置き去りにされた人形


 車窓からさしこんだ夕日がモノクロ写真を照らす。和室に若い頃の祖父母を含めた親族がずらりと並んでいるが、誰が誰なのかは遥にはわからなかった。

 写真はアルバムにへばりついている。ネットの情報によるとドライヤーで温めると爪で剥がせるらしいが、母は手間をかけたがらないだろう。


「べたべた触らないで。あの家にあるのは穢れているんだから」


 隣席の母が睨んできた。

 輪島駅から金沢行のバスに乗って一時間。ようやく口を開いたと思えば蔑みとは。


 これっていつの写真?

 一緒にいる人は誰?

 いろいろと訊いてみるが反応は乏しい。

 思い出す気がないのか、顔を背けてしまった。


 遙はアルバムをめくりつづける。

 カラーになったあたりで漁港にいる祖父の写真がでてきた。

 祖父は漁師だった。

 毎年なら今頃はカニ漁の準備に勤しんでいるが、震災が原因で引退を決意している。


「お祖父ちゃん悔しがっていたね」

「あの年齢としなら引退して当然よ。大人しくしていればいいの」


 母は祖父ちちを嫌っていた。

 盆や正月にも帰郷せず、震災時にも遙たちに促されるまで安否確認をしなかったほどだ。

 今日能登に行ったのも、避難中の祖父の代理で公費解体の手続きを進める為。しかも助けるというよりも、今のうちに実家を排除したいので動いている様子だった。


 実家は輪島市内にある一軒家だ。

 全壊認定でもすぐに崩落する危険――全壊の定義は五割以上の損壊――はなく、解体当日まで可能な範囲で家具を廃棄か回収しなければならない。

 祖父からは自分ですべて廃棄するから入らないよう言われていたが、一人では無理なので内密に撤去しようとしていたのだ。


「あれ?」


 ある写真が目に止まった。

 祖父が小さな人形を抱いている。

 これは回収を拒否された、あの人形ではないだろうか。


 慌ててアルバムを閉じ、母を見る。

 気付いていない。遙は胸を撫で下ろす。

 写真これは見せてはいけないと、遙は直感した。

 正確には、人形だが。


 不意にバスが減速した。

 渋滞だ。

 往路でも何度か巻き込まれた。道路の陥没が復旧しきれておらず、車線が一部区間で制限されているからだ。

 もしかするとあの軽トラもここで止っているのだろうか。いや、自分たちよりも早く出発していたのでそれはないだろう。



 あれは今日の昼過ぎのことだ。

 片付けの最中、一台の軽トラが現れた。

 運転手は中国人の女性で、片言で回収業者を名乗った。

 転売、あるいは金属を目当てに来たのだろう。隣県からの応援と自称するが、トラックはなにわナンバーである。しかも身分証を求めても本社に忘れたという。


 断ろうとしたところ、母が寄ってきた。


「回収屋さん? どうぞなんでも持って行って下さい」


 壊れた家電に鍋、ベッドの柵にいたるまで業者は目当てのものを次々に回収する。たしかにこちらの手間が省けるが、待たせてもいいのだろうか。


「これも回収していただけますか?」


 母が仏壇から人形を取り出した。

 掌ほどの大きさの、こけしのようなデザインをしていた。


「これはダメ。よくない」


 ところが業者は拒んだ。

 他の仏具きんぞくは回収しているのに、それだけを拒否したのだ。


「どうしてですか?」

「だって、×××が入っているでしょ?」


 なんと言ったのか聞き取れなかったが、その単語が出たときに鳥肌が立ったのを覚えている。遙だけではない。場の空気そのものも凍りついていた。


「どうもありがとう。失礼します」


 業者は逃げるように仏間を出て、トラックに乗車した。

 そこで遙は目を疑う。

 母が動き出した荷台にめがけ、人形を投げ入れたのだ。

 ひやりとするが、幸い(?)トラックはそのまま走り去った。


「欲しいものだけを回収なんて虫がよすぎるでしょう」


 母が言う。それなら大荷物を運ばせればよかっただろう。なぜ人形あれにこだわるのか理解できなかった。



 クラクションの音が遙の回想を中断した。

 顔を上げるとパトカーが止っていた。

 渋滞の原因は事故だった。

 車道にはガラスや車の部品が散乱し、ガードレールには見覚えのある車が乗り上げていた。

 なにわナンバーの軽トラックだった。

 あの運転手じょせいが警官に囲まれて問答していた。


「……お気の毒にね」


 母が呟いた。こうなるのを予想していたような口ぶりだった。

 あの人形が原因と考えるのは早計だろう。あれはただの置物だ。事故を引き起こすわけがないと、遙は自分に言い聞かせるのだった。




 その週末に祖父を訪ねた。

 祖父は金沢の二次避難所かせつじゅうたくにいる。


 アルバムを渡すなり、祖父は血相を変えた。

 なぜ家に入った?

 仏間にも入っただと?

 まさか人形を持ち帰ったのか?

 人形は回収業者に渡したと伝えた。事故のことは伏せたが、よくないことが起こったことを察していた。


「あれは漁で見つけたんや」


 祖父が言う。

 二十年程前に網にかかり、伝承をまねして仏間に飾ったのだという。

 その伝承とは、大昔に能登のある浜に観音像が打ち上げられ、それを奉ったところ不思議と海難事故が減り、漁民や航海の守護像として信仰を集めたという話だ。


 ところが祖母も母も人形をひどく気味悪がり、仕方なく蔵にしまうことにした。

 仏間に飾ったのは母が家を出て、祖母が亡くなった後からである。

 とくに不審なことは起らなかったが、震災から数日後、一次避難所に警官と消防隊が訪ねてきた。

 自宅から子どもの泣声が聞こえるが心当りはあるかと。団員によると声をたどると仏間に行き着いたが誰もいなかった。しかも、その通報は何度も来ているという。

 

 言質さえとれればよかったのか、家が無人だと告げると警官たちは帰った。

 ただ、その際に自宅周辺で車輌事故が多発しているという話を聞いたのが気がかりだったという。


「人形を引き上げた時、他のもんから捨てるよう言われた。そんなん寄神よりがみじゃない。異国の穢れがついとると」


 素直に聞いておけばよかったと後悔しつつも、遙たちが無事なことを喜んでくれた。



 半年後に祖父の家は解体され、完了立ち合いに行くと見事に更地になっていた。

 現地に住んでいる隣人曰く、遥たちが来てから通報がなくなったらしい。


 あの人形の正体はわからずじまいである。

 今どこにあるのかも遥たちは知らない。

 そしてあの業者が人形を見てなんと言ったのか、すべては謎のままであった。


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