第5話

 夜が明けて、新学期が始まる。朝目覚めると由仁さんが朝食の用意をしてくれている。炊き立てのご飯に味噌汁、納豆だ。父さんと二人暮らしの時は朝食はパンで済ませていたから、こういうちゃんとした朝食は新鮮だ。既に制服姿の結菜が椅子に座って朝食を食べている。俺はパジャマ姿のまま、テーブルに着いた。


「朝弱いんだね」


 結菜はそう言うと得意げに微笑んだ。


「そういうお結菜さんは朝強いんだね」

「私はほら、だらしないところ見せたくないしね」


 一緒に暮らし始めて初めて知ったことだが、結菜は割としっかりしている。引っ越してきた日のうちに部屋は綺麗に片付けていたし、こうして朝も早起きして身だしなみを整えている。朝にだらしない俺とは雲泥の差だ。


「今日から二人とも学校ね。お弁当作っておいたから持っていきなさいね」


 由仁さんがそう言ってテーブルの上に青い包みとピンクの包みを置いた。父さんは既に仕事に出掛けたらしく、家にはいない。由仁さんはパートの仕事があるが、朝はゆっくりなので時間があるのだろう。女親がひとり増えるだけで生活が劇的に変わるな。今までお弁当なんて作ってもらったことがないし、俺も作ったことがない。昼食はいつも学食で済ませていた。それが由仁さんが来た途端これだ。大きく変わった生活スタイルに慣れるにはまだ時間がかかるだろう。


「ごちそうさま。それじゃ、私は先いくね」


 そう言って結菜はそそくさとリビングを出て行った。兄妹になったとはいえ、学校に登校するタイミングはずらそうと打ち合わせは済んでいる。学校で余計な詮索をされない為だ。結菜は気にしないと言ったが、俺はやはり気になる。幸い、俺と結菜の生活スタイルは違うし、時間が被ることもないだろう。

 それから俺はゆっくりと朝食を食べ、顔を洗って制服に着替える。結菜が家を出てからニ十分後に俺も家を出た。学校はそんなに離れているわけじゃない。俺は高校を受験する時に、最寄りの高校を選んだからだ。最寄りの高校がたまたま俺の学力から見てちょうどいいレベルだったので受験を決めた。だから、比較的俺は遅くまで寝ていられる。俺は徒歩で学校へと向かう。

 学校の門を潜り、教室へと歩みを進める。結菜とはクラスが違うので、学校で会うことはそうそうない。実際にセフレだった頃も、学校で接点を持つことはなかった。あくまで学校の外での関係だった。


「おう、穂高。久しぶりだな」


 そう声を掛けてきたのは前の席に座る幼馴染、ほり一輝いっきだ。眼鏡をかけた俺の幼馴染は日焼けしており、運動部らしい色をしていた。一輝は野球部で、キャッチャーを務めている。俺よりも頭が切れる頭脳派だ。


「久しぶり。夏の大会残強だったね」

「三回戦までは行ったんだけどな」

「甲子園までは遠いね」


 一輝の太い腕は練習の過酷さを物語っている。それだけ練習しても甲子園には届かないのだから野球は難しい。


「お前は? 夏休みなんかあった?」


 そう聞かれ、俺は思案する。結菜のことを一輝には話しておくべきか。幼馴染というだけあって、家は近所だ。小学生の頃からの付き合いだし、口は堅い。信頼もある。話さなくても家が近所なのでいずれ嗅ぎつけるだろうし。俺は逡巡した後、口を開く。


「実は父親が再婚してな。再婚相手に連れ子がいて一緒に暮らすことになったんだ」

「なんだそのおもしろい展開は」

「おもしろくない。こっちはめちゃくちゃ気使うっての。相手は同い年の女子だぞ」

「なんだそれ。めちゃくちゃ羨ましいじゃねえか」


 一輝は苦虫を嚙み潰したような顔をして俺を見る。


「一輝だって野球部なんだからそれなりにモテるだろ」


 俺がそう言うと一輝は大きく溜め息を吐くと、いやいやと手を振った。


「あのな。野球でモテるのはピッチャーだよ。俺はキャッチャー。一番モテないポジションだ」


 確かにキャッチャーはピッチャーと違って活躍があまりクローズアップされない。マスクも被ってるし顔がよく見えないのもあるかもしれない。黒子に徹するのがキャッチャーだもんな。


「それで、その女子といい感じになったとかならぶっ飛ばすぞ」

「なるわけないだろ」


 俺は冷や汗を流しながら弁明する。いい感じどころかセフレだったとは死んでも言えないな。そもそも一輝も結菜狙いだった男子の一人だ。俺と結菜が出会った合コンを組んだのは一輝だし、俺と結菜が先に帰ったのも把握してる。あの後、結菜との関係を散々突っ込まれた覚えがある。体の関係を持ったとも言えず、早く帰りたかったから協力しただけだと言い訳したはずだ。これは相手が結菜だというのは黙っておいた方が良さそうだ。


「兄妹なんだからそんな関係になるわけないだろ」

「それもそうか。だが、女子と一つ屋根の下とか。羨ましすぎるぞお前」

「父さんに言ってくれ」

「わかったよ。まあ黙っておけばいいんだな」

「話が早くて助かるよ」


 こういう頭の回転の速さは、流石キャッチャーだと思う。一輝と話し終えると、ちょうどチャイムが鳴る。しばらくすると担任の女の教師が入ってきて、朝のホームルームが始まる。


「今日から二学期だ。さっそくだが、もうすぐ生徒会選挙がある。立候補する生徒は私まで言いに来るように」


 生徒会選挙か。前期は三年生が会長を務めていたが後期は二年生以下が会長を務めることになるんだよな。まあどちらにせよ、俺には関係ないことだ。生徒会なんかに立候補して目立ちたくはないし、俺は平穏に過ごしたいのだ。

 ホームルームが終わると授業が始まる。それから一日は特に何事もなく平穏に終わった。


 帰宅部の俺は授業が終わると真っすぐ家に帰宅する。玄関を開けると、既に結菜の靴があった。結菜も俺と同じで帰宅部だから、帰るのも早い。由仁さんはパートに出掛けているようだ。俺は階段を上がり自分の部屋へ。部屋のエアコンのスイッチを入れると、制服を脱ぎ捨てる。


「穂高、帰った?」


 いきなり部屋のドアが開き、結菜が入ってくる。


「お前、ノックしろよ。着替え中だっての!」

「久しぶりに見る穂高の体。眼福」

「ドア閉めろっての」


 俺は慌ててズボンを履きながら結菜にまくし立てる。結菜は出て行く様子はなく、そのまま部屋に居座った。無事に部屋着に着替え終えた俺は溜め息を吐くと、結菜に向き直る。


「で? 何の用だよ」


 俺がそう聞くと結菜は目を泳がせた。


「いやー、ちょっとお兄ちゃんにお願いがあってさ」

「お兄ちゃん言うな」

「喜ぶと思って」

「喜ばんわ」


 結菜は何か言いにくいことがあるのか、なかなか本題を切り出さず、冗談で誤魔化している。


「さっさと言わないと聞かないぞ」

「あーごめんごめん。言うから」


 そう言うと結菜は芝居がかった咳払いを一つ挟み、本題を切り出す。


「生徒会選挙あるじゃないですか。実はあれに出ることになって」

「お前が? 何で?」


 とても優等生とは言えない結菜が出るのは寝耳に水だった。これまでの生徒会長はみんな成績優秀な生徒が務めている。毎回赤点を取っている結菜が立候補したところで会長になれるとは思えないが。


「立候補っていうか他薦で。クラスの子たちめっちゃ期待してて。満場一致で私が推薦されたの」

「お前ってそんなに目立ってるの?」

「まあ、男女ともにそれなりに人気があるのは自覚してる」


 確かに結菜はアイドルよりも可愛いし、男子に人気がるのはわかる。だが、女子にも人気があるというのは少し意外だった。こういう美少女は妬みの対象になるのが世の常だと思っていたからだ。だが、結菜は持ち前のコミュ力で、良好な関係を築いているのだろう。


「それで、俺に何をしてほしいんだ」

「選挙手伝ってほしいの。ほら、優等生の穂高の力を貸してほしいというか」


 結菜はおねだりするように胸の前で手のひらを合わせた。その姿勢をされると胸に視線が行ってきまずいんだが。


「えー嫌だよ。俺生徒会とか関わりたくない」

「お願い! もし生徒会長になったら知らない人を副会長にしたくないし」

「副会長ってどういうことだ?」

「ほら、うちの生徒会長選挙って会長と副会長ペアで立候補することになってるじゃない。だから副会長候補になってほしいなーと思いまして」

「絶対、嫌だよ。なんで俺がそんな目立つことしなきゃいけないんだよ」


 そもそも結菜とペアで生徒会長選挙に出るなんて絶対に勘繰られる。学校では接点のない俺たちがいきなりペアになったりしたら、不自然だ。


「じゃあセフレだったことみんなにバラすよ?」

「……脅すのか、お前」


 それだけは駄目だ。誰にバラすつもりなのかしれないが、クラスメイトだとしたら俺は男子生徒から殺意のこもった視線で見られることになるだろうし、両親にバラされたら俺はこの家で生きていけない。特に由仁さんに合わせる顔がない。


「それだけ私も本気ってこと」

「バラしたらお前だってノーダメージじゃすまないだろ!」

「私は気にしないし」

「だいたい証拠がない」

「私、みんなから信頼あるの。私が言う事ならみんな信じると思うよ。それに証拠ならあるし」

 

 そう言うと結菜はスマホを取り出すと操作し始める。それから俺に画面を見せてくる。その画面を見た瞬間、俺は顔面蒼白になる。


「なんで俺の寝顔……!?」

「一緒にしたときに撮った」


 この寝顔はまずい。上半身が裸で写っている。こんなものを見せびらかされたら俺の学校生活は終わる。


「……わかった。立候補する」

「ありがと。頼りにしてるよ、穂高」


 そう言うと結菜ウインクしてくる。


「てか、お前が生徒会長とか終わってるだろ」

「なんで?」

「不純異性交遊してたお前が生徒会長はやばいよなって思っただけだ」


 それを言ったら俺も人のことは言えないが。俺も結菜と体の関係だったのだ。生徒会長候補と副会長候補が揃って不純異性交遊をしているってのはどうなんだ。


「アイドルには秘密があるもんよ」


 そう言って結菜は一笑に付すと、部屋を出て行った。二学期初日。とんでもないことになった。目立つのが嫌な俺が生徒会か。わざと負けるように誘導したら結菜は怒るだろうか。俺は突如降って湧いた問題に頭を抱えるのだった。


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