【カクヨムコン10】置き去りにされた神様

りす吉

置き去りにされた神様


 幼い頃に体験した不思議な出来事を、なにかのはずみで思い出すことがある。


 陽介が彼女に出会ったのは小学校一年のお盆のこと。父の実家に帰省中だった陽介は、祖父とよくセミ捕りをしていた。

 場所は家の隣にある神社だ。

 小さな神社だった。

 鳥居をくぐると坂道がつづき、その奥にぽつんと古びた社殿があるだけ。それでもたくさんのセミを見つけられた。


 ところがその日はセミがいなかった。

 鳴き声は聞こえるものの姿がない。祖父は来客があったので先に参道を下りてしまう。神社から家の玄関は見下ろせるので誰かがくればすぐにわかるのだ。

 祖父を追おうとしたとき、陽介は気配を感じて振り返った。


 社殿の前に少女が立っていた。

 一本道のはずなのにいつの間に来たのだろう。地元の子は抜け道のようなものを知っているのだろうか。


 陽介は彼女に近づいた。

 背丈は自分よりすこし低い。紺色の着物姿で白い短髪を肩口で切り揃えた、とても綺麗な子だった。

 少女が大木を指差した。

 見ると一匹のセミがとまっている。網を持っていた自分に教えてくれたのだろう。

 だが陽介は首を振った。

 祖父から御神木この木には悪戯しないようにと口を酸っぱくして言われていたのだ。



『どうしたの?』


 少女が訊いた。

 聞き心地のいい柔らかい声をしていた。


『捕まえないの?』

『あの木に触ったら神様に怒られるんだ』

『怒ったりしないよ?』


 少女が笑った。

 とても魅力的な笑顔だった。

 今にして思えば一目惚れしたのだろう。

 本当はセミをとってカッコつけたかったのだが、一度断ると変な意地のようなものができて、それらが陽介のなかでせめぎ合っていた。


 神様に悪戯すれば天罰が下る。自分だけでなく彼女にまでそれが降りかかるような気がして無性に恐かった。


『ねぇ。今晩のお祭りに行くの?』


 陽介は話題を変えた。

 市内で盆踊りが開催され、ささやかながら屋台も並ぶ。きっとそれに参加するから着物姿なのだと思っていたが、彼女は行かないという。


 陽介は寂しくなった。

 この子と縁日に行きたかった。

 祖父も両親も自分にとって遠い遠い親戚と話すばかりで退屈していたし、お祭りに連れ出されても知らない人ばかりなのだ。

 実際、去年参加した時も祖父たちを困らせてはいけないので楽しんでいるふりをしていただけだった。

 自分のような来場者は他にもいただろう。地元民と繋がりのある帰省者と、そうでない人との間には温度差があり、どこかよそよそしい空気にひどい違和感を抱いたのを覚えている。

 そんなぎくしゃくしたお祭りでも彼女とならかけがえのない思い出を作れる気がしたのに。



『私はここからお祭りを眺めるの』


 少女に言われて陽介も境内から市内を見下ろした。

 木々の隙間からではあるものの、ここから盆踊りの会場はよく見える。人はまばらだが、もうじき日暮れなので混むだろう。


 陽介は彼女と縁日を眺めることに決めた。

 ここにいる理由を訊いたり無理に連れ出すよりも、自分が来たほうが手っ取り早いからだ。



 夕日がしずみ、盆踊りが始まった。

 陽介は忘れ物をしたと言って会場を抜け出して神社に向かった。

 少女は境内に座って足をぶらつかせていた。月明りのなか白い髪と裾から抜き出た細い足が艶やかに輝いていた。


 ここに来ることを秘密にしていたからか、少女は陽介に気付くなり目を見開いた。

 なぜ来たのか、御両親は知っているのかと、大人のようなことを訊いてくる。でもその顔はどこか嬉しそうで屋台で買ったラムネ瓶を渡すと花のような笑みを浮かべたのだった。


 陽介は隣に腰かけて同じように足をぶらつかせた。

 少女はいろいろな事を教えてくれた。

 昔はもっと大規模なお祭りだった。神輿も出されてこの社殿にも来た。もっと若い人たちが大勢いて活気があったとも。


『どんどん人が故郷ここを離れていくの。きっといつか皆いなくなって、私のことなんか忘れちゃうんだろうな』


 悲痛な声に胸に大きな風穴が開いた。

 僕が傍にいると言いたかったが、そんな無責任な言葉を吐いていいのかわからなかった。

 僕は忘れたりしないよ。それが陽介の絞り出せた唯一の言葉だった。

 少女が微笑み、ラムネ瓶を握りしめた。

 涼風が吹き、御神木がざわめいた。

 なびいた髪に指を添える彼女はドキッとするほどに美しかった。


 赤面した顔を見られないよう、陽介は慌てて祭りへ目を転じる。

 会場は賑わっていた。

 祭囃子に混じって盆踊りの曲が鳴っている。町全体が暗いなか、そこだけが夜の帳を下ろし忘れたように煌々としていた。


 陽介はラムネを飲み干した。

 瓶を置くとビー玉の転がる音が幽かに響いた。

 いつの間にか、少女は消えていた。







 不意にそのことを思い出したのは陽介の前にラムネ瓶が置かれていたからだ。

 同棲中の恋人が物珍しさから買ったらしい。形状といいラベルといい、あの縁日で買ったものと瓜二つだった。


 思わず父に電話していた。

 能登半島地震で亡き祖父の家が全壊し、明日その現地立合があることは聞いていた。父は認知症で施設に入居中の祖母に代わって、公費解体を申請していたのだ。


 陽介は自分も同行すると伝えた。疲れるだろうから交代で運転しようという体で。

 大学も講義がないから大丈夫。

 出発は明日の早朝?

 それなら今から帰るから一泊させてくれよ。

 俺の部屋、誰も使ってないだろう。



「お土産に欲しいのなら私のを持って行きなよ」


 恋人にラムネがどこで買ったのか聞くとそう言われた。陽介は礼を言いアパートを飛び出した。


 もう夕暮れだ。残暑が厳しいというに日が落ちるのは早い気がする。このアパートから実家まで高速で一時間。到着した頃には真っ暗だろう。

 エンジンをかける前に数週間前に父から届いた写真を見直した。そこには崩れた父の実家が神社の参道にはみ出ているのが確認できた。


 公費解体の際に家が隣地に崩れていると『隣接地権者の同意書』が要るらしい。神社の場合でも同様で、町長経由で神社庁から同意書を貰ったと言っていたな。


 立ち合い時に社殿に行く機会はあるだろう。あの少女がまだそこにいるかはわからない。忘れないと言っておきながら記憶を失っていた自分を許してくれるかもわからない。

 それでもあの神社が、社殿が、少女のいた場所がどうなっているのか。それをたしかめるべく、陽介はアクセルを踏み込むのだった。


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