第60話 ナナシ


「酒呑、あれがこの村にまた出たようだ」

開口一番、帰ってきた祖父ちゃんがそう口にした。言われた酒呑は苦虫をかみつぶしたような顔をする。


「で、どうなった」

「うむ。今のところ村の外れの結界付近で佇んでいるだけだそうだ。周囲は立入禁止に指定された。あの時のままで変化はない。さすがにあの状態では結界を越えられないようだ」

苦い声で尋ねた酒呑に、同じような雰囲気で祖父ちゃんも答える。


あれとは何か、そう思い尋ねようとしたところで一緒に迎えにでた御門が真顔で口にする。

「あれとは、もしかしてナナシですか」


その言葉に二人は厳しい顔をして御門を見つめる。

「ああ、ここに来る途中でそんな気配を感じたんです。でも、ちょっと雰囲気が違う気もして確信が持てなかったんです。ここに来たのですか。でも、結界を越えられないって言うと違いますかね」

 祖父ちゃんが戻ってきたら、その話をしようと思っていたのだと申し訳なさそうに付け加えていた。


「ナナシってなんだ」

一人置いてきぼりになっている俺は、皆に聞いてみた。祖父ちゃんと酒呑は何も言わなかったが、御門が答えてくれた。


「祟り神みたいなものかな。それに触れれば命を失うような厄に見舞われる。ナナシは魔眼を持っていて、見つめたモノに疫病をもたらすと言われている。今から百数十年ぐらい前から記録されているモノだ」


「今のナナシには眼はない。鈴花が封じたからな。だから力も弱まって結界を越えてこちらには来ぬ。今の彼奴きゃつでは見えて、触らねば問題はないはずだ」

「酒呑!」


のっぺりとした声で告げる酒呑の言葉を祖父ちゃんが強い言葉で詰る。だが、酒呑は哀しそうな目を祖父に向けるだけだ。


「幾太郎。迅は鈴花の孫ぞ。そして、今後もこの村で暮らすというのならば、きちんと伝えておくべきだ。ナナシの現状についても、他の場所にも伝えるべきだ。まあ、しばらくは様子見をしていたが。今回、もしこのまま去るようならば、他所にも伝えるべきだろう」

酒呑はそう言って、御門を見た。


 居間に戻り、俺が茶を入れる。御門は遠慮したが、この村の現状をきちんと外の者も情報を把握しておいてもらった方が良かろうということで、一緒に卓についている。祖父は静かに語った。


 5年前の初夏。この村にナナシが現れた。ナナシは突然に現れ、その周辺地域にしばらく居着くのだという。


ナナシに知らずに近づけば、その魔眼に見つめられて病を得る。知らずに触れば命を落とすような厄を得る。


見える者は、遠くからそれを避けることもできなくはないが、見えない者は知らずに近づき命を落とす。そういうモノだ。


彼の者は、ある日不意に現れて周辺をゆるりと移動していき、また消えていくモノなのだという。


「ずいぶん昔にもナナシがここをよぎったことがあった。その時に祖母さんの弟もナナシにあたって亡くなったんだそうだ。だから、ずっとナナシの対処方法を調べていたんだそうだ」


 ナナシは、その存在を滅することは出来ないモノだと伝わっている。それから齎される病には薬があった。ぬっぺふほふを使った物だ。祖母ちゃんはその処方箋を再現した。その処方箋は現在逸郎さんのところにあるそうだ。


加えて祖母ちゃんは、ナナシの首を取る方法を見つけたという。いや正確には、ナナシの身体を断ち切れる刃物を作り出したのだ。


そして、5年前。再びこの村に現れたナナシと対峙し、奴の首を切り離して封じたのだという。


その際、魔眼を通じて病を得、祖母ちゃんは帰らぬ人になった。祖父ちゃんも酒吞も、ぬっぺふほふを見つけることができなかったのだそうだ。


「ぬっぺふほふを見つけるまで、ナナシに手出ししないように散々俺と幾太郎で説得していたのだがな」


ああ、祖母ちゃんだからな、と思わなくもない。あの人はやると決めたら、必ずやる。待てなかったのは、ナナシが移動してしまいそうだったからかもしれない。三度目があるかどうかが判らないならば、と。


「あやつは、本当に阿呆だ。ナナシの首を封印し、とても嬉しそうだった」

酒呑がぼそりと呟くように言った。


「祖母さんが獲ったナナシの首は、村の結界の中だ。首塚にも封印が施してあるという。今のあいつでは、取り戻す事は出来ぬだろうて。ただ、それがいつまで保つのかは判らんがな」


俺は、何と言っていいのか、判らなかった。祖母ちゃんは、心筋梗塞で急に亡くなったと聞いていた。それが、化け物を封じるためだったなんて。


だが、妙に納得もした。自分達家族が、村に戻ったときにはすでに棺桶の中での顔しか見ていない。そうする理由があったのだろう。


 祖母ちゃんがひどく満足げなというかいい顔をしていた印象が強くて、あまり気にしていなかった。

こんなにいい顔ならば、なんとなく悔いが無いんだろうなと思ったのだ。


「今のナナシは、触れなければ害はないだろう。首無しの馬の様の様なモノを見かけたら、近づくな。まあ、結界内に入れなくもなったようから、山に入らなければ大丈夫だろう。しばらく山は立入禁止になった」


祖父ちゃんが、そう言うと黙ってしまった。皆、静かに茶を飲む。



 この村は、ちょっと特殊だと思っていた。それでも、酒呑も祖父ちゃんも強いし、村の人々は皆強かだ。だから、そんなものだと思っていた。


俺自身もなんとか対応できるだけのものは身につけていたから、問題ないだろうって簡単に考えていた。でも、そんな事は無いのだと思い知らされた気がした。


あちらの世界で、魔獣に脅かされている人々を見ても狼狽えることがなかった神来や御門は、そういう事を知っていたからだったんだな、改めてそう思った。


 しばらく誰も口をきかなかった中で、御門が口を開く。

「大変失礼かもしれませんが、少しお伺いしても宜しいでしょうか」

祖父ちゃんが伏せていた顔を上げ、御門の方を見て頷く。


「ナナシについて調べたようですが、それについては記録が残っているのでしょうか。特にナナシの首を獲った刃物について」


「刃物はナナシの首を獲ってすぐにボロボロになって朽ちた。あの刃物は、何で出来ているのか、儂も酒呑も知らん。それに確かに色々と調べていたようだが、祖母さんの残した物にそういったものをまとめた物は見つからなかった。残っているのは、魔眼の疫病への薬の処方箋だけだ」

ふうっと息を一つはいて、祖父ちゃんがそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る