23 お願い
「ちょっと!! はなしなさいよ!」
寝ぼけた俺の耳をつんざく高音。
目を開けると、俺はアイの足に抱き着いていた。
「この、変態!!」
グーで殴られて、目が覚めた俺は、殴られたところをさすりながら、
「どういう状況??」
「あんたの妹が起きたって知らせに来たら、寝ぼけたあんたが抱き枕にしようとしたのよ!」
「……??」
「あーもう、死ね!!」
3秒して状況を理解して、俺はアイに土下座を繰り返した。
「で、歌が目覚めたって?」
「そうよ。大層不安がってるから、さっさと行ってやりなさい」
いつの間にか眠っていた自分を恥じながら、俺は走り出した。
歌は巨大な寝室の天蓋付きのベッドで身を起こして、辺りを警戒していた。俺が大きな扉を開けて入ると、
「あ、おにいちゃん!」
歌は地獄で仏に会ったような顔をした。
「おはよう、歌。無事だった?」
「うん。けがはしてないよ。おにいちゃんも、さらわれたの?」
「まぁ……でも、俺はどっちかというと歌を迎えに来たんだ」
「怖かった。いきなりさらわれて」
甘えん坊の歌がベッドを離れて寄ってきて、ひしっと抱きしめてくるので、俺も強く抱きしめ返した。
「おにい、いたいいたい」
「ここがどういう場所かはわかってる?」
痛いと言いながらも、歌はしばらく離れたくないようだった。
「ううん。でも鏡の中の世界なんでしょ?」
「もう王子には会ったの?」
「誰? 王子って」
「あれ? まだ会って無いの?」
「おにいちゃん、この国の王子に会ったの!?」
「そんなに悪そうなひとではなかったね。アイ……歌の鏡像にもまだ会ってないの?」
「うん。私、いきなり、鏡に引きずり込まれて、鏡の鎧を着けた騎士から逃げているうちに、ここに連れてこられて……」
「なるほど、じゃあ、今説明するよ。ここがどんな場所か」
「その前に、ここって安全なの?」
「俺の見たところ、今は危険はないに等しいかな」
歌がほっとしたような息を吐いて、次に俺をはなした。
「よかった。私、おにいちゃんも巻き込まれたのかと思って怖かったの」
「……」
一瞬産まれた沈黙を断ち切って、俺は話し出した。
ここは鏡の国で、歌の鏡像のアイと、鏡の国の王子しかいないこと。
王子は、死の間際で、一度人間と過ごしてみたいから誰かが来てくれることを望み、俺と歌に白羽の矢が立った。
そして、俺は。
「王子は、悪い奴じゃないんだ。ただ、生まれてからずっと一人で……って、そう言うと、誘拐犯の味方になっちゃったみたいだけどな」
まっすぐ、俺が嘘を交えているなんてほんの少しも疑っていないような眼で、俺を見つめる歌に耐えられず、いい訳みたいに付け加えた。
「おにいちゃん……」
「歌、王子は嘘はつかないと思う。お願いを聞くにしろ、聞かないにしろ、俺たちを返してくれるはずさ。父さんと母さんには心配をかけるけど。だから、どちらが正解なんてことはない……と思う」
誘拐犯の要求を呑む必要なんてない。対価を求めるべきだ。とか、そういうことも考えた。
俺が善人ぶりたいだけなのかもしれない。だけど、一生のお願いとまで言った王子の身勝手な願い……それをあっさり棄ててしまってもいいだろうか?
仁義、優しさに欠けてはいないだろうか?
でも、相手が俺たちをだまそうとしていたら?
俺の中で、いろんな考えが生まれては消えていったのだ。結論は、出ない。
歌は、じっと考えている。俺が、歌に選択を迫っているから。歌の賢さに俺が期待していると、歌は思っているから。
歌は珍しく悩みこんだ。俺の与えた情報では、本当に危険かどうかなんて確定しない。決断を下すのは、難しすぎる。
結局、歌は王子を信じたようだった。
俺は正直ちょっと驚いた。慈悲深い。
「じゃあ、案内するよ。玉座の間に」
歌が何を考えているのやら。
合理的に考えたら、断ってもいいだろうに。他人の願いなんてさ。
歌が王子に招かれている間に、アイがお茶を持って来た。
「この世界ではそんなに喉は乾かないでしょうけど、疲れたでしょ」
お茶の入ったティーカップはカットされたダイヤモンドみたいな形で、家に持って帰りたいほどきらびやかだった。
「……この茶は?」
「鏡茶よ」
水銀にしか見えねえ……。
味見に恐る恐る舌をつけてみると、「あっつ!?」
フーフーして、お茶を飲んだ。鏡茶は悪くない味だった。水銀みたいに重くもないので、多分ちゃんとH2Oだろう。
「ありがとね。妹さん、ここに残らせてくれて」
「……」
「王子もきっと報われるわ……」ものすごく感慨深そうに言う。
「あとは王子が歌に嫌われなければいいだけだな」
「大丈夫よ。多分」
歌と王子は、長話でもしているのか、中々出てこない。
「鏡茶ってまだある? お話し中の二人に届けるついでに様子を見たいんだけど」
「あるわよ。一緒に入れる?」
「お供しましょう」
歌と王子はあっという間に打ち解けたらしく、王子の話を聞いて歌が笑ったりする声が聞こえてくる。
扉をノックするが、話に夢中なのか返事がない。
開けて入ると、ベッドからを身を起こして、頬を紅潮させながら話し込んでいる王子と、微笑みながら聞き手に徹する歌が見えた。
背筋が凍った。
歌のほほえみは、俺には、完璧に造形された作り笑いにしか見えなかったからだ。
――私ね、あんたの妹のことならちょっとは分かるのよ。表裏一体だからね。
空恐ろしい演技の才能だ。すっかり乗せられているらしい王子は、俺がすっと渡したお茶をすすっては話しに興じている。
――あの子は、あんたが言ったとおりにするわよ。
怖。
あの子は、俺の王子の頼みをむげに断るのは忍びないという甘い考えを汲んで、王子の機嫌取りに終始しているのだ。
歌は俺がまたすっと渡したお茶の中身を見て、ちょっと表情がこわばり――俺のOKサインを見て、一口すすって、「あつっ」
「おっと、熱すぎたかい?」
王子はどこからともなく鏡の氷を出して、歌のカップにぽちゃんぽちゃんと落とした。
歌は普段クラスメートにやってるみたいに、きれいな「ありがとう」を披露した。
何か王子がかわいそうにもなって来た俺は、歌に見えない所で王子に親指を立てて、ニコっと笑ってやった。王子の目が一瞬こっちに向いて、左手が小さくグッジョブサインを返した。
しかし、あんなに熱心に話して、体調は大丈夫なのかな。
部屋の外では、アイが壁にもたれかかって立っていた。
「どうだった?」
「かわいそう」鏡の俺が、俺の止める間もなくそういった。
「……かわいそう?」
アイの目がこっちを向いた。
「王子のこと、かわいそうだと思ってたの?」
「歌に、いいようにされて、かわいそう」
「……。まあ、そうかも知れないわね」
本体の俺は、「歌には、本当は、本当の気持ちで接してやってほしかった」とつぶやいた。
「王子は――これまでずっと一人だったんだろ?」
「ええ」
「これじゃ、最期まで、独りぼっちみたいだ」
自分で、まるで王子の味方みたいだと自嘲した。
自分勝手に人をさらってきた報いと言えばそうなんだけど、それは、正直育った環境のせいだと思うんだよねぇ……。だから、王子が悪いかって言うと……。
「あんたが妹に言えばいいんじゃない?」
「ダメだよ。それじゃ、俺の気持ちさ」
俺とアイは、城の中を歩き始めた。もうしばらく王子と歌の歓談は続きそうだったし。
「王子に頑張ってもらうしかないかなぁ」
「残酷なことに、あの子の心はそう簡単に開けないわよ。鏡の中のあの子も何も言わなかったし。相当ガードが固いわね」
「障害の多い恋だな……」
「頑張ってもらうしかないわよ」
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