第50話 如意樹


 俺も酒呑も呆気にとられた。

水面の見える場所まで漸く辿り着いたが、取り出した如意樹の種子を水中に落としてしまった。別の種子を、どこか良さげな場所へ植えようと思ったその時に、水もから音がしたのだ。


そちらを見ると、大きな枝が伸びてきたのだ。

「なんと、如意樹か」

驚いたように酒呑が言う。水面から樹木が頭を出したのだ。その樹はみるみるうちに大きな枝葉を茂らせていく。ドーム状になっていたその場所に。


青々とした葉は、日の光を受けてもいないのに、淡く輝いているようだ。ブナのような滑らかな幹は、艶々としている気がする。如意樹とはこれほどまでに美しい樹だったのかと見蕩れてしまいそうだ。


アレの作った薬は投入が始まっているはずだ。だからダムの水の中から瘴気の除去は少しずつなされていはいるだろう。だが、ダム湖の水と繋がっているとは言え、支流の水はさほど浄化されていなかったのだろうか。それとも、根が瘴気の大元に近づくことで瘴気を得やすくなったからなのだろうか。空気中よりも水中の方がより多く瘴気を内在するからか。実際の所はよく判らない。


「こやつ、植物のくせにして日の光がなくても育つのか。いや、斯様に成長が早いとは。いやはや、けったいなことだ」

 酒呑は驚愕しつつも、新しい事を知ったことが嬉しいようだ。目が生き生きとしている。


 しばらく眺めていたが、ひょいっと軽く飛んで、木の枝に飛び乗った。その後は木の上の方へと上っていったようだ。大きな身体なのに、この如意樹を上る姿は子供のようだ。いや、子猿か……。そうだよな、この樹のでかさ、異様だよ。


 如意樹は周囲の大きさが判るかのように、洞窟のドームのサイズに合わせてその生長を止めた。


さわさわと風に揺られているかのように枝葉を揺らす。実際には無風であるに。幹は徐々に太くなるのを止めた。かなりの巨木だ。


(世界樹っていうのがあるのならば、こんな風なのかもしれない)

ぼんやりと俺はそんな事を思いながら、樹を見ている。


しばらくして、ストンと俺の横に酒呑が戻ってきた。樹の上まで行ってきたようだ。

「一気にここまで生長するとはのう。お前が前に言っとたが、如意樹は瘴気さえあればよい樹なのかもしれん。まあ、この後、先々まで確認せねばなるまいが」

酒呑は、スマホを取り出すとまずは呆けた俺を撮ると、それから如意樹の姿を映した。


写真に写されて、我に返った俺は慌てて酒呑からスマホを取り上げて写真を消そうと試みたが、如何せん酒呑の方が背が高いし、力も強い。この野郎。


 しばらく俺で遊んだ酒呑は、飽きたのかさっさとスマホを仕舞ってしまった。あいつはどうも収納のような能力があるとみえて、色々なモノをどこかに仕舞ってしまえるし、突然モノを取り出すことも出来る。


 呆けた自分が悪かったと写真は諦めるしかなかった。御門に見られなければヨシとしようと自分をなんとか納得させる。後で酒呑と交渉しよう。うん。


 それに今はそれどころでは無かったんだよ。酒呑の言うように経過観察は必要だろうが、少なくともこの場所の瘴気はこの如意樹によって浄化できる可能性が見えたんだ。


「酒呑、次に行こう」

この樹一本で終わりでは無い。この周辺にある洞窟に樹を植えに行くことを決めた。種子はまだある。


 漸く外に出たときには、もう夕方になっていた。だらだらとした上り坂はそれなりの距離があった。外に出て、俺は久々に箱庭のもう一つの出口をつかった。


ここに来る前に、もう一つの出口は家に設定してきたんだ。門を家で開きっぱなしにしてあるのだ。だから、洞窟前で門を開けとくことで、家の行き来ができる。


 翌日、梛君と綿貫さんに話を通した。1ヶ月ほど休みが欲しいと。効能付きのお菓子については、喫緊の必要がある場合には対応するが、お土産用は婦人会の方々にお任せし、研究会は欠席したいとその旨を告げる。


「理由をお伺いしても」

俺は散々悩んだのだけれど、菰野さんも知っていることでもあるし、如意樹のことを簡単に説明した。その如意樹をあのダム地域に植えたいと。ただ、如意樹という名前は伏せた。


「でも、あのダムは現在浄化薬を散布することで瘴気を押さえ込めるという話を聞いていますが」


「ええ。俺もその話を聞きました。でも、万全でもないとも聞いています。この瘴気で育つ樹を植えれば少しは役に立つかもしれません。ただ、この樹のことは秘密にしておきたいんです。公にしたくないのは、種子が少ない為です。上手くいけば、将来的には増えるかもしれませんが」

正直、本当に秘密にしておけるとは思ってはいない。でも。


綿貫さんは、微笑んで頷いた。

「はい。では、出張の手続きをしておきます。何かあれば、幾太郎さんのところに連絡差し上げますので、よろしくお願いします」

「お手数をおかけします」


 家側の箱庭の門は玄関近くで開けっぱなしにしてある。見えて入れるのは祖父ちゃんと逸郎さんだけだから、別段問題はあるまい。


「じゃ、祖父ちゃん行ってくる。夜は箱庭に戻っているから晩飯食いに来てくれな。何かあったら、そん時に」



 あとはどれくらいの洞窟が発見できて、どのくらい如意樹を植えられるかだ。俺はこれからの事を考えて、ちょっとワクワクしている自分に気が付いた。


 結局、あれから12カ所の洞窟を発見し、1ヶ月近くかけて作業を終えた。

自宅へ帰る前に、最初に植えた如意樹のところにもう一度寄ってみた。1ヶ月前よりも青々とした葉が茂っており、蕾を酒呑が発見した。


順調に育っているようだ。

「一ヶ月で、蕾って」

ちょっと絶句したのは御愛嬌だ。一気に成木になったのだ。この位は、問題ない……、はず、だよな。


 ドームの中は如意樹の発光で仄かに明るい。地元に植えた如意樹も箱庭のものも発光などしていない。だが、ここに植えた樹は葉も幹も美しく煌めいている。いや~、樹木の形を見るとガジュマルっぽいんだけど、樹皮なんかはつるつるしていってなんか雰囲気が違う。そう言うのもあって、世界樹みたいって思ったのかも。俺、世界樹見たことないけど。

一体、何が違うのか。まだまだ判らない事だらけだ。


如意樹は瘴気の元を絶えさせることまではしてくれないかもしれない。だが、瘴気については十二分に吸収し、それを糧として育つことで外に漏らすこともないと思う。如意樹がダムの水は浄化し続けてくれるのは、期待できるんじゃないか。


 それに洞窟の奥で問題なく育つのならば、さほど人の目に触れることもあるまい。酒呑のような魔の物は如意樹を伐採することは無いだろう。

 酒呑をみるとそう思う。洞窟奥まで行くような人間は、迷信を信じて如意樹を伐ることもないと酒呑は言う。

「ここまで来られる奴は滅多にいない。来られる様な奴は如意樹がどんな存在か見ればわかるはずだ」


 今回の事で判ったことは、如意樹は瘴気さえ濃ければ十分に育つと言うことだ。瘴気が薄い場合は、日の光が必要なのかも知れない。一度だけ試してみたのだが、洞窟の途中の瘴気が薄い場所では全く芽が出なかった。


それからもう一つ判ったのは、毎晩箱庭の家で寝起きすると非常に箱庭の機嫌がよいと言うことだ。五日も連続して泊まっていると、朝起きると朝ご飯の用意がされるようになったのだ。


一応、妖物の出現する可能性もあるので、昼も箱庭で食べようと、昼に戻ると昼飯の用意もされるようになった。そして、勿論晩ご飯の用意も。

食料は勿論、箱庭の貯蔵庫に用意されている食材を利用しているようなのだが。


「いや、魔王討伐の旅の時にはこんな事は無かった」

そう言うと、酒呑がふむふむと何か聞いている。

「その時は、余計な連中が多かったのでしなかったのだそうだ。特に見分けのつかない女狐が紛れ込んでいたから業腹だったのだそうだ」


どうも、箱庭の通訳をしてくれたらしい。

「ああ、女狐。そうね、うん。それはそうだ。箱庭が正しい」

納得してしまった。賛同を得た箱庭は喜んでいるようだ。


そうして、1ヶ月をかけて洞窟巡りは終わった。

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