20 誘拐犯さんこんにちは
「おにいちゃん! 大丈夫?」
目が覚めると……ここは、近所の丸石公園?
「う、た……?」
「もう! 心配したんだから!」
歌だ。いつもと同じ、歌だ?
何で俺はここにいる?
「7時だよ。みんな心配してたから、早く帰ろう?」
歌は今まで、どこにいたんだ?
頭が痛い。たしか、叩かれたのは、ここ。
「いってぇ!」
たんこぶ出来てる……って当たり前か。
叩かれたんだからな。
うたが心配そうに俺のたんこぶを見る。
「大丈夫?」
「うーん、まあ、大丈夫」
俺は上体を起こした。
「歌は、こんな時間まで何してたんだ?」
「……覚えてないの? 私が帰ったら、おにいちゃんいなかったから、私たちみんなで探したのよ? そうしたら、ここで寝てたの!」
そんなことある?
「そっか、心配かけたな。ごめん」
「ううん。大丈夫」
妙だな。
ごめんごめんと謝りながら、俺はポケットに手を突っ込んだ。
なんで、ここにボタンがあるのに。
歌、お前の服はボタンが欠けていないんだ?
あと、その服、普通右手側にボタンついてるのに、逆だぞ?
「ところで、お前。本当に、歌か?」
「歌だよ?」
「……」
「おにいちゃん、なんかヘン……」
「鏡像だろ?」
俺は歌の目をのぞき込んだ。
まるで鏡のように俺を映すきれいな瞳だ。
「……」
「本物の歌はどこだ?」
歌は、大きなため息をついた。
「やっぱり、だませるわけ、ないよね」
「……」
「私は、おにいちゃんの、鏡の妹」
「本物の歌はどこだ」
「さあ」
左右反転しただけの、本物そっくりな歌。表情は上手くうかがえない。
「本物がいなくなった途端にカガミの偽物が現れる? できすぎだろ」
歌とは思えないほど無機質な声が、「鏡の裏に暮らす者は、オリジナルが鏡の世界に入り込んだ時に、外に出てこれる」。俺は天を仰いだ。やっぱりさらわれてるんじゃないのさ。
「ねえ、私のオリジナルが」
鏡の歌の口が三日月形に開かれた。
「私を遣わしたって言ったら、どうする?」
「それが本当でも嘘でも、何はともあれ、俺は歌を探す。最低でも現状を知りたい」
鏡の歌はまたため息をついた。
「決意は固いのね。ちなみに本物が私を遣わしたって言うのは嘘」
「で?」
「ま、鏡の国の王子ともある者が婚約者の兄に挨拶をしないってのもね」
案内するわ。
鏡の歌はなんてことないように言った。
「開け鏡、異国の扉となり、我を導け」
偽歌が公園のトイレの鏡(なお、男子トイレ)の前でまじないを唱えると、鏡に映っている風景がねじれて、中の空間が姿を現した。
「へーえ」
「行くわよ」
本物と中身はちっとも似ていないらしい偽歌が鏡に俺の手を引いて鏡の中に手を突っ込む。俺たちは一瞬で鏡の中に吸い込まれた。入る直前、現状報告と今から鏡の国に行くことをガラケーで親にメールした。
内臓が洗われるようなぞわっとした感覚に目を閉じて鏡を通ると、そこは昔風情の街並みだった。
昼夜は俺たちの世界と逆転していて、今が朝ぼらけの時間帯みたいだ。
「木が生えてる」
「何? 鏡の中には無機物しかないと思ってた?」
生きてる。
この世界は生きている。
夏の朝は涼しく、蝉が鳴いている。
「蝉だ……蝉!!?」
今更気付いた。
ここ十年位気にしたことがなかったから気付かなかったけど。
俺たちの世界には蝉はいない。
いや、今思い返してみると、虫自体あまり見かけない気がする。
ゴキブリが出たこともない。
夏も町は静かだった。
蚊に刺されたことも、そういえばない。
「何でここに蝉がいる?」
「せみ? あなたには不思議なものが見えているのね」
「え?」
「この世界は鏡の中。観る人の心の中をも映し出す」
「……」
「あなた、スゴイ妄想家じゃない。現実にいない生き物を見れるなんて」
俺は言葉も出なくなった。
じゃあ、この町は、現代日本?
俺の家もあるのか?
「鏡の世界のモノは、現実に持って行けるの?」
「無理ね。所詮幻想よ」
「そういえば、鏡の歌がいるなら鏡の俺もいるんじゃないか?」
「いるんじゃない? 鏡の世界の人間はオリジナルが鏡の世界を見つけて入り込むとき、本当の自由を手にするから」
……あ。
「それって鏡の俺は……」
「今頃、外を謳歌しているでしょうね」
で、
「俺は帰れるのかな?」
鏡の歌は、本物がしないような笑みを浮かべた。
「さあ?」
俺の周りの家屋が揺れる。波打って、空間に溶けるように消える。
「幻想旅行は楽しかったかしら?」
俺は囲まれていた。
鏡でできた鎧をまとった騎士たち。
俺は、どうやら、歌がいなくなって焦っていたらしい。危機管理が甘かった。敵地にのこのこ出て行くとは。
「どうするつもり?」
「何も? ただしばらくこの世界にいてもらうだけよ」
「鏡の世界の人間は、みんな本物と入れ替わりたいものなのかな?」
「あなたにはわからないでしょうね。鏡に存在を囚われて生きる気持ちなんて。……でも、それは関係ない。さっき念波が来たのよ。お姫様があなたを所望だって」
「お姫様?」
「あなたの妹。鏡の世界の次代の皇后さまよ。さみしい、さみしいって泣いてるんじゃない?」
「お姫様には召使いもつかないのか?」
「悪かったわね……この世界で、生きているのは、王子様と私だけよ」
鏡の歌が、少し悲しそうな目をしていた。
どうにもこの時の彼女の目が、忘れ難かった。
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