鉄路

下東 良雄

さよならのメロディ

『野花鉄道、七十年の歴史に幕』


 ニュースで見た鉄道廃止のニュース。それは私の故郷で走っている鉄道。たった数駅を一両か二両の電車が行ったり来たり。田舎のローカル線を地で行くような鉄道だ。

 大学へ進学したのをきっかけに上京した私。駅のホームで流れたハープが奏でる軽やかな発車メロディが、故郷に別れを告げる音楽だった。


 そのまま東京で就職。でも、あまりうまくいっていない。尊敬する先輩とのプロジェクト。私の失敗でそれは頓挫した。会議の席で私を名指しして叱責、先輩は連帯責任でしばらく他のプロジェクトからも手を引くと宣言。お前のせいだと周囲からも責められた。全部私のせいだ。


 心に疲れを感じていた私は、このニュースをきっかけに故郷へと向かった。実家には顔を出せなかった。


 営業最終日の夜、最寄りの駅に向かう。住人が何人か小さな駅舎の前に集まっていた。みんな最後の別れを言いたいのだろう。

 最終電車がゆっくりとホームに滑り込んだ。電車の中は、鉄道ファンでいっぱい。やがて、あのハープの軽やかな発車メロディが流れる。そして――


 ファーン!


 ――電車は、住民たちに最後の別れを告げるように、大きく、そして長い警笛を高らかに響かせた。


「長い間ありがとう!」

「さようなら!」


 周囲の住民たちは電車に手を振りながら叫んでいた。

 でも、私は――


「……ごめんなさい……」


 ――謝っていた。青春時代と共にあった鉄道が無くなる。当たり前にあったものが無くなる。何もできない、何もしてこなかった無力感。そして、東京へ送り出してくれた鉄道に、失敗続きの自分は胸を張って向かい合えない。情けなくて、悲しくて、申し訳なくて。私は涙を浮かべながら、ただ謝り続けた。

 電車はモーター音を轟かせながら、ゆっくりと駅から離れていく。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 やがて駅の灯りが消える。駅が死んだ瞬間だった。

 何の物音もしない。闇と静寂が支配する夜の世界。

 住民たちは皆帰宅の途につき、小さな駅舎の前に私ひとりが佇んでいる。


「どうしたんじゃ?」

「……駅じい……」


 優しげなお年寄りの声。顔を上げると『駅じい』がいた。この駅の駅長さんで、この駅を利用する学生は皆『駅じい』と呼んでいた。


「あの、廃止のニュースを見て、東京から帰ってきて……」


 それ以上言葉の出ない私。


「さっき『ごめんなさい』って、電車に謝っとったじゃろ」


 駅じいは気付いていたんだ。


「こっちにおいで」


 駅じいは、切符もなしにホームへ私を連れてきてくれた。

 ホームに灯りが灯り、ベンチに腰掛ける私たち。

 駅じいの心遣いに我慢ができず、泣きながら東京での出来事を話す私。駅じいは優しい微笑みを浮かべながら、話を聞いてくれた。


「その先輩は仕事のできるひとなんじゃな」

「はい……とても尊敬している先輩です……」

「じゃが、その先輩も、キミを責める周囲のひとたちも、何かが足りないように思うな」

「え?」

「ワシはその先輩を知らないから言えるのかもしれないが、責任を失敗したひとに全部負わせて、周囲まで巻き込むのはどうじゃろうな。周囲を巻き込む位の影響力があることは本人も分かっておるじゃろ。その上でそんなことをするのは、思いやりが足りんように思うな」

「思いやり……」

「もちろん失敗した責任はキミに大きくあるじゃろ。しかし、省みる点は先輩にもあるんじゃないか? 次は改善策を考えて、やり方を変えてみるとかな」

「…………」

「きっと自己顕示欲が強い先輩さんなのかもしれんな。それが仕事のできる要因かもしれんし、周囲に与える影響も大きいのじゃろう。だからこそ、キミはそれだけに振り回されずに、自分が何をしたいのか、何を反省すべきかを考えるんじゃ」

「……はい」

「人生は鉄道と同じじゃな。今の線路の上を走り続けるのも、別の路線に乗り換えるのも、電車から降りるのも、すべてはキミ次第じゃ。ひとも、鉄道も、いつか必ず終着駅に辿り着く。その時に後悔しないように、何が大切なのかを忘れんようにな」


 駅じいは微笑みながらベンチを立ち上がり、ホームの柱に備え付けられたボタンを押した。

 私たちしかいないホームにハープが奏でる発車メロディが流れる。


「いいか、これはこの駅の別れのメロディじゃ。そして、キミに贈る発車のメロディじゃ」


 私もベンチから立ち上がり、闇に包まれた線路の伸びる先を指差し、大きな声で叫んだ。


「前方よし! 出発進行!」


 私と駅じいはふたりで笑い合った。


 そして、駅の改札まで送ってくれた駅じい。


「野花鉄道のご利用、誠にありがとうございました。またいつの日か、お客様とお会いできる日を楽しみにしております。貴女の人生に幸多からんことを」


 頭を下げる駅じいに笑顔を返し、私は駅舎に背を向けた。

 まだ東京で私ができることはある。だから、頑張ろう。


 駅からは、もうあのメロディは聴こえてこない。

 でも、私の心の中であのハープのメロディは、ずっと響き続けている。



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