今日たまたまラジオで新生児の重病患者を診ている先生が話をしてましてね。
NEWSの『生きろ』って曲に励まされてるって言ってました。
そんな過酷な現場の人が若い人の曲を聞くんだってのと、音楽自体は無くてもいいかもしれないけど、その音楽でその先生が頑張れるなら必要にもなるよね、と。
だから、単体で見るんじゃなくて、縁で見るって大事だなと思いました。
医療については、西洋は病を見て、東洋は人を見る。
病を見るなら理論と実験だから医者は増やせるけど、人を見るなら医者は増やせない。
ならば、一人一人が東洋医学的に自分の医者になるしかねぇ、と個人的には思っております。
医者の薬捨てたら数値良くなった人間なんで、なおさらそう思っちまうwww٩( ᐛ )و
作者からの返信
病院に行くことが、実質気晴らしになってしまっている、この社会事情こそが現代の病巣のような気がしますよね。
この状況で病院だけ減らしたら大変でしょうけど、
本質的にここまで多く必要か、というと……どうなのだろう、という疑問も湧きます。
実際、病院のお医者さんのほうがメンタルやられてるという実態もあるのかも知れませんし、かつてはあった高い志も、現場の色に染まって失われていく、ということもあるのかもしれませんし。
この問題はちょっと、軽々しく扱っちゃいけないのであんまり深掘りはしませんけど……💦
実際には必要ないものなんだから……というのには既視感。
私のは、乱歩賞作家にして、散々悪態を突きながら、愛されながらも現在は職人になった森雅裕という人のエッセイで——
小説なんてものを書いて思い上がったりせず、首を垂れて生きていきなさい。小説なんてなくたって人は生きていけるのだから。
的なことを先生にいわれたとかなんとかなんですが、考えたらなんで藝大出身の作者が、何の先生にいわれたのか🤔
もしかしたら誰かと間違えてるかもw
村上龍も、小説家とは、ほかに何の仕事もできない人の、最後に選ぶべき職業だと、13歳のハローワークで書いていました。
だからこそ。
ただ自らの楽しみのために書き、それが誰かをクスッとでも笑わせられるのだとしたら、それで充分なんじゃないか、いや過剰なくらいなんじゃないか、と思う自分もいたりするのです。
てか、なんの話でしたっけ?🤔
作者からの返信
SNS嫌いのわたしにとって、この小説投稿サイトというのは最後の砦でもあり、忌避していたものに自ら飛び込むことになった汚点(と言っては言い過ぎでしょうけど💦)なのかもしれません。
職業でこれをやってる人にとっては、もはや楽しみでさえ無くなってしまっているのかと思うと、なにやら社会の終の場所のようにも思えますね……w
なれるものならなりたいと願いつつ、職業作家とは人が羨むほどいいものではないというのも判る気がします。楽しみながら書けている今が、一番幸せな時間かもしれませんね✨️
私は、そう言いながら隣によりそうたくましい肌に手を沿わせて、情感を贈る。
「何の話でしたっけ……?」
なんて、相変わらず野暮なことをおっしゃるひと────