第2話

 季節は夏。八月末。間もなく二学期がスタートする。俺と結菜はクラスは違うが同じ学校に通っている。高校在学中の親の再婚ということで、結菜は苗字を和泉のままで学校に通うことにするそうだ。となると、俺たちが兄妹になったという話も別に他人に言いふらすようなことでもない。幸い、学校で俺と結菜とは接点がほとんどないし、その点は安心だろう。


「あのー穂高くん、ちょっといい」


 リビングで朝食を摂っていると、結菜が顔を出した。母親の手前、君付けで俺を呼んだ結菜にどこか新鮮みを感じながら、俺は何だと問い返す。


「私たち同じ学校じゃないですか。それで、その……宿題を手伝ってもらえないかなと思いまして」


 どうやら結菜は夏休み最終日まで宿題を溜めこむ性格のようだ。俺は由仁さんの手前、断るわけにもいかず、了承する。朝食を終えた俺は結菜の部屋にお邪魔する。

 たった一晩で女の子らしい部屋に様変わりしていた。窓にはピンクのカーテンが備え付けられ、ベッドのシーツもピンク色だった。なんとなく一緒に通っていたラブホを思い出してしまうが、俺は咳払いを一つ挟むと、結菜の対面に座る。


「穂高って確か頭良かったよね。私成績やばいからこれからも勉強教えてね」

「少しは自分で努力しろ。俺だって暇じゃないんだからな」

「はーい。でもさ、穂高と兄妹になって、頼もしくはあるよね。おにいちゃん、欲しかったんだ」


 結菜はそう言うと目を細めて俺を見る。兄弟と言っても同い年だ。別に兄として振舞うつもりもない。


「そんなことより、宿題やるぞ」

 

 俺がそう言うと、結菜は国語のノートを開いた。見事に白紙で、問題集は空白のままだった。俺は溜め息を吐きながら、結菜に問題集を解かせる。結菜から質問が飛んでくるまでは俺は持ってきた文庫本を開いて目を通していた。始めてすぐに結菜から質問が飛んでくる。


「作者の意図を答えよって言われてもわかりません」

「こういうのは文章をちゃんと読んだら答えが書いてあるものなんだよ」


 俺は結菜に説明しながら身を乗り出す。文章問題だから逆からだと読みにくい。俺は結菜の隣に移動しながら、結菜にヒントを出す。結菜は頭を捻っていたが、やがて答えを導きだしたのか、問題集に書き込み始める。結菜とはセフレだった頃、お互いのことはそんなに話さなかった気がする。割り切った関係だったし、ラブホ代も割り勘だった。まあ、ほとんど結菜の家でやっていたのだが、由仁さんが家にいた時はラブホを利用したのだ。高校生だとラブホは追い出されると聞いたことがあるがそんなことはなかった。ラブホに行くときは私服で行ったし、特に身分確認もされなかったし。

 とにかく、俺は結菜のことに関してそんなに知っている方ではない。結菜が恋をしていて失恋したことぐらいしか俺は知らないのだ。

 だが、せっかく家族になったのだ。少しはお互いのことについて話し合ってもいいかもしれない。


「なあ、結菜って勉強苦手なのか」

「そだよー。勉強は苦手。毎回赤点何個か取ってる」

「よくうちの高校入れたな」


 俺たちの通っている高校はそれなりに偏差値が高い。勉強が苦手な生徒が通えるような学校ではない。


「中学までは優等生だったからね。でも、勉強嫌いになったんだ。それから勉強はほとんどしてない」


 中学までは優等生だったという言葉を信じるなら、結菜は勉強が苦手というよりは嫌いなのだろう。その嫌いになった理由も何かあるのだろうか。だが、あまり詮索するのは良くない気がして口を噤む。


「思えば私たちってお互いのこと話したことないね。私が穂高のことで知ってるのは童貞だったことと優しいってことぐらいかな」

「今はもう童貞じゃねえよ」

「私で卒業したもんね」

「それ言うならお前だって処女だったじゃん」

「処女は別に恥ずかしいことじゃないし」


 納得いかない。童貞も処女も初体験という意味じゃ同じじゃないのか。


「例えば、城を攻め落としたことのない武将と攻め込まれたことのない城だったらどっちに価値があると思う?」

「そりゃ攻め込まれたことのない城だろ」

「それが童貞と処女の違い。わかった?」

「確かにそう言われるとそんな気がしてくる」


 こういう例え話がすぐに出てくるあたり、やはり結菜は頭の回転自体は悪くはないのだろう。


「あとはそうだなー、穂高がおっぱい好きだってことぐらいかな。私が知ってるのは」


 結菜の発言に思わず咽る。確かに俺はおっぱいが好きで巨乳がなによりも好きだが、まさか結菜にばれてるとは。


「なんで知ってるんだよ」

「そりゃ私のおっぱいにむしゃぶりついてくるの見てたらわかるよ」


 結菜は巨乳だ。自称Hカップの爆乳。それでいて太っていないのだから女子からしたら理想の体型なんじゃないか。


「それにしても、お前が失恋したなんて今思えば信じられないな」

「なんで?」

「いや、言っちゃ悪いがお前って男好きのする身体じゃん。だからたいていの男は体目当てでオーケーすると思ったんだが」

「本当に言っちゃ悪い発言ね。私の好きだった人は体目当てじゃなかったからね」

 

 果たしてこの身体を前にして欲望に抗える男がこの世にいるのだろうか。隣で座っているだけでも意識してしまう肢体だ。こんな女子に迫られたら男子は皆一様に食いついてしまうだろう。この誘惑を跳ねのけた男子がいるってことが俺には信じられない。


「てか、さっきからずっとおっぱい見てるね。する?」

「しない」

「いいじゃん。ラブホ行ってすれば。バレないよ」

「ダメだって。万が一があるだろ。俺たちはもう家族なんだ。そういうことはするべきじゃない。てか、お前何でそんな誘惑してくるんだよ」

「だって私は穂高としたいもん」


 平然と言ってのける結菜に俺は頭を抱える。どうやら親にバレたくないのは俺だけで、結菜は今まで通りの関係を望んでいるようだ。この誘惑に耐えなきゃいけないって地獄では。今気付いたが、結菜の服装がかなりの軽装で、胸の谷間がはっきりと見えてしまう。無意識に視線を送っていたのが結菜にバレており、俺はいまいち強く言い含めることができない。


「てか、宿題しろ」


 結菜の頭にチョップをし、「あいた」と顔をしかめた結菜にシャーペンを握らせる。結菜は問題集に向かうと、ふと横目で俺を見た。


「ねえ、ご褒美が欲しい」

「ご褒美だ?」

「うん。宿題頑張るからデートして」


 デート。今まで結菜とデートなんてしたことはない。割り切った関係だったからそんな甘い恋愛ごとは縁がなかった。というか、俺は女子とデートしたことすらない。デートよりもセックスの経験を先にしてしまったのは予想外だったが、ここらで一つデートというのを経験しておくのも悪くはないかもしれない。


「わかった」

「やった!」


 結菜は目を輝かせると、集中して宿題に取り組み始めた。そこから先の結菜の集中力は凄かった。わからないところが出てくると俺に質問し、すらすらと問題集を解いていく。ご褒美が効果覿面だったのか、結菜は溜まっていた宿題を三時間で片付けた。


「よし、終わり!」


 問題集を閉じて、一息吐く結菜を見て、俺は苦笑する。


「お前、本当は勉強できるんじゃないのか?」


 そう言うと結菜は渋面を作り、首を横に振った。


「勉強なんて大嫌い」


 とにかく宿題は片付いた。約束通りデートをしなければならない。


「明日でいいか。夏休み最終日だし、どこ行く?」

「ラブホテルに決まってるじゃん!」

「却下」

「ええーっ!」


 どれだけ性欲に塗れているんだこいつは。ひょっとすると男よりも性欲に飢えているんじゃないだろうな。俺は頭を掻きながら、結菜に提案する。


「無難に映画とかどうだ」

「ラブホじゃないならなんでもいい」

「お前は盛りの付いた男か」


 肯定も否定もされなかったので、とりあえず映画に行くことにした。チケットは当日でも取れるだろう。そう思ったが、こういうのは事前にチケットを抑えておく方がいいのだろうか。そう考えた俺は映画館の公式サイトを開きながら、結菜にスマホを見せる。


「何見る?」

「洋画が見たい」

「へえ。意外だな。お前洋画なんて見るのか」

「洋画ってほら、大人のシーンあるじゃん。エロいやつ。あれが見たい」

「どんだけお前の頭の中はエロで埋め尽くされてるんだよ」


 確かにあるけど。濃厚な絡みシーンがあるけどさ。ちょっと気まずくなるやつね。まさか女子と映画を見てそういうシーンを見ても気まずくならずに済む相手がいるなんて思わなかった。


「洋画ならこれか。……チケット抑えといたぞ」

「ありがと」


 しかしデートか。結菜は中身はおっさんだが、見てくれだけは美少女だ。美少女とデートするのは流石に緊張する。というか、服ないな。せっかくだし、服を買いに行くか。そう考えた俺は家を出ようと財布を手に取り階段を下りる。


「どこ行くの」


 目ざとく結菜が声を掛けてくる。

 

「ちょっと服を買いに」

「なにそれ、おもしろそう。私も行く」


 結菜はそう言うと部屋に引っ込んだ。そこから十五分待ってようやく結菜が出てくる。どうやらメイクをしていたようで、一気に垢ぬけて大人っぽくなっていた。私服も軽装で、パンツの先から伸びる生足が蠱惑的に俺を誘っていた。


「あら、どこ行くの」


 由仁さんがおめかしした結菜を見つけ、そう聞いてくる。


「穂高くんが服選んでほしいっていうから」


 言ってない。だが、俺が選ぶよりも確かに服のセンスはいいだろう。ここは任せてみるか。


「そう、穂高くん。結菜をお願いね」

「わかりました」


 一緒に出掛けるなんてところを親に見られるとまずいと思ったが、由仁さんは気にした様子はない。むしろ上手くやってくれてありがたいというような顔をしていた。


「それじゃ行こっか、穂高くん」

「ああ」


 俺たちは二人して家を出る。というかこれはまるでデートでは。デートの服を買いに行く為にデートをするのは本末転倒なような気もするが、結菜が楽しそうだからいいか。俺は苦笑しながら結菜の隣を歩くのだった。

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