16 One End(1)



 その日は、いつもと少し違った。

 放課後、学校からは、あっという間に人がいなくなった。


 静寂の中、人払いの術だろうと当たりをつけながら、図書室へと歩く。


 上履きの立てる足音に耳を澄ませる。


 俺しかいないのか?


 図書室に入ると、また、まるで異空間にでも来たような、そんな気がした。


 異空間、正しく、異常な空間だった。



 図書室は、まだ高い太陽に黄金色に照らされ、その真ん中で、机に突っ伏して赤い髪の女性が眠っていた。


「リリィ? リリィなの?」


 リリィの姿は、見覚えのない大人びた女性へと変わっており、身長は昨日よりももうしばらく伸びて、冗談みたいに伸びて、身長の3倍くらいの長さになった深紅の髪は、手入れをされていないのか好き放題な方向に広がっている。


「リリィ?」


 それが、リリィ以外の者であるという考えは、全く浮かんでこなかった。

 俺にはわかっていた。

 何が起きたのかわからなくても、リリィのことがわかる……?


 図書室の窓ガラスに映った俺の右目が、赤く輝いている。


 あいにく手鏡なんて持っていなかったから、俺の目が何色かなんて見られなかったけど、目の色をはっきり意識した瞬間に、俺の視界は全く別のものに入れ替わっていた。


 右目と左目で、見えるモノが違う。


 右目の視界が、俺の今まで見たことのない情景を映し出している。


 俺の右目は、リリィを中心に渦巻く力の奔流を捉えていた。


 まるでゲームのエフェクトのよう。


 静かに、リリィの内に眠っている力。もしかしたら、リリィの魔法の根源。


「これが、魔法……?」


 リリィはまだ目を覚まさない。目を覚ましそうにもなかった。


 揺すっても、死んだように寝息を立てているだけで、途方に暮れた俺は、辺りを見渡した。


 違和感はなかった。いや、違和感を感じないというだけで、図書室の入り口はかき消えていたし、本棚に入っている本も見たことのない物ばかり。


 いつの間にか、変な場所に来ていたらしい。なのに、不思議と危険は感じなかった。


 キラキラと、何かが舞う。金色の塵。世界が金色の淡い光を纏う。ここは、現実ではない?


 本棚の一つから、一冊の本がこぼれ出た。ゆらゆら、ゆらゆら。


 俺の下へと浮遊してやってくる。


 俺は本を手に取って、そのタイトルを指でなぞった。



『沼船リリィ』



 沼船。


 ――……財閥に支配されたこの世界は、沼船(沈みそうな名前)、三宮(普通にしか見えない)、鬼城(絶対悪役)、橘(絶対普通)の4家が牛耳っている。誰もが知る当たり前のこと。


 リリィ、君は、財閥令嬢だったのか?



 本がひとりでに開き、俺はその中に飲み込まれた。






 目を開くと、そこには、あわただしく動く看護師たち。


 ここは……?


 豪邸だ。不思議と、品がある。柱は古く、天井には細かな模様が彫刻してある。沼船家の邸宅か?


「御当主様! 産まれます!」


 ナースの一人に連れられて、大柄な男が入ってくる。和の装束に身を包んで、まるで摂政か関白のよう。沼船家の当主だ。そう、誰かが俺に教えてくれたような気がする。


 産婦は、隣の部屋だ。

 全員の緊張で、場が張りつめた。

 俺は、部屋の隅で、息をひそめてその瞬間を待つ。


 ――オギャア、オギャア。


 産まれた――。


 部屋の緊迫感が一気に緩み、安堵とも感動ともつかないため息が漏れた。


「あなた……」

「よくやった。よくやったぞ……わしの子じゃ、わしの子じゃあ……!」


 感慨に浸る親を見る間もなく、パラパラパラ……ページがめくれる音がして、世界が切り替わる。




「封印が緩んでいる?」


「巫女継承の儀を行う必要があるかと」

 同じ場所だ。

「私に子を殺せと言うのか?」

「お国のためでございます。それに、身から出た錆かと」

「だが、だが、それでは、わしのリリアは……」




 パラパラパラ。




「ちちうえ?」

「リリィ、お前は離れないでいてくれるか?」

「やー! おひげいたい!」




 パラパラパラ。




「あなた。私が行きますわ」

「おまえ……」

「あの子たちが、1年でも長く、生きていられるように」

「それでは、わしは……」

「大丈夫。あなたは強いから、私がいなくても、きっとやっていけるわ……」




 パラパラパラ。




「あねうえ!」

「リリィ、今日も元気ね」

「私、今日はお茶のお稽古をしたのよ!」

「ふふ。楽しかった?」




 何を。




「ははうえが、いけにえになるって本当?」

「ッ! リリィ、誰にそんなことを聞いたの」

「母上! 本当!?」

「……リリィ、お父様がそんなことをなさるはずがないでしょう?」

「それは……そうだけど……」




 何を見せられている?




「おかあさん!! いやだよ! いっちゃいやだよ!」

「リリィ……!」

「嘘つき!! ちちうえもははうえも、みんなうそつき!! 一緒にいてくれるって言ったのに! 嘘つき!!」




 パラパラパラパラ。




「リリィは、お前が逝ってからずっとふさぎ込んでいる。リリアは、逆に、こちらが不安になるほど頑張っている。まるで、他のモノが見えなくなったみたいに。なあ、おまえ……」


 一人泣きながら晩酌をする父の姿。




 パラパラパラ。




「父上。大丈夫ですよ。私は覚悟を決めました」

「リリア」

「姉上……?」

「次の巫女継承の儀は、私が行います。私が、ここ数世代の中で一番魔法がうまいのでしょう? 私が生贄になれば、ここから100年は封印を保てますわ」

「しかし……」

「誰かがやらねばならないのです。父上」

「……すまん、すまんの」

「姉上!? やだよ! リリィはやだ! 絶対ヤダ!!」




 パラパラパラ。




「リリィ。お前が、この家の唯一の直系となる……聞け。聞けリリィ!!! お前だけしか、残らない!! 分家の連中は信用できない。腹心の旧来の部下であろうとも裏切るのがこの世界。お前が生きていくために学ばなければならないことは、山ほどあるのだぞ!!」

「やだ」

「やだではない! やれ、リリィ!」

「やだ!」

「お前の母も姉も、お前を生かすために死ぬのだ!」

「やだ!!」

「……わしだって……いやじゃ……でも何も出来んのだ。頼む、リリィ……」




 パラパラパラ。




「お勉強嫌!」

「お嬢様!」


 やっぱり。わたしよりもお姉さまの方が向いてるわ。


「リリィ」

「お父様! リリィをいけにえにしてくださいませ! 私よりも、姉上の方が財閥のためになりますわよ!」




 パラパラ。




「外の世界って、こんな風なのね! 抜け出してきてよかった!」

「あれ? あのこ、本読んでる。不思議。リリィよりちっちゃいのに、魂はお姉さまより大きい」



 パラ。



「また読んでる。リリアお姉さま以外に、お勉強が好きな人なんているんだ」



 パラ。



「ねえ、キミ、いつもここにいるよね」








 これは……リリィの記憶か?


 パラパラパラ。


 それから、時間ができると魔法で家を抜け出して図書室へと通うリリィの生活が高速で流れていく。

 俺の隣で読んだ小説の世界が目の前を走り抜けていく。


 本って、本当はこんなに楽しいの?


 素敵。私もこんな世界に生まれたかった。

 はは! おっかしい!

 なんだか、気持ちが軽くなった気がする。


 魔法の力が、増してる?


 まひとって、変な子。でも、そばにいても何も言わないし、落ち着く。


「お父様! 月夜に恋人が二人いたら、さいしょになにをするか知ってる?」

「リリィ……? どうしたんだい?」


 パラパラパラ。初めての小説が少女に与えた豊かな世界は、少女の心の世界を押し広げていく。


 あはは! 私、こんなに笑う子だったっけ?

「お嬢様、この計算は?」

 まひとと一緒に勉強したところだわ!


「ご当主様」

「うむ。リリィ、悲しみから立ち直れたようじゃな。これからも、頑張るのじゃぞ?」

「はい! お父様! じゃなくて父上!」


 本来天真爛漫な少女だったのだろう。リリィは。でも母を亡くした悲しみと、お勉強に押しつぶされそうになっていたらしい。



 本を読んでいると、前向きな気持ちになれる。お母さまが、私を励ましてくれているような気がする。


「リリィ」

「姉上!」

「最近、すごく楽しそうじゃない」

「はい!」

「よかった。あなたが幸せでいてくれて」


 でも、ときどき、涙が止まらなくなる時がある。ひとりでにあふれた涙が、止まらなくなって、でも、本を読めば。必ず、きっと何とかなるって、気がするの。


 児童図書には希望が満ちている。純粋無垢な少女は、その希望を信じてみたのだろう。




「リリィ、最近、いったいどこへ行っておるのだ?」

「図書館よ! 父上! 私、本を読んだおかげで今頑張れてるの!」

「いや、分家連中につつかれて、聞いただけだ。しかし、そうか……やはり、見逃しておいて正解だったか」

「あら! 気付いてたの!?」

「当然。子が親に隠し事などできるはずもあるまい」

「お父様……」

「よい経験になったなら、何よりだ」

「お父様、ありがとう!」



 パラパラ。



「あと3年、か」

「父上、準備は抜かりなくできております」

「リリィにはまた、辛い思いをさせるだろうな……」

「でも、あの子は母上を亡くした時も立ち直れました。きっと、大丈夫です」

「お前にも、苦労を掛けて、すまんの」

「私は、あの子の代わりに逝けて、幸せだと思っていますよ」



 パラパラ。



「あ、あった! 巫女継承の儀の記録!」


 そして、私は見つけた。

 巫女の条件は、時空魔法の魔力を持つこと。そしてその魔力がより大きい方が望ましい。 



 リリィは、お姉さんのことが大好きだったんだな。家族のことが、大好きだった。だから、どうしても、助けたかったんだろう。


 姉妹そろって似た者同士。




 姉上を守るためにこの命を使えるのなら、それほど幸せなことはない。




 献身、自己犠牲。どっちが生贄になるのが正しいかなんて俺にはわからないが……。


「お父様、お姉さま、お話があります」


 自分の魔力が姉に勝っていると示して、巫女の座を奪う気だった。


 それが、昨日のこと? 俺と別れた後のことだ。

 いや、違う。リリィは……。



 俺の見ている前で、リリィが。

 自分の魔法のことを、一族に明かした。


「リリィ! あなた何を考えて!」


「リリア姉さま。私は、私こそが、護国の誉れにふさわしいと申しているのです」


 覚悟だ。


「リリィ!? この、魔力は……」

「私を、超え――そんな……」


「父上。私は、覚悟を決めました」


 姉のリリアの運命を奪うことに決めたんだな。その代わり、父親に御目こぼしされていたリリィの外出は出来なくなった。




 そうよ。


 そして、最終的に、悩みぬいた父上は、魔法で手合わせをして勝った方に巫女の座を与える、と言った。


 姉上は必死に抗議していたが、父上もどうすればいいかわからなかったのだろう。だから、双方にチャンスがあるようにしたのよ。


 ずっと前。まひとが、「時空間転移」を思いついた時、これだって思ってたの。


 練習してた。


 空間転移を、昇華させて、時空をまたにかけて……どんな小説よりも小説らしい魔法だと思わない?


 さすがのお姉さまも、5秒前からやって来た攻撃は防げなかったわ。




 いつの間にか、本は閉じていた。




 死んだように眠っていたリリィが目を開き、大人びた風貌で俺を見た。


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