第6話 1-6 報告と藩邸からの下知

 彩華の顔が喜色満面の笑顔となった。


「はい、ありがとうございます。

 とりあえずはそれで結構にございます。

 ですが、仮に名目であっても許嫁いいなずけとあれば、松倉様のお側に頻繁ひんぱんに参ります事、お許しいただけましょうか?」


「何故かな。」


「許嫁となった人のお人柄を知るためにございます。

 私の感が間違っているとは思えませぬが、それを確かめるためには、松倉様をお側で拝見させていただくのが一番にございます。」


「私の傍にいて仇討ができるのかな?」


「生憎と私も小一郎も塩崎勘兵衛の顔を定かには知りませぬ。

 塩崎勘兵衛は父が剣術指南役となってからは一度も藩の道場に参ったことはない男です。

 私も小一郎も道場で亡き父から剣の手ほどきを多少は受けましたが、その折にも会ったことはないのです。

 岡崎は左程広い領内ではございませぬが、塩崎は西外れの郡代ぐんだいに永く務めておりました故、城下で会うこともございませんでした。

 いずれにせよ、塩崎の行方は藩の横目付の方々の探索待ちでございますれば、藩邸で待つだけの毎日、ために木崎様に私たちも探索をと誘われて、それとは知らずに出会い茶屋にも入ってしまった次第。

 できますれば明日よりは松倉様と探索をしたいと考えております。」


「私にも予定があるのだが・・・。」


「ですから、松倉様の宜しき折にご一緒頂ければ宜しいのです。

 ひと月に一度なりとでも構いません。」

 

 松倉は少々あきれたように言った。


「何とも押しの強い女子じゃな。

 岡崎ではそのように男を困らせておったのか?」


 彩華は真っ赤になって否定した。


「十二の歳からこのかた、殿方にこのように間近で話をするのは父や弟を除いては初めてのことにございます。

 なれど、この機会を逃しては松倉様とゆるりとお話もできませぬ。

 ですから、清水きよみずの舞台から飛び降りる覚悟で臨んでおりまする。」


 松倉は笑みを見せながら言った。


「左様か。

 じゃが、何事も余り思い詰めては行かぬぞ。

 その覚悟はよろしいが、何事も引き際を考えながら動くが上策。

 張りつめた糸はいずれ切れてしまう。

 男女の仲も掛け合いの様なもの。

 押すばかりでは相手が引いてしまうでな。」


 門前で別れ際に松倉が彩華に言った。


「此度の事、そうして許嫁が事、中屋敷の用人には話をしておかれよ。

 早ければここ二、三日の内には、藩侯のお耳にも入ることになろう。

 上屋敷より何らかの下知げじが参れば、弥吉殿を白木屋に参らせればよかろう。

 それまでは、できるだけ三人とも中屋敷から動かぬ方がよい。

 少なくとも藩侯のお許しを得なければ儂も迂闊うかつには動けぬでな。」


「はい、それまでは中屋敷にてお待ちいたします。」


 彩華はそう言って頭を下げた。

 彩華が門前で見送る中、松倉は飄々ひょうひょうと去って行った。


 彩華は、その日のうちに、中屋敷用人須藤すどう頼母たのもに話をした。

 彩華は木崎要之助の不逞ふていのふるまいを正直に話し、その上で木崎が松倉宗徳に腕を砕かれた経緯を事細かに打ち明けたのである。


 その上で、松倉宗徳が彩華の許嫁であることを告げ、助太刀と頼んだ木崎の強力ごうりきが成らぬ以上、彩華の許嫁として松倉を助太刀に加えたいと申し出たのである。

 無論、如何様な指図さしずでも藩命には従いますると付け加えた。


 驚いたのは事情を打ち明けられた用人の須藤ではあるが、木崎の振る舞い誠にけしからぬと言い切り、夕刻にも拘わらず上屋敷へと早速出かけて行った。

 その結果は、二日後に形となって現れた。


 午前中に上屋敷より使い番が中屋敷を訪れ、翌々日巳の下刻みのげこくに松倉宗徳を伴って上屋敷へ出頭せよとの下知であった。

 その日早速に弥吉が伝馬町の白木屋を訪れたのである。


 弥吉が白木屋の暖簾のれんを潜り、手代に松倉様にお目にかかりたいと言うと、すぐにも邸内の離れに丁重に案内された。

 広い内庭に立つ瀟洒しょうしゃな離れは一介の浪人者が厄介になるにしては随分と贅沢な造りであった。


 その離れの一室で松倉に会った弥吉は、上屋敷から知らせがあり、彩華お嬢様から明後日岡崎藩上屋敷への同道をお願いいたしたいという言上ごんじょうを伝えた。

 松倉は、拍子抜けするほどに簡単に相槌を打った。


「承った。

 彩華殿には、それがしが当日辰の下刻たつのげこく中屋敷へ迎えに参ると伝えられよ。」


 弥吉の用事はそれで終わったのではあるが、長年斯波家に仕えた弥吉としてはどうしても確認せねばならぬことがあった。


「松倉様。

 御無礼を承知でお伺い申し上げまする。

 彩華お嬢様と許嫁のお約束を交わしたと伺いましたが、本当のことにございましょうか。

 本当なれば、いつどうしてそのような仲になったのでございましょうか。

 箱根山中で危ういところをお助けいただいた時がお嬢様と初めての出会いの筈。

 確かに品川までの道中、ご一緒ではございましたし、多少の話もいたしましたが、左程親しくなったようには見受けられませなんだ。

 江戸に着いてからは、私の知る限り、お嬢様は伝馬町には参られて居られぬはず。

 中屋敷からお嬢様お一人で出かけられるようなこともございませなんだ。

 先日、市内へ塩崎探索の御用で木崎様と二日ほど続けてお出かけにはなりましたが、その際に何かありましたのでしょうか。

 お嬢様のお側におりながら、お嬢様の身に何かあったのなら岡崎の奥様にも申し開きもできませぬ。

 また、松倉様が遊びでお嬢様をたぶらかしてお出でなら、斯波家に長年仕える者として決して許せぬものではござりませぬ。

 この点、松倉様からしかと返答をたまわりとうございます。」


 松倉は微笑んだ。


「その方の主家を案ずる忠義、感心するのぉ。

 今のところ儂と彩華殿の間にその方が心配するようなことは何もない。

 だが、ある出来事をきっかけに彩華殿と儂が許嫁の約束をなしたのもこれまた事実。

 その出来事と理由は今のところそなたにも口外はできぬ。

 だが、仮に彩華殿と結ばれることになろうとも、それは仇討の本懐ほんかいを遂げた暁でのことになろう。

 暫くは二人の事、大目に見てはくれぬか。

 少なくともその方に心配をかけるようなことはせぬと約束する。」


 気負っていた弥吉の肩から力が抜けた。


「やはり、本当のことにございましたか・・・。

 それにしても、松倉様は浪人とお聞きしましたが、江戸でも名の知れたこの白木屋の客人扱いのようなご身分。

 一体どのような仕儀しぎでこの白木屋へ?」


「白木屋のあるじ伝兵衛でんべえ殿とは家族ぐるみの古い付き合いでのぉ。

 その縁で厄介やっかいになっておる。」


「左様でございますか。

 ですが、仮にお嬢様が嫁入りとなれば、まさか白木屋に居候の松倉様に嫁ぐわけにも参りませぬ。

 日々のついえは如何なさるおつもりにございますか?」


「ふむ、やはり浪人者ではまずいか?」


「拙い所ではございませぬ。

 奥様がどう仰せになるかはわかりませぬが、うるさき斯波家の親類筋が口をそろえて縁談に反対することが目に見えておりまする。

 重四郎様が不慮の死を遂げられる前でも、お嬢様には岡崎藩でも名うての上士から縁談が引く手数多あまたございました。

 仇討御本懐の後は、そうした方々より更に格上の家に嫁ぐことも夢ではございませんものを・・・。

 如何に見栄えが良くてもご浪人の御身分では、嫁いで後の差し障りが目に浮かぶようでございます。

 不肖ふしょう、この弥吉、松倉様がどちらかに仕官なされるなればよし、さもなくばこの縁談に反対申し上げます。」


「そうか、弥吉殿は反対か。

 だが、許嫁の約束を交わした彩華殿の心持こころもちも少しは考えてみてくれぬか。

 それに・・・。

 許嫁になったからといって嫁入りが決まったわけではない。

 先ほども申したように、仇討本懐を遂げてからでなくばこれ以上の話は進まぬ。

 仮に塩崎と申す者に巡り会えねば、二人ともに許嫁のままじゃ。

 単に親しき仲とは見てくれぬか?」


「それは・・・。」


 弥吉の脳裏には松倉の指摘した不安が大きく被さっていた。

 藩を上げての探索にもかかわらず一向に塩崎の姿が見えないのである。


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