕は部活で努力しているのですが、絶対に勝てない相手がいます。どうすれば勝てるようになりますか。難しいお悩みですね。これはどうですかゆいにゃん」

「そうだねー。ひとつ言いたいのは君も努力しているかもしれないけど、相手もきっと凄い努力をしてると思うんだ。だから勝ちたいなら、もっと努力するしかないんじゃないかな」

「そうですね。天才だって努力してるはずですもんね」

「私は頑張る君を応援するよ」

「はい、ゆいにゃんの応援いただきました。これで頑張らない男は男じゃない!」


 部長が結菜の言葉を捉えてうまい具合に盛り上げる。実際、外の反応がわからないのが残念だが、今のところ上手くやれているのではないかと思う。


「それではお悩み相談はこれぐらいにして、リクエストのあった曲を流したいと思います」


 生徒からのリクエストの曲を流し、ひとまずマイクはオフになる。その瞬間、結菜はどっと疲れが出たかのようにその場に突っ伏した。部長が苦笑しながら頬を掻いている。ラジオはリクエスト曲を流す合間にMCが入り後は終わりに向かっていくだけだ。ひとまず山場は越えたと言っていいだろう。肩の力が抜けるのもわかる。


「いやー良かったよ。和泉さん、初めてとは思えないぐらいすらすら喋ってた。活舌もいいし、これからもお願いしたいね」


 音響を担当している放送部員が俺に向かってそう言う。

 実際、結菜は期待通りにパーソナリティーを務めていたと思う。部長との呼吸も合っているし、このまま続けていけそうだ。

 それからラジオは無難に終わり、結菜がブースから出てくる。


「お疲れ」

 

 俺は紙コップに入れた水を差しだす。


「ありがとう」


 結菜は紙コップを受け取ると一息に飲み干した。


「昼食はこの放送室使ってくれていいから。俺たちは学食行ってくるから戸締りだけしといてくれ」


 部長がそう言い、放送部員たちが放送室を出ていく。残されたのは俺と結菜だけだ。二人きりなら、同じ弁当を出しても怪しまれることもない。俺は安堵の息を吐き、弁当の包みを解いた。


「どうだった?」

「良かったんじゃないか。淀みなく話せてたし、緊張はあったが初めてにしては上手くやれてたと思うぞ」

「良かった。穂高が見守ってくれてると思ったら緊張が解けて」

「なら、付いてきた甲斐があったな」


 そう言って二人して弁当をつつく。俺は卵焼きを口に放り込むと、ゆっくりと咀嚼する。結菜がじっと俺の顔を見てくる。


「なんだよ」

「どうかなって。卵焼き」

「美味いけど」

「そっか。良かった」


 安堵したように結菜が息を吐く。わけがわからず俺がクエスチョンマークを浮かべていると、結菜が笑った。


「今日、卵焼きは私が作ったの」


 少し照れくさそうに結菜はそう言った。


「なるほど。それで気になって見てたのか」

「味見はしたんだけどね。だから大丈夫とは思ったんだけど、やっぱり緊張するね。人に食べてもらうの」

「俺は料理なんてしたことないから凄いと思う」

「私だって初めてだったんだから。でも上手くできたみたいで良かった」


 結菜は満足したのか、卵焼きを口へ運んでいく。

 しかし、結菜も手料理をするとは女子らしいところもあるんだな。少し感心してしまった。

 弁当を食べていると、スマホの通知が鳴った。確認すると一輝からで、昨日問い合わせた件で返信をくれたらしい。


「どうしたの。じっとスマホ見て」

「いや、久世、班目ペアの公約を調べて送ってくれって頼んだんだが、もうわかったらしい」


 一輝は野球部のネットワークを使って、久世と班目がどんな公約を掲げる予定かを調べてくれた。野球部の部員に班目と同じクラスの奴がいるらしく、そこから情報提供があったらしい。


「なになに、平均点の底上げ、食堂のメニュー増加、恋愛禁止……」

「恋愛禁止? なにそれ、やばいじゃん」


 これはチャンスかもしれないな。恋愛禁止は嫌がる生徒が多そうだ。放送部のお悩み相談がどれだけ生徒からのお悩みなのかはわからないが、恋愛の話題が多いということは、それだけ恋愛に興味を抱いている生徒が多いからだろうし。


「だが、食堂のメニュー増加は魅力的だな」


 現に生徒の過半数は食堂に頼っている。しかもうちの食堂はメニューが少ないことで有名だ。そこを改善するというのは大きなメリットだろう。狙うべきは恋愛がしたいと思っている生徒だな。昼間の放送で恋愛の悩みについて回答している結菜が支持されるだろう。問題は恋愛に興味のない生真面目な生徒たちだ。彼らは間違いなく、久世、班目ペアを支持する。この学校のレベルを上げたいと思っている層は基本的に久世、班目ペアに票を入れるだろう。結菜の公約でも勉強会を開くことで平均点の底上げを狙っているが、成績優秀の久世たちに比べれば説得力が足りない。

 やはり、結菜は恋愛禁止を阻止する意味で戦っていくほうがいいだろう。


「方針は決まったな」

「私、負けられない理由が増えたし。恋愛禁止なんてひどい法律。絶対に阻止しないと」


 結菜が燃えている。やる気を出すのはいいことだ。正直、俺個人としては恋愛禁止でも別に構わないと思っている。学生の間で体の関係を持ったりして、妊娠しましたでは洒落にならないし。まあ、セフレを作っていた俺が言うなという話だが。


「とにかく、負けられないね」


 やる気を出す結菜の横で、俺は更なる策を一輝に送るのだった。


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