置き去りにされた赤子


 私が悪夢を見たのは、あの土蔵が解体された日のことです。


 私が土蔵そこに入ったのは一年前。令和六年の夏です。

 私は能登半島地震の公費解体に従事しておりました。現地入りしたのは震災から半年後で、公道にはみ出た建物の解体が終わり、一般家屋に取りかかり始めた時期です。


 かなりキツい仕事でした。

 高校を卒業して北陸じもとの建設会社に入社して早五年。この業界では若手ですが、私が経験不足だからそう思ったのではなく先輩も口を揃えておりました。


 当時は本社のある金沢市から片道三時間かけて輪島市げんばに通い、担当家屋を目指して市内を転々としなければならなかったのです。

 そうして一件ずつ対処していた頃に、私はあの土蔵に見つけたのです。




 八月の初旬。

 欠員がでたことで私は『現地立合』に回されました。これは『解体業者』と『市役所』、『所有者』の三者が集って最終確認を行うというものです。


 私たちの前には赤札の貼られた木造の平屋があります。屋根と柱だけが残った状態は東屋のようで、その影響で裏手の土蔵をすぐに確認できました。


 土蔵は、ほぼ無傷でした。

 土蔵のある家は他にもありましたがこんなことは初めてです。たいてい家屋よりも損傷が大きいのですが。



「ガソリンなどの危険物はございませんか?」と、シゲさんが所有者に訊きました。


 シゲさんは会社で最年長のベテランです。足腰の不調で作業現場を離れて現地立合を担当してました。


「相続しただけの空き家なので、荷物はありません」

「土蔵もですか?」

「え?」

「もしご不明なら、今から確認させていただけないでしょうか?」

「必要なんですか?」


 拒否の込められた声でしたが、シゲさんは「確認しないと作業に移れないんです」と申し訳なさそうな笑みでごり押しました。私も頭を下げて追撃します。

 あえて目視しようとしたのには熟練者シゲさんなりの理由があったのだと思ったからです。


「入口から見るだけでかまいませんので」と、シゲさんが言うと所有者は承諾してくれました。


「失礼します」


 覗いた瞬間、背筋が凍りつきました。

 そこには黒く汚れた布団が山積みになっていました。

 血でした。

 他にも荷物が崩れているなか、それらがすぐに目に飛び込んだのは破風窓からの陽光が差し込んでいたからです。よく見ると床には柵や木戸も倒れていました。

 ここは、座敷牢だったようです。



「確認できました。解体日が決まればご連絡します。立合いはご希望ですか?」


 所有者は首を振りました。きっとここの用途を知っていたのでしょう。


「皆さん集まって下さい」


 市役所の職員が私たちを家屋の前に誘導しました。所有者と現地立合いをしたという証拠を撮るためです。

 どこの現場でも行われているのですが、今日にかぎって妙に時間がかかっていました。職員は首をかしげ、何度も撮り直していたのです。

 曰く付きの場所では電子機器の不調がよく起こります。私はますます嫌な予感を覚えました。


「透子ちゃんには聞こえた?」


 ようやく撮影を終えて車に戻ったとき、シゲさんが訊いてきました。


「はい?」

「きみにはあの声が聞こえなかったんだね」


 安心したようにシゲさんが言います。

 あの声とは、いったいなんのことでしょう?


「気にしなくていいよ」


 気になりますよ。

 もしかしてお化けですか?

 頷かれました。


 私には霊感の類はありませんが、この業界にいるとそういうのを感知しやすい人が、あるいは敏感になっていく人が多いのです。

 シゲさんもその一人で、福島や熊本の震災で出動したときも奇妙な出来事に遭遇したようです。

 ただ、今回のように震災とは無関係のものに触れたことはなかったようで、あの土蔵に関わると危険かもしれないとのことでした。


「あの解体は私がやろう。若い衆には気の毒だ。とくに、透子ちゃんには」


 シゲさんが私を見つめます。

 女だからといって気遣いは無用だと意地を張りたかったのですが、私はほっと胸を撫で下ろしておりました。

 あの土蔵で出産事故があったのは明らかです。床には包帯に木桶、鋏もありましたから。


「今日のことは忘れて私に任せない」


 私は黙って頷きました。

 座敷牢は私宅監置ともいい、精神的な病を患った人を閉じ込めるものだと聞いたことがあります。

 そこにいた病人じょせいがなぜ妊娠したのか、それとも妊娠後に心を病んでしまったのかはわかりません。ただこれ以上関わると土蔵に蟠っていた穢れが乗り移るような気がして恐ろしかったのです。

 きっと所有者も同じ心境なのでしょう。だから相続して以降、土蔵内をそのままにしていたのだと思います。



 シゲさんが亡くなったのはその翌日のことです。

 心臓発作でした。

 事件性はなかったのですが、一緒に仕事をした私は警察から聴取を受けたので、その時に土蔵のことを伝えましたが反応はありませんでした。その一方、上司や同僚はシゲさんの判断を尊重しました。私は現場作業を外され、現地立合をつづけることになりました。


 それでも移動であの近所を通ることがあります。余震や豪雨の影響で家屋の歪みがひどくなるなか、あの土蔵だけは原形をとどめていました。


 あの土蔵の解体は半年後です。

 現地立合いから解体まで一、二ヶ月はかかるものですが、台風シーズンに入ったことや日が落ちるのも早くなっていたことで作業率が落ちていたことが原因です。

 冬を迎えて年が明け、積雪が減った時期に公費解体はもとの勢いを取り戻しました。


 私は現場を離れていました。

 産休に入ったのです。

 ほどなくして土蔵の解体が終わったと同僚から連絡がきました。

 事故はおこらず、残置物ふとんなどは震災ゴミとして廃棄されたようです。


 その夜に夢を見ました。

 私は土蔵の前に立っており、扉を開けようとしていました。屋内から赤ん坊の泣声が聞こえ、それを助けようとしていたのです。

 ところが誰かに腕を引っ張られるなり、頭を叩かれました。

 シゲさんでした。


『聞くな』


 鬼のような形相で睨まれ、私は目覚めました。あの土蔵にいたのは赤子の霊だったのだとようやく理解しました。夢は一度きりでしたが、念の為にお祓いに行き、出産も無事に終わりました。


 この業界にいればまたああいったものに出くわすかもしれません。辞表を出すことも考えましたが、育休が終われば私は復帰する予定です。そうしないと、シゲさんに申し訳が立ちませんから。

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【カクヨムコン10】置き去りにされた神様 りす吉 @risukiti

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