第肆話 男花魁

「おや、これはこれはあの時の威勢のいい坊やじゃないか」

「……っぐ」


 叶夜は嬉しそうに、睨みを利かす蘭へと手を伸ばそうとした――その時。


「蘭」


 ふと上から艶々と潤いのある声が聞こえてきた。叶夜が声のする方を振り返ると、そこには大階段を一段一段ゆったりとした足取りで下りて来る、華やかな衣装を身にまとった男の姿がった。


 ――あの衣装……、いくらなんでも豪華すぎる……。ということはあの男……。


 叶夜はまじまじと男の姿を見ながら考察していた。すると――。


「兄さん!」


 蘭は彼をそう呼びながら叶夜の前を通り過ぎ、階段の方へと駆けて行った。


「蘭、忙しい所申し訳ないんだけど、この後にでも湯あみの手伝いをお願いできないかい?」

「わかった。座敷の片づけが終わったらすぐに行くよ」

「よろしゅう」


 蘭に向けてにっこりと微笑むと、男は再び階段を上って行こうと身体の向きをしなやかに変えた。すると、首元にはっきりとある物が見え、叶夜は確信した。


 ――あの装備……客人に容易く嚙まれないためか……。やはりあいつは陽斗が言ってた、この見世が誇る男妓Ωなのか。


「……っとそれから、そちらにおいでの旦那様」


 男が言う旦那、という言葉に叶夜はピクリと反応した。


「……そうか、ここにはあんたと俺と、坊やしかいなかったな」

「陽斗さんの客人だからって、気安く見世のもんに手を出さないで下さいね。なんなら、この僕が」

「……はいよ。俺の用事はもう済んだ。これにて失礼いたします」


 叶夜は紳士的な挨拶を男妓にした後、蘭に向けて「またな」と伝えると、そそくさと見世から姿を消した。その姿を見届けた男妓は、蘭を細目で見つめながら尋ねた。


「ねぇ蘭、さっきの人とは知り合いなの?」

「知り合い……、そんなんじゃないよ」

「えらく気に入られているみたいだったから」

「……っ、や、やめてよ!」

「はいはい。じゃ、後でよろしゅうね~」


 階段をゆったりと上り座敷へと戻る姿を見届けた蘭は、周りに誰もいないことを確認した後、大きなため息を吐いた。


「はあぁ……」


 ――よりにもよってなんであいつがこの見世に来てるんだ?……陽斗兄と……知り合い?……でもどういう関係?


 腕を組みしばらく考えるも、蘭には答えがわからなかった。


「考えてもわっかんねぇ!仕事だ仕事!」


 廊下を小走りで駆け、蘭は厨房へと向かった。

 その姿を二階から静かに見守る男妓は、楼主の手によって首元に着けられた金具をなぞりながら呟いた。


「……運命なんてあるわけない」




 ❖❖❖

 

 座敷でどんちゃん騒ぎをしていた客人が、次々に個室へと向かう中、【青薔薇】の若い衆たちは片づけに追われていた。


「今日のお客さん、今までで一番羽振りが良かったんじゃない」

「やっぱりそう思うよなぁ」

「食事もお酒も高いのを頼んでたもんね」

「……あの人、菊兄の馴染み客になるかな」

「でもそしたら菊兄が忙しくなっちゃうじゃん」


 ――菊兄に馴染み客が増えるのは悦ばしいことなんだけど……。これ以上忙しくなって身体を壊して欲しくない……。ここ最近、菊兄の顔色……あんまし良くないんだよな……。


 床に散乱している酒瓶を拾い集めながら蘭は、ここ数日間における見世一を誇る色男――菊の様子を思い返していた。


 きく――齢廿弐二十二と若くして見世一を誇る【青薔薇】の稼ぎ頭として名を馳せる男花魁――。下働きの若い衆からは兄のように慕われ、菊も下の者たちを弟のように可愛がっている。

 菊を指名する客人のほとんどは女人だが、彼自身がΩ性であることもあってかそのほとんどは妖――。何度も通いつめた客人が、菊の身請け話を楼主である華小路にしても一切聞く耳を持たないという噂があるほどに、菊は【青薔薇】で重宝にされている――。


「お~い、蘭。……蘭ってば!」

「……っ!悪い。気が付かなかった」


 下から蘭の顔を覗き込みながら弟分が声を掛けてきた。


「ここは僕たちで片すから、菊兄の湯浴み手伝って来なよ。さっき風呂場に向かう後ろ姿を見たよ」

「……そうか。でも……」

「大丈夫だって」


 辺りを見渡すと食器や空き瓶のほとんどは片され、残りは掃除をするだけの状況だった。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「うんっ!」

「ありがとう」


 蘭は目の前で微笑む弟分の頭を撫で、大座敷から浴室へと向かった。





「……兄さん」


 浴室へ入る際、見知った人影を見つけ、蘭は徐に声を掛けた。


「蘭……。来てくれたんだね、ありがとう」


 菊は蘭の方へと振り向きながら礼を述べたが、明らかに疲れきった表情と声色をしており、蘭はなんと声を掛けるべきか悩んでいた。


「そんなに考え込まなくてもいいよ。……近くに来てくれないかな」

「……う、うん」


 躊躇いがちながらも、蘭は言われた通りに菊の居る湯舟へと近づいた。遠目だと湯気で気付かなかったが、蘭は菊の身体に残されたある異変に気付いた。


「兄さん……っ!……その痕」


 菊の両肩には、誰かに噛まれたようなくっきりとした歯形や、背中には爪で引っ掻かれたような傷痕が残されていた。その傷痕を撫でるように湯をかけながら、菊はいつもと変わらぬ優しい声で答えた。

 

「あぁ、これかい。今日の客人は少し戯れが過ぎただけだよ」

「戯れって……それはいくらなんでもやり過ぎだろっ!」


 思わず声を荒げてしまい、蘭は小声で「……ごめん」とだけ伝え、そのまま無言で菊の頭を洗い始めた。


「……蘭。お前は華小路さんをどう思う?」

「えっ?」


 いきなりの問いかけに、蘭は一瞬戸惑った。だがしばらく考えた後――。


「華小路さんは俺にとって命の恩人……かな。小さい頃の記憶はほとんどないけど、彼に助けられたことだけは覚えているんだ」

「……そう……か。命の恩人……、ねぇ」


 何か思うことがあるのか、菊は一息吐いてから蘭へ伝えた。


あの人華小路は僕たちのことを道具にしか思っていないよ」

「そんなことっ……」


 蘭は言いかけた言葉を飲み込んだ。


 ――そんなことない、なんて言いきれない……。現に菊兄は、身体に傷を負いながら好きでもない相手と肉体関係を持っている……。いずれは俺も……。


「ねぇ蘭。お前は……運命の番を信じるかい?」


 菊が一体どんな表情で言っているのか、彼の後ろにいる蘭にはわからなかった。だが、蘭は菊の傍に長年居て知っていた。

 彼がお伽噺を信じていることを――。

 そして、彼が誰に想いを寄せているかも――。


「……運命か。菊兄があると思うんならあるんじゃない」

「ふ……ふははははは」


 まさかの反応に蘭は驚きのあまり洗っていた手を止め、菊の頭から手を離した。


「……菊兄?」

「ははは……ごめんね。……お前らしい答えだな、と思ってつい……ふははは」

「なにもそこまで笑わなくてもいいじゃんか」


 蘭は少しむくれるように答え、再び菊の頭を洗い始めた。


「……蘭。お前ももうじき客人を取ることになるだろう。だから、これだけは覚えておいて。……ここでする行為は、自分の好きな相手と添い遂げるための通過点だということを」

「……通過点」

「そう。僕はね、今だから言うけど、……客を取る行為が嫌で嫌で仕方なかったんだ。でも、ここで働いて身請けされた桃斗さんに言われたの。……菊、閨での行為はいずれ出会う伴侶のためにある通過点なんだ、身体は許しても心は許しちゃだめだよ、ってね。その言葉を聞いてから、僕は閨を共にすることが嫌にならなくなったんだ。……不思議だよね」


 思い出を懐かしむように話す菊の声は、優しくも切なそうな印象を蘭は受けた。


「……だからと言って、菊兄を傷つける人がいるなんて許せないよ」

「お前は優しいね。ここにくる人たちは、一夜限りの夢に溺れに来ているからね。それに僕はΩ性ということもあってか、我こそは番だと錯覚して噛みついちゃうのかもしれないね。……噛む場所間違えているけど」


 小刻みに身体を揺らしながらくすくすと菊は笑っていた。


「……さて、次の客人が待ってるからこの身体、早く治さないとね」


 そう言うと、菊は何かに集中するように目を閉じた。すると、みるみるうちに傷痕が跡形もなく治り始めた。


「……すごっ」


 初めて目の当たりにした蘭は、心で思っていたことが口から零れてしまっていた。


「ふぅ……。どう?綺麗に治った?」

「……う、うん」

「手伝い、ありがとうね。おかげでゆっくりできたし、蘭ともこういう時じゃないと話せないからね」


 片手をヒラヒラとさせながら菊は浴室から出ようとしていた。その姿を見ていた蘭は、彼の腰あたりに見えた薔薇の入れ墨が気になり尋ねた。


「菊兄!」

「ん?どうかした?」

「その薔薇……」

「あぁ、……これ?……まぁこれはまじないみたいなもんだよ。いずれわかるさ」


 ――いずれわかる……?今は教えてくれないんだ。


 そう思いながら、蘭は彼の姿が見えなくなった扉をしばらく見つめていた。

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異体Ω同心 ~お前の全ては俺が貰う~ 虎娘 @chikai-moonlight

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