第61話


「ナナシについては、判らない事が多いですからね。しかもどこにでも出現する。だから、もし新しい知見があればと思ったんですが。残念です」


祖父ちゃんを見ながら御門が付け加える。

「ナナシの件について、私から報告した方が良いですか」


「いや、今回、再びこの地に現れてだったことは、『コリ』の方から報告を上げることになっている。前回については、実は儂らの方も多くを判っているわけでは無かった。亡くなった祖母さん一人だけが総てを把握していた。首を封じるところまで総てあれ一人がやったことなのでな」


 祖母ちゃんは、祖父ちゃんにも酒呑にも黙って一人でナナシに立ち向かったというのか。豪胆な人だったとは思っていたけど、そこまでだったとは。


その事実は、祖母ちゃんについて自分は何も知らないのだと突きつけられた気がした。


レシピを通じて祖母ちゃんについて多少は理解できている気になっていた俺には、少しショックだった。


「だから、詳細については、申し訳ないが儂らの方では判らない。今回のナナシの挙動については、ある程度観察して情報を上げることにしている。いつまで保つかは判らんが、しばらくはあれは触らなければ問題にはならないだろう。村の結界で十分対処できそうだしな」


「首を封じたという場所は、判っているんですか」


「それがな。村内だということは判っている。あれがそう言い残したからな。ナナシは首を封じたので、魔眼を恐れることはないとな。だが、それ以外は判らん。儂らもな、あれが病に罹った事でナナシと対峙したことがわかったんだよ。時間はそれなりにあったが、そういった事は言い残さなかった」




 晩ご飯では、山のようなトンカツと唐揚げを提供した。魔の物は総じて肉好きなのだろうか。タルタルソースも好評だった。


ナナシについては、誰も口にしなかった。魔の物が13人もいるけれど、ナナシについては興味がないのだろうか。というか、ナナシって魔の物ではないのかな。


皆、静かな雰囲気で食べていた。静かだけど、山盛りのトンカツも唐揚げも潮が引くが如くにすうっと無くなった。恐るべし。


酒呑が足りないと言うので、手軽に焼き肉を追加で焼く羽目になった。だが、御門から処理済み魔物肉のお土産があったので、何も問題は無い。


 食事が終わると御門の系列は皆、御門の影に戻っていく。そうですか、食事のためだけに出てきていたんですね。まあ、別に構わないが。


 そうすると、湯飲みを手にして御門が修行が辛かったという愚痴を延々としだした。お茶を出しただけで酒は出してないので、酔ってはいないはずなんだが。それに相手らさんは影にいるんだろうけど、いいんだろうか。


「あいつらスパルタなんだ。自分らの使い手に妥協は出来ないとか言ってさぁ」


 でも、具体的に何をどこでっていう話はなくて、ご飯が信じられないくらい質素だったという事とか、体中が筋肉痛になっていながら山を駆け巡らなければならなかった話とか、そんなどうでもよいものばかりだたけど。


 俺もさっきの話をどう消化して良いのか判らんかったから、御門の愚痴に付き合った。酒呑は肉を食うだけ食って、今日は酒は飲まずに帰って行った。


祖父ちゃんは、御門の愚痴に適当な茶々を入れて笑っている。その後は、早々に風呂に入って寝てしまった。


 翌朝、御門を祖父ちゃんが送っていった。俺は昨日祖父ちゃんから聞いた場所に行ってみた。既に移動して居なくなっているかもしれないが。


ナナシは、そこにいた。そこだけ墨汁が固まったかのようなのっぺりした首のない馬の様な姿のモノだった。姿だけ確認してすぐに帰った。祖父ちゃんが戻る頃だろうから、あまり長く留守にするわけにはいかないよなと言い訳をしながら。


あの姿を見た途端、なんとも言えぬ感情がわき上がってきて、それを抑えつけたかった。それは恐怖でもなく、怒りでもなかった。


ただ、あれをどうにかしなければというそれだけの思いが沸き立つ。なぜだろう。祖母ちゃんがあれに関わって死んだからだろうか。


「なんだ迅、お前どこかに行ってたんか」

祖父ちゃんは先に戻っていて、帰ってきた俺を見て心配そうな顔でそう言った。どうも、俺はひどい顔をしているようだ。


「ああ。ナナシを見に行った。祖父ちゃんが言ってた場所にいたよ。俺も一応見えるみたいだ」


祖父ちゃんはちょっと言葉を詰まらせた。本当の事を口にしなかったのは、祖父ちゃんも辛かったからだと思う。


「なあ祖父ちゃん。祖母ちゃんは本当に何も残していないのか」

祖父ちゃんは溜息を一つはき、奥からノートを取り出してきた。


「色んな品物の中で、これだけが可能性があるものだ。それなりの古いノートなんだが何も書かれていないんだ」


 祖父ちゃんの持ってきたノートには、表紙に『ここに書かれている文字が読める者は、読めると言うべからず』、そう書いてあった。


えっ、と思いながらも受け取ってパラパラとノートをめくる。祖父ちゃんが何も書かれていないというノートには、びっしりと字が書かれていた。


 これはあれだ。レシピノートと同じようなものなのだろう。なんでこんな面倒くさいことをしているのかは判らないが、もしかしたら読めると口にすれば見えなくなってしまう可能性だってある。


「なあ、祖父ちゃん。このノートしばらく借りても良いか」

俺がそう聞くと、祖父ちゃんは頷いてくれた。

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