13 怪奇現象なう
夏休み明け初日だから集会やらプリント配りやらで忙しい。学校は午前で終わる。もちろん図書室に直行した。
「リリィ、いるか?」
人気のない不気味な図書室に問いかけた。
いない。
別にこれは変な話じゃない。
でも――気持ちが悪い。
何だ。何で今日はここにいるだけで背筋がぞわぞわするんだ。
数歩入って、なぜか視線を感じて、振り向いたり見回してみるが、何もいない。
どこから視線を感じているのかがわからなくて、くるくる回って、上や下を見ても、不気味な視線は止まない。
この見られている感じが本物なら、どこから見られているんだ?
何とはなしに机の下に隠れる。すると、少し、感じる視線が弱まった。
なんだか、怖い。
慣れ親しんだ図書室で抱く感傷ではない。
でも、空気がいつもと違う。
匂いも同じ、見た目も同じ。
でも、妖しい。
まさか?
息を飲んだ。
お化けと会ったことならある。幼稚園の終わりぐらいだったか。セイと出会った時だ。
あの時は、怪物から逃げて出口が見えた。
もう魔の領域に取り込まれているとしたら、出口を探すべきだ。
もしここは普通の図書室で、俺がビビってるだけなら?
その時は何もなくてよかったね、だ。
気のせいだ、気のせいだ。そう思おうとした。
でも、半ば確信めいたものが俺の胸の中にある。絶対になにかいるのだ、という予感だ。理由より先に来る確信に、困惑する。否定しようとしても、それでも、と主張してくる。
どんなに恥ずかしい妄想でも、根拠のない陰謀論だったとしても、俺はこの確信を信じたかった。
どんな創作でも、危ないわけがないと思った奴から死んでいく。
このまま、いくら待っても、何も起きそうにない。
図書室から出るための方法は3つ。図書室から書庫に通じる、普段カギがかかっている扉、普通の出入り口、窓。
窓はだめだ。ここが現実だったら落ちて死ぬ。まずは二つのドアに鍵がかかっているかどうかを調べるべきだ。
出入口は引き違い戸で、書庫への扉は普通の片開き戸。鍵をかけるなら、前者は南京錠で、後者はシリンダー型の錠前だ。南京錠は図書室の外側からつけられている。どちらの扉も開けてみないと分からない。
ぞわぞわする方向は本棚のある奥の方。出てくるなら本棚だろ。
慎重に、警戒しながら机の下から出て、目線を切らないようにゆっくり扉へ向かう。
ドサッ。
びくっとしながら音の方を見た。
本が一冊、落ちた。何ここ。びっくり系のホラゲー?
ドサドサ、ドササッ。二冊三冊と落ちていく……。
落ちた本が山を作る。
その表紙がぴくぴくする。
次に起きそうなことは、予想がつく。
これやばい! 絶対、もうすぐ来るッ!
俺は一目散に出入口に走り出した。お願い! 鍵開いてて!!
パラパラパラ……誰もめくっていないのにページがまくれる音がする。絶対動き出してるぅぅぅうううう!!
紙のこすれる音。背後に無機物とは思えない気配が生じる。
「開けッ!」
全力で引き違い扉を開く。何の障害もなく、ガンッ! と音がして開いて、で反動で戻って来た。
「閉まんなッ」
今度こそ開けて飛び出して、外から中をうかがう。本のページが分離して宙をさまよう。
何千ページ分だ?
ひらひら無作為に動いている。
扉を閉じるべきか?
空を飛ぶってことは結構厄介だし、襲われたら物量で窒息しそうだ。そして出てこない保証もない。
だが、南京錠は……あった。南京錠を通す輪っかみたいなのにかかってる。慎重に、慎重に。動いて、南京錠に手をかけ、ゆっくりと戸を閉めていく。
ぴたり。
ページが、止まった。そして、紙面が一斉にこちらに向く。
やべぇ、動きを止めてやり過ごすべきか? いや、来るか?
そう思った瞬間、ページが一斉にこっちに向かってきた。
ぴしゃん! 閉める、金具に南京錠を通す、錠をする。その3秒くらいの間に、ページがドアに殺到してけたたましい音を立てた。ドアを押して壊されないように加勢する。
心臓がバクバクいっていた。凄まじいスリルだ。
ページはやがて諦めたらしく、しぶしぶと言った感じではがれていき、図書室の奥に戻っていった。
心臓が、痛い。
ドキドキしすぎて死にそうだ。こんなに死を覚悟したのはいつ振り?
平和ボケした日本人だぞ、こちとら。
ドアを背に、一息つく。
振り返った俺の目の前に、さっきはいなかったはずの子供がいた。
「ひぐっ」
悲鳴をとっさに抑え込めた。とっさに身構え、落ち着いて落ち着いて……そう念じながら、俺は子供を見た。
「……? マヒト?」
「あれ? …………もしかして、セイちゃん? あ、久しぶり~」
紫の瞳の、はかない雰囲気をそのままに成長した、リリィ級の超絶美幼女、セイちゃん、降臨。……いきなり湧くって、この子もお化けじゃないの?
どこが安全かもわからないし出口も知らないがいきなりお化け屋敷と化したこの学校で、人間っぽいのに出会えたのは俺の余裕を生んだ。
腰まである長い長い黒髪を、後ろでまとめて、ちょっと大人っぽくなっただろうか。それとも単純に前回からの成長度合いのギャップで大人っぽく感じているだけか。
線が細い子だ。俺より身長がわずかに高い。美幼女だァ……。
「セイは何でここにいるの?」
「空間がまたつながったから」
「その空間つながる現象って、何?」
「げん、しょう?」
ここで小学生感出してくんなよ、めんどくさい……。
「俺は何でこんなのに巻き込まれてるのさ」
「霊感が強いから」
即答か、そっか……。
「どうやったらここから出られるの?」
「知らない」
困った。
「他にお化けとかに会った?」
「まだ。今来たばっかり」
ここに出現したんですね分かります。
とどのつまり、役に立たなそうだ。この美幼女。
さて、ここで俺には二つの選択肢がある。STAY or GOだ。前に進むかここにいるか。
「ちょっと探検してみる?」
「うん。出口は、だいたい入ったところから遠い」
さすが、慣れてらっしゃる。
ぴっ、手を出して握手を求めるセイ。応じると、「手、違う」彼女が求めていたのは、握手ではなく、普通に手をつなぐことだった。
俺はセイと手をつないで歩き出した。
俺の学校は図書室にその面影を残すのみで、図書室の外は全く別の建物のようになっていた。
学校の構造は、俺が今まで見たことのない奴だ。やたら上品だし、窓ガラスがステンドグラスだったり、屋根がやたら高かったり。
「どこの学校だよ」
「見て、マコト。書いてある」
指さす先を追うと、教室の窓を抜けて……教室前の黒板の上、『黄金学園 教育目標』と確かに書いてある。
「黄金学園? セイ、知ってる?」
成金っぽい名前……。
「高校の名前。知ってる。お父様が通ってた」
「なるほど?」
音を立てないようにして歩く。
「セイ、怖い?」
「怖くない」
本当に広い学校だ。うちの高校はこんなに広くなかった。
「待って」
セイが俺を引っ張った。
「そっちは……危ない気がする」
俺はしないけどね。
「……」
俺たちは引き返した。今の場所、3階の渡り廊下だな。そこにナニカがある可能性がある。記憶は必須。
どんな可能性も、捨てちゃいけない。特に命がかかってる場合はね。
「危ないとか、分かるの?」
「……なんとなく」
心強いな。
敵の姿は見えない。それが怖いよ。未知はいつだって恐怖だ。でも、手から伝わる仲間の体温と、美少女に恥ずかしい所見せられないという精神年齢大人の俺の矜持が俺を落ち着かせていた。一人だったらもっとびくびくして廊下の端っこ歩いてると思うわ。
高い屋根。開放感があるが、空気は重い。力の入っていた肩が少し凝っているのを感じる。手の届かない場所にあるステンドグラスから差し込む陽の光は、はたいて本物なのか。
廊下をしらみつぶしに見ていく。教室には入らない。何か、嫌な予感がする。それは俺たち二人の共通認識だ。本当にどこにも手掛かりがないなら、行かねばなるまいが。
3階、終わり。
2階、終わり。
4階、5階、6階、終わり。
広い。
一番広い迷路じみた本館に階段があって、そこから3つの別校舎につながっている。凸字型の建造物だ。窓は開けられない。ステンドグラスも多い。外に飛び降りられそうな窓もない。なんで俺の学校の図書室からこんなところに出たのか、理解できない。
外には校庭や街並みが見える。
「校庭広すぎるだろ」
つないでいた手を放して手汗を拭こうとしたが、ぎゅっと握られていて放せない。どっちの手汗かもわからない。
「あとは、一階だな」
「だめ。そっちは、本当に」
「じゃあ3階の渡り廊下の先?」
4階からも、2階からも階段で行こうとしたら止められた。セイは深刻な面持ちで首を振る。
「それとも教室の中を探してみる?」
「そっちの方が、まだいい」
どのみち何も見つからなかったら行くしかないのに。
スタート地点に一度戻って来た。図書室は相変わらずそこにある。扉が他よりぼろくて他から浮いている。
「行こうか?」
「マコト、手、しっかり握ってて」
怖がってるのか? 表情は余裕そうだけど。
無理もないか、と俺はぼんやり思った。ちょっと慣れてるだけの普通の女の子だもんな。多分。
危なくなさそうな教室を探して、その戸の前まで来た。
ガラリ。扉を開ける。
「もしもーし。誰かいませんか~」俺の口から出てきたのは出てきたのはカッコ悪い震え声である。
誰もいない。
教室の前方の扉を開けたまま、中に入る。虎穴に入らずんば虎児を得ず、というのはラノベであまりにありふれた言葉だ。
誰も、いない。
「セイ、何か感じる?」
「何も」
扉閉じたら何か起きるのかな、なんて試す勇気はない。
「そういえば、外から助けが来たりしないの?」
「あんまり、来ないと思う」
「そっか……」
教室の後方のドアから出る。
二人して、息を飲んだ。
俺たちは、2年D組に入った。そして、今、1年B組から出ている。
一年ってことは、ここは、一階だ。
一番、危ない場所。
「戻ろう!」
セイに強く手を引かれて教室に戻る寸前、曲がり角から、おぞましい怪物が姿を現したのが見えた。
つないでいた手を無理やり放して両手ですぐに戸を閉める。
直後、下の方――つまり一階から、「ァァァァアアアアア!!」と何かの声が聞こえてくる。
その咆哮が、空間を揺らし――。
――この学校の本当の姿が、一瞬見えた。
血に濡れた教室。
血まみれの肉体が、力なく椅子に寄りかかっている。
血。
血だ。
真っ赤。
それは、錯覚だったのか。すぐに元の教室に戻る。
視界の端が赤いまま。
「マヒト、見つかっちゃったよ――マヒト!?」
「……」
「マヒト、どうしたの!? マヒト!!」
「……あっ、え、と、せ、セイ?」
「マヒト! 正気に戻って! 大丈夫!?」
「ちょ、せ、セイ、落ち着いて」
ズズズズズ。下の階から何かを引きずるような振動が響く。
「め! 目から、血が!」
「え?」
慌てて目元をぬぐうと、確かに、動脈血じみた、真っ赤な血が、こびりついていた。
「なんだこれ?」
「マヒト、多分あいつの邪気にあてられたんだ。これ、これ!」
口になにかを突っ込まれた。紙、お札?
「護符よ。今すぐ飲んで! はやく!」
セイが怯えて、慌ててもいた。
肩を叩いてなだめながら、乾いた口の中に一生懸命唾液を出して、丸のみにはちょっと大きいお札を飲み込もうとする。その間にも、血は目元から垂れている。
「逃げるよ。ここから。マヒト、手、離さないで」
「あい」
飲み込もうとしてうぐうぐ言っている俺の手を掴んで、セイは走り出す。
孤独が怖いのか。手をぎゅっと握ってくる少女。そんなに不安か。手つなぎ依存症か??
ずずずずず、何かを引きずる音がすぐ下から聞こえてくる。
「登ってくるッ」
俺たちは2階の教室から音もなく脱出した。
幸いにして、怪物の足は速くないし、俺たちを見失っているらしい。かくれんぼの時間だ。っていうか、これ、恋愛シュミレーションゲームの世界だよね、何でこんな怖いの?
教室は、どちらかの扉から入ると、もう片方は別教室につながるみたいで、ますます鬼ごっこゲームっぽい。するとクリア条件があるはずなんだけど……。
今、俺たちはゆっくりと怪物のいない方に歩いている。
怪物の歩く速度は本当に遅かった。
足音もする。
「どうするの、これから」
耳にささやくセイに、俺は低く抑えた声で耳元にこそこそささやいた。
「とにかく急いで出口を探そう。一階を回った後に正門とか、どう?」
「うん。よさそう」
ささやきが返って来た。
怪物が通った道には、怪物の跡が残っていた。
俺がさっき一瞬見たのは、制服を着たたくさんの死体っぽいので大きな塊ができていて、それが体を引きずって迫ってくる姿だ。肉はもう腐っているのか、引きずると少しちぎれて後に残る。
肉片だらけの地獄のような階段を恐る恐る降りる。
セイは敵の気配に集中している。
ひどい匂いだ。
何でこんなグロいんだよ。R-18だよこれ。吐きそう。セイはちょっと吐いて、臭いが嫌すぎるのか俺に引っ付いて俺の服に顔を押しつけている。それでいいのか……。セクハラにならないのであれば、正直俺もそうしたい。臭いが本当に地獄。Tシャツを持ち上げて、襟を鼻まで持ってくる。俺に引っ付いていると歩きづらいセイもそれに倣った。
なんか、こういう所に、主人公第一主義というか。この世界が――身もふたもないけど、"主人公のため"なんだってのを感じるよね。臭いがきついとき、普通まずハンカチとかで鼻を押さえない? なんでひっつくの?
こうしてお化けっぽくなった俺たちは歩き回る。一階はもう、肉片だらけ。何であの怪物は1階にとどまっていたんだろう。
何もない。あとは3階の渡り廊下先、そして校舎の外。
校庭への扉は意外にもあっさり開いた。
正直、ちょっとギミックあるかと思った。
「よし、出られる」
「行こう。マヒト」
一歩出ると、そこは外の空気に満ちていた。空気がうまい。二人して深呼吸した。扉を閉じて、さっさとこの気味の悪い学校から出ようと、合図もなく走り出す。
「ねえ、マヒト。どうしてあんな怪物がいると思う?」
「さあ?」
「にくしみが集まると、怪物が生まれるんだって」
「なら、黄金学園でスゴイ憎しみが生まれてるってことだろ」
「……」
「早く、でちゃおうぜ」
「うん」
校門が見えてくる。
もし校門が出口になっていて、これがホラゲーならだいたいここで最後の鬼ごっこがあるよね。一本道。……とか思ったのがいけなかったらしい。
「アアアアアアアアアアア!!!」
よく聞いてみると色んな人の悲鳴が混ざってできたような鳴き方をする怪物が、校舎のエントランスをぶち破ってこっちに来ていた。来るの速くない?
「マコト!」
「大丈夫。あいつの足は遅い。走るよ」
いつぞやみたいに走って走って。あと20秒もなく向こうに着く。広いと言えど、この一本道は正門まで80メートルくらいである。奴と俺たちの間には広い広い物理的距離が――。
「イ"ェ"ア"ア"ア"ア"!!」
ちらっと振り返ると、肉の塊から死体が次々分離して、走ってくる!!
「ぎゃー、逃げるぞ! セイ!」
「こ、こないでーー!?」
ゾンビ走りで結構早い!?
鬼気迫る感じで必死に走って走って。これ、校門から出ても現実に帰ってこれなかったら、詰むな。
「神様ッ、おねがい、助けて!」
セイなんて神に祈ってるし。
「ああああああ、こんなとこで死にたくねええええ!」
すぐ後ろのゾンビの手が伸びる。校門まであと10メートル。
俺の判断は速かった。
「先いけッ、セイ」
「マコト!?」
手を振り払って、勢いよく振り返って、バックステップしながら後ろのゾンビに向き合う。もう2歩も離れていないゾンビから、右手がまっすぐ首に伸びてくる。後続は、まだ来ない。あと5秒くらい余裕ありそう。
このゾンビ、多分陸上部だったんだろう。だから早いんだ。つまり、
「お前を制圧できれば、俺の勝ちだ」
身長の小さい俺を全力ダッシュのまま捕まえるのは大変だろ。そんな片手だけ伸ばしてんじゃ、俺はつかまらないぜ。
脳みそが無いから、速度を緩めもせず突っ込んでくる。伸びた手を掴んで体を相手の腹の方ににするりと入れて――投げる。
柔道選択なめんな。
「おりゃああああああああ!!」
高校の授業でやったうろ覚えの背負い投げは、火事場の馬鹿力と相手の勢いで不格好ながら何とか決まり、俺の背中、首、頭にはべっちょりと死体の汁が……おお嫌だ。
「マヒト!」
校門の前で待っててくれたセイに走る。
「先いってろって!!」
「ここが出口だよ! ここまで! 早く!!」
後続と3メートル以上離しての、
「ゴォォォオオオオオル!!」
ふたりで校門から飛び出して――落ちる感覚。これは、生還――。
「――――!!」
嬉し涙まじりのセイの声が聞こえる。
校門の先に地面はなくて、体が浮く感じがして。俺を抱きしめる誰かのぬくもりを感じて。最後に、意識が薄れていった。
目を開けると、そこは図書室だった。
いつもの、図書室だ。
「おはよ、まひと」
俺を膝枕して髪の毛をいじくっていたらしいリリィが俺を上から覗き込んでいた。
「変な夢でも見た? うなされてたけど」
夢?
さっきゾンビを投げてついた液体の感触はない。
セイも、ゾンビも、ゆめ?
そういえば、前もこんな感じだった気がする。
「……って、何で膝枕?」
「うーん、なんとなく? お姉ちゃんっぽくない?」
いつもみたいに、「はいはい、おねぃちゃんおねぃちゃん」と流す元気もなく、俺は全身の体の力を抜いて、膝枕に頭をゆだねた。
「……ねえ、俺、どこで寝てた?」
「そんなことも覚えてないの? ほら、そこの机で寝てたんだよ」
膝枕されたままそっちの方を見て、見ようとして、見えないので仕方なく立ち上がった。
「膝枕ありがと」
建前のお礼を言っておく。
「どういたしましてー」
俺が眠っていたらしい机は、なんてことない。俺のいつもの席だった。席に、本が置いてある。俺が読み途中の本だった。
しおり代わりになにかがはさんであった。
「ハンカチ?」
「まひとのじゃないの? 誰の? 捨てといてあげよっか?」
リリィが寄って来た。
「なんで真っ先に捨てるという考えが出てくるん?」
「まひとのなの?」
確かに俺のクローゼットにこのハンカチはない。ないが……。
少しの沈黙があった。ちょっと考える。いや、男の子の奴っぽいし、俺のか?
「心当たりはないの?」
「そもそもこの本を本棚から持って来た記憶がない」
そうなると可能性はもう一つだと思うんだ。
これ、セイのやつじゃない?
「……ねえ、もしかして、なんか変なことあった?」
リリィは察しがいい。
「このハンカチ、多分知り合いのだ。俺がもっとく」
「なんて人?」
「セイ」
リリィの表情が、変わった。
「名字は」
「知らない」
「私のは聞いて来るのに?」
「あの子の名字にあんまし興味なかった」
リリィは何か知っているのか、はたまた黒幕か。何にせよ、何も知らない反応ではない。セイも多分、どこかで有名なんだろう。
興味なかったと言い切ると、リリィはにやりと笑った。
「わたしには興味あるの?」
「そうそう。そゆこと」
適当に流して、俺はハンカチをぽっけにしまった。
「ねえねえ、まひと」
「近くないっすか」
「いいじゃん」
顔寄せてくる。その距離感、主人公に恋したヒロインかよ。なんて安心の余りボケている俺に、リリィは恐ろしいことを言った。
「いつもと違う匂いがする」
「いつも?」
「こっちの話」
「おい、いつもってなんだ、いつも、かいでんのか? おぬし、グレゴリオ(直近に読んだ小説に出てきた変態)か?」
リリィの表情は動かない。
「だから、こっちの話」
「どっちだよ、おい」
リリィはちょっと困ったように言い直す。
「だーかーらー」
仕方ないなー、このわからず屋め、という感じの目で。
ずっと近づいてきて、耳元に……。
リリィのルビーの目がきらめく。美しすぎる輝きに、俺は、俺が真人間でなくなってしまうような気がして、顔をそむけた。
「こ っ ち の は な し」
「……」
結局、「こっちのはなし」しか言ってないじゃん……。
不覚にも、精神的年下にちょっと身構えさせられたのは、前世の俺に女性経験って言うか幼女経験――そもそもこいつは幼女なのか? 推定11歳前後……幼女と言えるのか?――とにかく女性にからかわれたことが少ないからだろうか。
「……ふふ、照れてる」
「こっちのはなしって、なによ?」
いいながら、目をそらした。目の前のリリィが美少女すぎた。
「お姉ちゃんに逆らうから、こうなるの。ところで、その隠しきれない腐臭は何? 気付いてないみたいだけど、ひどい臭いよ」
「腐臭? ……あー、えーっと、ゾンビ、みたい、な?」
「ゾンビ? 何? 現実と小説混同してる?」
「ほんとに会ったんだって。この図書室がさー」
俺がこの怪奇現象のことを話しているうちに、リリィの顔が厳しいものになっていった。
「黄金学園? ……きなくさい」
「知ってる?」
「知らないの? この国で一番頭のいい学校」
「聞いたことも……」
「"セイ"の父親が通っていたって言ったんだよね?」
「セイのこと知ってるの?」
俺の視線から逃げるように、リリィはふぅと息を吐いた。
「ねえ、まひと、私の名字、教えたげよっか」
「是非に」
「そう言われると教えたくなくなるなー」
「は!? なにそれ!? ……じゃあ別にいい」
「怒った?」
「怒ってない」
リリィはからかうのが好きだ。
「ねえ、リリィ」
「なにー?」
「俺に魔法を教えてほしい」
「……どうして?」
「暇」
「そんな覚悟なら教えられない」
「じゃあリリィは、どんな覚悟で魔法を使うの?」
「私は……覚えるしかなかった」
「ふぅん」
リリィとは結構長いこといるけど、未だに何者なのかわからない。幽霊なのか、魔法少女なのか。
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