第8話 兄のお墓

 蒼依と半分こしたざるそばと伊勢うどんを食べ終え、死ぬ前に行っておきたかった場所に向かって歩き出す。途中、道端にとても綺麗で小さな一輪の秋桜コスモスが道路の割れ目に咲いていたのが印象に残った。

 広く誰も通っていない坂道を上り見えてきた墓地。そろそろ持つのが億劫おっくうになってきたお菓子やジュースを入れた袋ともおさばらだな。

 短く急な坂を登り、小屋で水桶みずおけに水を汲み、中に柄杓ひしゃくを突っ突っ込んだ。祖母の家にある急な階段と同じで一段が高く縦幅が短い石造りの階段を五段ほど上り、背の高い墓石はかいしの中に隠されるようにして建っている小さな墓石の前に歩みを寄せる。

 お盆のときに来たのが最後。その後は誰も来ていないようで菊やヒサカキの花は枯れ、造花の鬼灯ホオズキでさえも色あせていた。

 生ける花もないが、この枯れた花たちを挿しておくのも悪い気がして、今どき珍しい焼却炉しょうきゃくろの中へと放り込んだ。

 墓石の前へと戻ろうときびすを返すと蒼依がジッと口を半開きにして、会ったことない兄が眠る小さな墓石を見ていた。

「兄さんなんだって」

 蒼依の隣にしゃがみ、コンビニで買ってきたジュース三本と色んなお菓子を小さな供物台に供えていく。

「お兄さん?」

「そう」

 外柵がいさくに腰かけ、蒼依にも座るよう促す。控えめに腰をかけた蒼依にぶどうジュースを一本渡し、自分も同じぶどうを手にした。兄の分のぶどうジュースのキャップを開けて供物台に戻す。

「お兄さんいたの?」

「いたらしいよ。会ったことないけど」

 ぬるくなってしまったぶどうジュースを手のひらで転がし、雲ひとつない青空を見上げる。

 写真でしか知らない兄。声も仕草も何もかも僕は知らない。

 享年十歳という若さでこの世を去った兄は何もかも完璧だったらしい。勉強も運動も全てにおいて劣る所はなく、人柄もよかったとのこと。

 兄さんが死んだ理由は白血病だった。

 白血病を治すには骨髄移植が必要で、両親は直ぐに適合者かどうか調べたが適合せず、両親はどうにかして兄を助けるため死に物狂いで調べ、兄弟間の骨髄移植について知った。骨髄移植の適合割合は両親より兄弟のほうが高く、それを知った両親は兄を助けるべく僕をつくった。

 けれど僕が生まれる直前に兄は死に、役目がなくなった僕はただ生かされた。

 毎日のように亡くなった兄と比べられ、兄の生気せいきを奪ったなど訳の分からないことまで言われる日々。

 生まれたくて生まれたわけじゃない。あくまでも兄を助けるためにつくられたのだ。役目がないのなら殺してくれたらよかったのに。

「真生」

「ん?」

 青空を自由に飛び回っている大きな鳥を見ながら返事した。

「お兄さんのこと好きなの?」

「なんで?」

 思ってもみなかった質問に驚きを隠せず蒼依のほうを向いた。蒼依はボーッと虚空こくうを見つめている。

「だって顔も知らないのに最期の日にこうしてジュースとかお菓子とか持って会いに行くなんて好きなのかなって」

 そう言って蒼依は名前も知らない僕の兄が眠っているお墓を見た。

 兄のことが好きなのかは自分でもよく分からない。ただ好きな土地に兄が眠っているだけだ。蒼依の言う通りわざわざ会いに行く必要もお菓子を買い込んで供える必要もない。

 相手は死んでいるのだから話しかけても返されることはない。ましてや兄のせいで僕は虐げられる毎日を送っているのだから好きにはなれない。

「好きじゃないよ」

「じゃあ嫌い?」

 また虚空に視線を移した蒼依がボソリとささやきかけるような小さな声で聞いた。

 好きではない。でも、だからと言って嫌いなわけでもない。両親の口から出てくる兄はいつも完璧そのもので、むしろ弟として誇らしい。だったら好きなのか? いや、それはなんか違う。

「あいだくらいかな」

「ふーん」

 つまらなさそうに空を見ている。

 確かにつまらないよなぁ。

 同じように空を見る。さっき飛んでいた白い翼の大きな鳥は何処かに消えてしまっていた。

「時間ってまだある?」

「あるよ沢山」

 そう答えると蒼依は深く息を吸って吐き出した。

「じゃあ最期のお願い。真生のこと教えて」

「いいよ。じゃあ僕も蒼依のこと教えて」

 互いに目を合わせることなく、仮面によって隠されていた想いをポツポツと呟くように話していった。

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