21 謁見
現実世界では日が暮れたはずだが、鏡の世界は真昼であった。
鏡の国は幻想がほどけると、その真の姿をあらわにした。空をそのまま映し出す鏡の大地。丘も山も、全てが鏡面で、太陽が上からも下からも照り付けるような地獄であった。
「まぶしすぎる」
「でしょうね」
一人だけグラサンをかけた鏡の歌は俺を鼻で笑った。
「夕方は日が低くなって前が見えないわよ」
鏡の騎士に囲まれて、俺は鏡の王城に連れていかれるらしかった。
幸いにして、日が低くなる前に鏡の城についた。
妙に立派な西洋式の城で、全面が鏡張り。太陽が合わせ鏡で増えて俺の目はもう眩しいを通り越して痛いになっていた。道中、途中からは偽歌に手を引いてもらって俺は目を閉じていた。時々目を開いて、"帰り道"の確認をするときには毎回涙が出かけた。
見上げるほど巨大な門は、俺たちが近づくとひとりでに開き、俺はちょっと委縮したが、鏡の歌がずんずん進んでいくので、大急ぎでついていく。
少し進むと、鏡でできた石像の立ち並ぶ間に出た。剣を掲げた騎士たちの像だ。いくつか空の台座があるなと思ったら、俺を囲んでいた鏡面騎士たちがガシンガシンと歩いて台座の上に立ち、そして動かなくなった。
「この騎士たち……」
「王族の命令に従う、近衛兵よ」
俺と偽歌の声が反響してこだました。
窓も灯もないのに妙に明るい城の中を歩いて登っていく。
「何か、いたるところに自分が映ってるって、気味悪くないか?」
「鏡の世界で鏡に映し出されるのは、あなたの本性。鏡の自分じゃない」
鏡には、『俺』が映っているようにしか見えなかったが、偽歌が、
「あなた、心の底まで嘘つきね」
というと、鏡の『俺』がへへへ、とちょっと皮肉気に笑った。
「嘘つき?」
「自分の本性を、隠してばっかり」
かくしてるかなぁ?
「そんなんだから、『自分』にもだまされてるのよ」
何言ってんの?
城は相当に広かった。
「本物の歌はどこだ?」
「せかさないでよ、シスコン」
「あのなぁ……」
「まずは王子との謁見が先でしょ。ほら」
指さす先に、これまた大きな門。
「玉座の間」
「王子なのに玉座に座るのか?」
「ええ。王様はもういないから」
「へえ」
王様がいないのに王子が即位しないって、何かの伏線か?
俺たちは門の前に並んだ。
「王子様。連れてまいりました」
門が、轟音を鳴らしながらゆっくりと開く。
さて、どんな恐ろしい王子が出てくるのやら。そんな俺の考えは、次に見えた姿にかき消えた。
「やぁ、手荒な歓迎をして、すまないね」
病人だ。
全身が透けてしまいそうなほど、肌が薄い。
こけた頬、やせた腕。真っ白な髪の毛は長く、長く伸びていて、ちっとも整えられてはおらず、とても王子には見えない。
かすれた声は、城に反響して、俺に届いた。
長い長い、きらめく鏡でできた絨毯の先にある、大きな玉座の前に置かれた、鏡のベッドから身を起こして、鏡の国の王子が、俺に微笑んだ。
「君が歌ちゃんの、兄上かな?」
呼吸が浅い。少し話すたびにまた息を吸って、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
俺は良心と合理的判断の間で揺れていた。相手が病人であろうと、強く当たって会話の主導権を奪うか。それとも、相手のペースに合わせて会話するか。
「そうだ。歌は?」
「隣の部屋で、眠っているよ。鏡の世界は、彼女には少し、刺激が強かったみたいでね」
不思議と、彼の言葉には悪意を感じない。偽歌は俺の隣で黙って突っ立っている。
「そうか」
「彼女に危害を、くわえるつもりは、ないよ」
「王子、なんで歌を連れて行ったんだ?」
どうしても、王子が、悪い人間には見えなかった。
「それはね……」
王子がふと遠い所を見た。
「恋を、したから、かな」
僕は、ずっと一人だった。
君たちみたいに、兄妹はいないし。
僕の生みの親も、僕が生まれたころにはもう、いなくなっていたんだ。
僕はこの玉座の鏡から、君たちの世界を覗くことしかできなかったんだ。
王子は、玉座に乗っかっている大きな鏡を力なく指さした。
そして激しくせき込んだ。
「無理に体を起こしていなくていい。寝てなよ」
俺はついそう言ってしまった。
「ありがとう。そうさせて、もらうよ」
俺は彼の枕元まで行くことにした。鏡の歌が、鏡の椅子を持ってきてくれた。
いろんなものを見たよ。この鏡からは、いろいろなものが見える。
ガッコウで勉強する生徒たちに、大きな町を行き来する道路に。
それから、恐ろしいものもたくさん見えた。
この世の全てに絶望して首をつった少年、夢が半ばについえて無情に命を奪われた大人。
僕はそれをただ見ていることしかできない。
所詮僕は、幻想の中に生きる者なんだから。
俺は黙って聞いていた。生き絶え絶えに、何かに突き動かされるように自分の人生を語っている王子に水を差すようなことをするつもりはなかった。
「他には何が見えるの、もっと聞きたい」
王子の布団に映っていた俺の幻影がそう言った。
僕は物知りなんだ。
僕が一番よく見ていたのは、子供たちの姿さ。
僕も本当は子供なんだけど、僕には始めから何かが備わっていて、子供らしい子供ではなかったんだ。
よく思うんだ。どうして、僕なんだろうって。
僕はね、生まれたときから不治の病に侵されているのさ。だから、もうじき僕の命も、尽きる。
子供たちは、未来への希望に満ち溢れていて、例えば自分の命が明日燃え尽きるかもしれないなんて、めったに考えやしない。
うらやましかったんだ。無垢な子供たちが。無垢な子供たちだった大人たちが。
僕は、この世で一番希望に満ちた子供たちがいるガッコウを探して、生徒たちのことを追いかけてみたんだ。
彼らは、数年して、ガッコウを出て、シャカイで働き始めた。無垢だったころのことなんて忘れて、自分のために生きていた……。
また僕は思った。
僕は、無垢に生きることも、自分のために生きることもできないんじゃないかって。
そう考えると、怖くて、仕方がなくなった。
自分は、ただ、世代交代のためだけに生まれた存在で、別に、『僕』じゃなくてもよかったんじゃないのかって。
鏡に何回も聞いたよ。でも、普段はだいたい答えてくれる物知りな鏡でも、この問いには答えてくれなかった。
誰でもいいなら、なんで『僕』なの?
僕だって、本当なら、誰かの友達になりたかったし、自由に鏡じゃない世界を走り回って見たかったよ。
でも、そんな日に、君の妹が鏡に映ったんだ。
初めての感情だった。
きっと一目ぼれだ。
愛おしいと思うことはあったけど、愛おしいと思ってほしいと、たった一人の人間に思うのは初めてだったんだ。
それからの僕は、彼女のことでいっぱいになって、他のことを考えなくなっちゃった。
僕の抱えていた悩みも、苦しみからも、彼女のことを考えているときだけ、解放されるんだ。
それでね。
どうしても、一度言葉を、交わしたくて……。
彼女をこの世界に招いたんだ。
彼女を案内できる人はいなかったから、彼女は自力で城の前まで歩いてきたんだ。僕の騎士は、彼女を案内するには、少し強面だから……。初めは騎士に案内させようとしたんだけど、彼女が怖がって逃げ出してしまってね。
彼女は、城の前で歩き疲れて眠ってしまったよ。
騎士が今、彼女を鏡の寝室に運んで、彼女はそこで眠っている。
「おい、偽歌」
「なに?」
「何か、お前の言っていた状況と地味に違くないか?」
「え? そう? まあ私、『私は歌に恋をした』『歌のお兄上を招いてほしい』『歌は私の城にいる』くらいしか情報受け取ってないし」
「婚約云々は、ぜんぶ……?」
「適当に言った嘘ね」
「おぃいなんだよそれぇ……じゃ、俺を殴ったのは何で? 俺を気絶させたの、君でしょ?」
「殴った??
ああ、あれは着替えてるのを覗かれたからよ」
「??」
今度はこっちが?する場面である。
「あー、あんたあの時からもう幻影見てたの?」
「そーなんじゃない?」
「じゃあ冤罪ね。良かったじゃない。覗き魔じゃなくなって」
流石に、ひどくない?
「ひどくない?」
鏡に映った俺がぷんぷんしながら鏡の歌にそう言った。
代弁すんな。
王子は微笑んで、こう言った。
「それで、だから……。厚かましい願い、というのは、わかってる。けど、どうか、僕の命、尽きる前に、彼女と、一緒に居させては、くれまいか……? 彼女に、恋させては、くれまいか?」
俺の頭は王子の寿命について冷たく回り始める。
「僕の、一生の、お願いなんだ」
絞り出すような言葉。
それが、本当に、「一生」のお願いってことは俺にも分かった。
でも、おとなしく聞いていたが、自分勝手が過ぎる。
正直、歌のことも考えずに誘拐した事実はポイント低い。道徳を教わってないなら仕方がないかもしれないけど。正直さらった後に家に帰りたいか聞くより、さらう前にこっちに来たいか聞いてほしかった。いや、そう言ったら絶対の断られるからあえて誘拐を選んだのか?
ここに歌が残るとして、ここに歌だけ置いて行くわけにはいかないから、俺も残ることになるけど、そうすると、俺の鏡像が現実世界で何してんのかが分からなくて怖い。
歌に王子を振ってもらってサッサと連れて帰るのがいい。
「少し、考える。歌が目覚めて、とりあえず本人の意思を聞くよ」
「わかった。のぞかないようにするね」
この世界をあまねく見ることのできる王子は、片目を閉じてみせた。
「気になるだろうに」
「それぐらい、耐えるよ。こうして耐えていることも愉しいんだ」
その姿はまさに恋に恋する少年だった。
「あと、俺たち、親に心配かけたくないんだ」
「大丈夫。向こうにいる君の鏡像がうまく伝えてくれる」
「そりゃありがたい」
あんまり信用してないけど、なにもできん。
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