第8話 1-8 修練

 和泉守が言った。


「それにしても、宗徳殿はどこでそのようなことを知られたのやら。

 彩華の話を伝え聞く限りは、只今は伝馬町にある白木屋に居候の身分とか。

 それも彩華とご一緒に江戸に参られたのであれば、江戸滞在は未だ一月余りにござりましょう。」


「左様にございます。

 居候の浪人故、暇だけはたくさんござおます。

 市井に繰り出して色々な者と話をするのが道楽でしてな。

 そうしていると、自然と耳に入って参ることもございます。

 一つ一つは他愛のない話でも、いくつかがつながるとおぼろげな姿が浮かび上がるもの。

 素浪人ではございますが、江戸に参ってからの良き知り合いも多々おりましてな、私の意を察して動いてくれる者がおります。

 それらの者が集める話で、小さな点の集まりであるおぼろげな姿をきっちりと線でつなぐと全体が見えてまいります。」


「なるほど、宗徳様には早江戸にも確かな知己がおられるということでしょうか。

 ところで、話はかわりますが、彩華は宗徳殿が素性承知ですかな?」


 松倉は首を振った。


「彩華殿にはしばらくは伏せておきます。

 いずれ知られるやもしれませぬが、それまでは素浪人の松倉で通します。」


「なれば婚約は建前にございますか?」


「その辺は私にもわかりませぬ。

 建前が本気になるやもしれません。

 彩華殿は某に好意を抱いております。

 私も彩華殿の心をもてあそぶような真似はしたくないと思っております。」


「なるほど、・・・。

 では、宗徳殿が本気になった折には、是非に某にもお知らせくだされ。

 要すれば仲立ち等致しまする。

 少なくとも彩華を養女に迎えて後に嫁入りさせるぐらいのことなれば、容易くできようかと・・・。」


「これはまた気の早いお話で、まぁ、本日はこの辺で・・・。

 彩華殿も側近の方もそろそろ怪しむ頃合いでしょう。」


 二人は四阿あずまやの密談を終えて彩華の待つ座敷へと戻った。

 それから程なく彩華と松倉の二人は岡崎藩上屋敷を辞して、三田の方角へ向かった。


 大手町西御門下から桜田門を経て、土橋、赤羽橋を通って三田に至る道筋は商家、武家、寺社が交互に立ち並び中々風情がある。

 昼餉ひるげのために途中で小料理屋に入った二人であるが、上屋敷へ来る前と打って変わって彩華は寡黙かもくであった。


「いかがした。

 彩華殿。

 随分と無口じゃのう。」


「え、いえ、・・・。」


 彩華は暫し下を向いていたが、やがて顔を上げて言った。


「あの、・・・。

 松倉様は、お殿様とどのような話をなされたのでしょうか。

 気の所為かもしれませぬが、随分と親しげにお話をなされていたご様子。

 お殿様があのように笑みを見せられるのは珍しいとお側用人様が申されておりました。

 失礼ながら、お殿様と松倉様はお年も離れておられます。

 まして、ただの浪人にしかすぎぬはずの松倉様とのつながりがわかりませぬ。

 少なくとも初めての御対面の折に見せられたお殿様の御様子はただ事ではないように思えました。

 まるで、あの場から逃げ出しそうな雰囲気にも思えたぐらいです。

 すぐに何気ないご様子を見せておられましたが、今改めて考えてみますと明らかに松倉様のお顔をご覧になって驚かれたのではないかと思っています。」


「ふむ、そうだとすれば、私に似た誰かと勘違いをされたのではないかな。

 そうして勘違いとわかりすぐに落ち着かれた。

 だからあの時、そうか彩華の許嫁であったなとつぶやかれた。

 そなたが気にする必要はなかろう。

 お殿様は、若年寄として世情の事を私に色々と尋ねられたのだよ。

 御免色里ごめんいろざとの吉原の様子や、深川、品川の岡場所おかばしょの様子なども尋ねられたが、あいにくと儂はそのような色町いろまちに行ったことがないでな。

 その旨正直に申し上げたなら、なんだ未だその道にはうといかとお殿様に笑われてしもうたわ。」


「なんと、そのようなことを?

 それで私を遠ざけられた・・・。」


「であろうな。

 少なくとも嫁入り前の娘の前で無暗に問いただすようなことはできぬ。

 それもこれも若年寄という殿様のお役目故と考えておる。

 まさか藩侯がそうした場所へお忍びで参られるとは思えぬでな。

 まぁ、吉原なら御免色里じゃて、あるやもしれぬが、少なくとも岡場所には足を向けぬであろう。」


 彩華はほっとした表情を見せた。

 女の感で何となく宗徳と和泉守の間の雰囲気を察したのであろうが、何の証もないので更なる詮索せんさくをするのも躊躇ためらわれたのだろう。


 小料理屋で昼餉を食べ、二人が中屋敷へ戻ったのは未の上刻であった。

 松倉は中屋敷用人須藤とも挨拶を交わし、藩侯直々に仇討助太刀の儀を許された旨報告した。


 その折に、松倉は三日ほど中屋敷の庭先を借りて、剣術の稽古を願い出た。

 松倉が、彩華、小一郎、それに弥吉の剣術指南をしたいというのである。


 須藤は三日ほどの修練で剣の腕を上げることは難しいとは承知の上でそれを了承した。

 松倉はその後で、長屋で待つ小一郎と弥吉にも助太刀の一件を正式に知らせ、改めて挨拶をしたのである。


 松倉は、小一郎にも弥吉にも同じような接し方をした。

 どちらも一人の人間として尊重しているのが傍目にもわかる。


 どちらかと言うと木崎が、弥吉をただの軽輩者けいはいものとして扱い、小一郎を若輩者じゃくはいものとして軽視したのに比べ、その接し方には随分と開きがあった。

 そうした態度の違いは、小一郎の笑顔とのびのびとした態度で如実に表に現れていた。


 日ごろ口数が少ない弥吉が松倉との間では冗談を交わしあうほどであったが、弥吉はそうした中でも一歩引きさがって松倉を立てている。

 また松倉はそうした弥吉を身分に関わりなく年長者として立てているのが良くわかるのである。


 因みに、木崎要之助は彩華に不届きな行いを仕掛けたその日のうちに隠居願いを上屋敷側用人に提出、即日上屋敷を退去したと用人から聞かされていた。

 木崎要之助は家督相続を弟源之助に託して屋敷を退去したのであるが、退去後の消息は誰も知らなかった。


 ◇◇◇◇


 翌日、松倉は約定通り辰の上刻に中屋敷を訪れた。

 彩華達三人は、襷掛けたすきがけをして準備を整え、松倉の到着を待っていたのである。


 中庭で始められた稽古は随分と風変りであった。

 三人ともに真剣を持って中段に構えさせられたのである。


「中段に構えて、そのまま動くでない。」


 松倉はそう言っただけで次の指示をしないのである。

 ただ中段に構えるだけであるが、重い真剣を中段に構えたまま四半時もその姿勢を維持するとなるとほとんど苦行である。


 真っ先に弥吉の剣先が大きく振れ出し、次いで小一郎が同じく剣先を中段に構えられなくなった。

 額に汗する彩華も腕がえてきては長くは持たなかった。


 だが、同じ中段の構えをとっている松倉の剣先は微動だにしなかった。

 支える力を失った三人には、その都度、剣を降ろしても良いと言ってからも、松倉はそのままの姿勢を崩さなかった。


 松倉はそのまま更に四半時を身じろぎもせずに立っていた。

 三人はそれを見ているしかなかった。


 松倉は大きく息を吐いて納刀し、それから静かに言った。


「さて、三人ともに僅かに四半時も構えてはいられなかったのぉ。

 剣術の腕がどうこうと言う前に、まず体力がないのは明らかじゃ。

 いざ斬り合いともなれば、半時やそこら全力で刀を振り回して戦わねばならぬが、その前にそなたたちは剣を持っていられなくなるということじゃ。

 これでは仇討など到底かなわぬ。

 まずは力をつけねばな。

 今日は、この後で真剣での打ち込みの稽古をいたす。

 ただの打ち込みではない。

 一振りの打ち込みに全身全霊をかけて行う。

 続けて打ち込みをする必要はない。

 刃筋を立てて如何にまっすぐ斬れるかを確認しながら三人が交代で行う。

 一振りで相手を倒せねば、おのれの命が無いと思うて振るがよい。

 昼餉を挟んで午後も同じ稽古じゃ。

 最初に中段の構えを取り、その姿勢をできるだけ長く保つ。

 暫し休んで、一振りの稽古を順番にする。

 三日の間、その稽古ばかりじゃ。

 さすれば、どのような稽古がそなたたちに必要か自ずと見えてこよう。」


 その話のとおり、陽が西に傾くまで稽古が続けられた。

 中段の構えで力がなくなるまでその姿勢を保つのも苦しいが、八双の構えから一振り斬撃を加えるのも、回数が増えるにしたがって難しくなる。


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