第11話 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

 冒頭から言い訳をしてしまいますが、標題の意味するところとはだいぶ違う内容のお話になると思います(事前告知)


 先日、再び病院に行って薬をもらってきたのですが……。

 なんと言いますかこの病院、呼ばれるまで早いのはいいのですが、診察時間が15秒くらいで終わるのってどうなんだろうな、という。

 そこは人気の病院で患者数も多いので、薬だけほしい、或いは薬出すくらいしか処置方が無いあたしのような人間に割く余計な時間は無いのだ、というのはよく分かる。病院というのは、目的が果たせれば最短時間で終わったほうが都合がいいというのが、現代人の偽らざる本音なのだろう。

 元より、私自身それを承知で通院しているのだから文句を言う筋合いのものではない。症状が改善されない、或いは悪化するようなら別な病院に行こうという「予定」まで持っているのだから、あたしも碌な患者じゃないのだろう。


 個人病院にしては、大きな建物と最新の設備。医者や看護師、整体師の数も多く、その維持費たるや莫大なものだろう。

 私のように、いいか悪いか分からないまま定期的にお金を落としていく「固定客」というのは病院経営にとっては重要なファクターなのだろう。


 兎角、文句しか言わない患者ばかりのこの現代。


 なるべくストレスフリーでお金と薬のやり取りができることが、我々患者側の民意。謂わば、多くの不満を受けその意見の平均値をとった結果がこの病院だと思えば、我々の罪というものにも幾らか思いが巡るだろうか。


 言ってみれば、病院だって商売だ。利益がなければやらないだろう。

 医は仁術というが、綺麗事で生き残っていけるほどこの世は優しくない。文句があるなら、自らを鍛え自らを律し、他人におもねず生きていくことに徹する他はないのだ。


 前話で、落語を引き合いに出してしまったせいか、ついつい落語絡みで話をしたくなってしまう。

 好き嫌いはあるだろうが、六代目円楽さん。

 あたしは好きですよ。お話がね、非常に分かりやすくて含蓄もあり、何より現代感覚と古典文化を繋ぐ(そして、落語会と一般社会をつなぐ)橋渡しとして果たした功績は大きいでしょう。


 円楽さんにはお弟子さんがおりました。かつての三遊亭楽大、ご存じでしょうか? 伊集院光という名前の方が有名かもしれませんね。(ちなみに、除籍扱いになった名前は受け継がれないのが慣例らしいのですが、この名前は新規名として別な方に使われております。現在、この名前で活動していらっしゃる楽大さんとは別です)

 師弟関係ですので、伊集院さんは数多くの言葉を頂いたそうです。


 その中で印象的だったのが、

「落語家なんてものは世の中に必要の無い商売なんだから、バレないようにやりなさいよ」

 というもの。


 必要無い、とは自虐が過ぎる気がするが、生きていくためには無くても良いものと考えればその通りかもしれない。しかし実際問題として……こんな現代には、むしろ心を救うものとしての『必須側(エッセンシャルワーカー側)』のような気が、私にはするのですが……。少なくとも、あたしのような無名の工芸品職人よりは、ずっと世の中に益しており必要な仕事だと思います、はい。


 件の病院には、もちろん医療を必要としている人も大勢いると思います。しかし、日々の惰性、または安心材料として通っている人もまた多くいるのだと思います。現在の医療逼迫の実情とは、そんな本当に必要かどうかも分からない患者が大挙して押しかけているせいで起こっているとも言えます。

 厳密に、医療の必要な人とそうでない人、いわば「医療仕分け」を行ったとしたら、いったいくつの病院が必要無くなるのでしょうか。


 冷酷な目で事実を紐解いた時、そこに用のないものが出てしまうのは避けられないことでしょう。六代目のおっしゃった言葉の、「バレないようにやりなさいよ」という言葉の意味を咀嚼すると……、件の病院はまだバレないようにやっているということなのかな、と思ったりしたものです。


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