第7話 1ー7 藩侯との謁見
仮に塩崎が江戸ではなく、京・大阪にでも逃げていれば江戸では掴まるはずもない。
主である斯波重四郎が不慮の死を遂げてから、既に三月が過ぎていたのである。
その間に得た情報は、僅かに江戸方面に向かったらしいとの噂話だけなのである。
斯波家の中間にしか過ぎない弥吉には、身を
国を出るときに三人を前に、城代家老
「江戸におわす殿直々の上意故、藩を上げて助成するが、それも一年を限りと覚悟せよ。
一年を過ぎても
後は何年掛かろうとお前たち自身の手で塩崎を探し当て、討ち取らねばならぬ。
見事本懐遂げた暁には、小一郎に斯波家を継がせ、二百四十石に取り立てて
万が一、小一郎が一命失いし場合も、本懐成就さえなれば、残りし彩華が婿取りで斯波家再興を許す。
城代の名に
二百四十石への加増はともかく、城代の言い分は一年を過ぎれば面倒は見ないと言ったに過ぎない。
斯波家再興の夢は、本懐を遂げてのみ成就するものなのである。
更には、江戸に出立する三人に
斯波家親族が助太刀は成らずとも江戸までの随行を是非にと申し出たにもかかわらず、城代は岡崎から人を出すことを拒絶し、許さなかったのである。
弥吉は、それ以上は何も言えなくなった。
「止むを得ませぬ。
許嫁の事はさておき、どうか、どうか、彩華様と小一郎様への助太刀宜しくお願い申し上げまする。」
弥吉は、畳に額を擦り付けるように伏して願った。
「松倉宗徳、
若い浪人はそう言い切った。
◇◇◇◇
二日後の
二人はすぐに奥座敷に案内され、そこで四半時ほど待たされた。
松倉は真新しい羽織袴に身を整えており、とても素浪人には見えぬ出で立ちであった。
一方の彩華は岡崎を出て以来、久しぶりに娘姿になっていた。
色鮮やかな振り袖姿は彩華の母が嫁入りの前にあつらえたという年代ものであったが、彩華を本来の武家娘に変えていた。
十日ほど前に岡崎から届けられた荷の中に入っていたものである。
お側用人が部屋に入り、声を掛けた。
「殿が間もなくお見えにござる。
御両者ともども伏してお迎えくだされ。
お声を掛けられるまで決して
間もなく廊下に気配がした。
松倉と彩華は、揃ってその場で平伏した。
部屋に人が入る気配があり、上座に座る気配が伝わった。
「両名の者、苦しゅうない。
面を上げよ。」
二人はゆっくりと顔を上げた。
途端に老中水野忠之の顔が一瞬変わった。
「そなた・・。」
腰を半分浮かしながら、そう言いかけた水野忠之の声を
「お初にお目にかかります。
某、
斯波綾香が許婚にござります。
本日は、
その時、彩華の目には水野忠之がふっと苦笑したようにも見えた。
「そうか、彩華の許嫁であったな・・・。
松倉とやら、父母は健在か?」
「はい、二人ともに健在にござります。」
「彩華の許婚として仇討の助成を申し出たと聞く。
未だに
仇討の機会あれば彩華と小一郎の助太刀を頼む。」
「
松倉は再度平伏した。
「そう、畏まらずともよいわ。
彩華の許婚たるそなたには、既に仇討助太刀の許しは与えた。
これより後は
彩華、暫しそなたの許婚を借りるがよいか?」
「え、・・・。
あの、借りるとは・・・?」
「なに、少し庭先でな、男同士の話を
そなたはここで暫し待っておれ。
そう長くはかからぬでな。」
水野忠之はそう言って立ち上がると、松倉に命じた。
「松倉宗徳、ついて参れ。」
そう言って、水野忠之は座敷の縁側に立ち、小姓に命じた。
「誰ぞ、儂とこの者の
小姓が慌てて草履二足を用意し、庭先の踏み石にそろえた。
水野忠之が草履を履いて庭へ降り、松倉もその後を追うように庭先へ降りた。
水野忠之はそのまま庭先の池のほとりに歩いて行った。
池のほとりには、小さな
彩華のいる座敷からその姿は見えるが、距離があって話は聞けない場所である。
その場に向かい合ったまま水野は静かに言った。
「
宗徳殿。」
「やはり気づいておられましたか。
あの折は
私が十二歳の折、もう十年以上も昔の事でございますが、ようも私の顔を・・・」
「宗徳殿のお顔は思い出せずとも、千代様のお顔なれば思い出せます。
宗徳殿は顔立ちが千代様によう似ておられます。
それに目のあたりに上皇様の面影が・・・。
それにしても何故の
「さしたる理由はござりませぬ。
母の許しを得て旅に出た次第。」
「彩華との婚約の件は、御両者はご存じなのですか?」
松倉はにこやかに笑って言った。
「許婚の話は、ほんの三日前に出たばかり、京に住まう父母が知る筈もありません。」
「しかし、それでは宗徳殿のお立場上困りませぬか?」
「私は、天下の素浪人、周囲に気を遣い、あるいは周囲から気を遣って戴く立場などにはございませぬ。」
「しかし、仮にも正三位大納言の地位にあるお方でしょうに・・・。
母上様が良く許されましたな。」
「母は
それよりも
塩崎何某は、大きな屋敷に巣食う子ネズミに過ぎませぬ。
それらネズミを従える大ネズミがおりましてな。
屋敷の柱をあちらこちらと
放置すれば屋敷が傾くやもしれませぬ。」
「何と・・・。
屋敷とは我が藩のことなのですかな?」
松倉は小さく頷いた。
「和泉守殿は、
黒鼠、白鼠など様々なネズミが大ネズミの周囲で
本来ネズミを
「はて、猫とは・・・。
もしや目付衆、・・・。
それも下役では無理であろうから・・・組頭格の者が?」
またも松倉は
「仇討と一緒に或いはネズミ獲りもすることになるやもしれませぬ。
そのお許しもいただけましょうや。」
「藩のことなれば、我が藩で事を収めるよう努めまするが、目に余れば宗徳殿が裁量でいかようにもご処断下されて構いませぬ。
後のことはこの水野が引き受けます。」
「お側用人の
万が一の折は、和泉守殿とのつなぎ役をお願いするやもしれませぬ。」
「承知した。
十兵衛には、内々で宗徳殿が素性明かしても
松倉は頷いた。
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