第2話 ドラックドリーム

 軽く夢を見た。余りにハッキリと意思があったせいで死後の世界を疑ったが、疑ったところで現状は覆らないし、起きたら起きたで嫌な現実が待っている。


 何も変わらないから、疑うことすらやめた。


 そういう意味では全てのことを諦めていたし、無気力だった。まるで私自身が萎れた花のように、美しく枯れていたのだ。皮肉なことに。


 どうやらこの夢の中で私はただの傍観者らしい。自分自身を確認することは許されていない。その状況に関わることを許されていない。それこそ某ゲームのスペクターモードみたいで。


 観ることに特化した夢を見ている。そんな私に関わる人物はいない。


 初めのうちは何もない真っ白な空間だったが、しばらくしないうちに風景が線を辿って、色を持って、背景を作った。


 見たことのある道路。これはマンション近くの交差点ではないか。通学路にもなっている道路を忘れる訳が無い。数か月も通れば、それなりに覚えているものだ。


 その交差点にある横断歩道のど真ん中に突っ立っているのが、私。


 左の方から車が直進してきて思わず目を瞑り、痛みを覚悟するが、それも無駄な覚悟だったらしく、車は私をすり抜けそのまま向こう側へ行ってしまった。


 ――透明人間。


 いるのに、いない。そんな冷たさと寂しさにデジャヴを感じる。


 醜きそれを否定し、ぶち壊してくれたバカみたいな人間がいたような気もするが、もう名前すら思い出せない。


 こんな関わることすら許されていない夢の中で何ができるだろう。


 寝ているのに暇になってきた。中々見ない字面だが、何せそれが事実だ。否定のしようがない。それすらも楽しめる人間もいるらしいが、今の私には到底想像できない。


 透明人間というデメリットを抱えているが、四肢はちゃんと機能してくれている。夢の中で金縛りにあっている、なんて最悪な展開は免れた。


 私はこの世界を歩くことにした。理由は至って単純、暇だから。


 夢か死後の世界か、それにしてもつまらない世界だ。時々車が通っていくが、運転席には誰もいない。本当に私一人しかいないのだろうか?


 不気味さが漂うこの交差点で、一体何ができるだろうか。


 こういった非常事態でも、常識というものは無意識に実行してしまうものらしい。

 透明だから車に撥ねられることなど無いというのに、道路を歩いても誰かに怒られることなど無いというのに。どうしてだか、歩道を歩いてしまう。


 一種の癖か、どうしようもない意識操作か。


 こうやって、普段から意識することがないせいで、気づかない意識操作がまだ存在しているのではないだろうか。

 そう思うと現実は、恐ろしい。


「……そういえば。音が無いなぁ、この世界は」


 そう、音が無い。車が通ることがあっても、それに音が無い。さっきの車だって、目視で確認しただけだった。それ故に不気味さが空間そのものに纏わりついて気持ち悪い。


 自分が出す音すらない。私が声だと思って発しているものも、耳に聞こえていないのだから心の中で思っていることと同じなのかもしれない。


 透明人間に物体があるのかどうか、よくわからないが、足音すら無いのだ。本当にただ観ているだけというのも、苦しい。


「あ」


 この世界に、登場人物が配置された。


 時々走る車以外、動くものが無かったこの世界。私は動いたとしても世界に影響を与えないから例外として、この世界で私が初めて目にした人間だった。


 彼女は自転車に乗っていて、少しずつこちらに近づいてきている。


 女性で、水色のパーカーを着ている。明るめの青のジーンズに、パステルカラーの黄色のスニーカー。墨汁のように真っ黒な髪、しかし艶やかさは残っている。


 そして何より印象的だったのは、その人の眼だった。一言で表すならば緑色なのだが、どうもそう、一言で終わらしていいものじゃない。


 夏場の木漏れ日を思い出させるような、そんな温かみのある新緑の眼だった。その眼は活気に満ち溢れていて、私のような無気力で全てを諦めている人間とは正反対。

 この人はきっと、これからも輝ける人だ。


 私はどうしようもならない人間だけど、こういう活気に溢れた人間は必要だ。

 でも、どうしてこの世界に?


「おーい」


 微塵も期待せずに声をかけてみる。


 彼の眼は一点に合わせられたまま動くことは無く、私のことなどまるで認識していないようだ。そもそも私は透明人間みたいなものだから、認識できなくても無理はない。


 一定の速度が保たれていた自転車は、徐々にスピードを上げていく。

 ちょうど歩行者側の信号が青になって、そのまま自転車はスピードを落とすことなく交差点に進入する。


 自転車に気を取られえて気づかなかったが、その自転車を追う青年がいた。


 スタンダードな黒髪で、体格よりも少し大きめのTシャツを身に着けた青年。その焦点は自転車の女性に釘付けになっている。そして必死に追いかけている。


 その眼で彼の本気さが十分伝わってきた。夜の森林を思い浮かべるような深緑の瞳。力強く真っ直ぐな眼に、心が揺れる。


 その揺らいだ心を置き去りにして、この先に何が起こるかが、ある程度分かってしまった。


 これが、私が遠目で見た景色と同じ事が起こるなら、彼はきっと。

 自分が透明人間だとか、この先の展開を変えられないだとか、そういうことはとっくの前に分かっていたはずなのに、どうしてだろうか。


 身体が助けたいと、助けたいと唸っている。


 遅くながら駆け出した脚。自転車と青年に追いつけるわけがないと分かっていながら、出来る限り、精一杯手を伸ばす。


 ドガッ――。


 自転車は見事に自動車を避けた。しかし、自転車を追いかけていた青年は跳ね飛ばされた。


 自動車はバックして、倒れた青年を避けてそのまま逃げていった。


 自転車に乗っていた女性は音に気付いて、一旦立ち止まり自転車から降りて青年の様子を遠目で観察していた。


 何を考えていたかはわからない。そこに表情というものは無かった。

 結局彼女も、青年に近寄ることなく再び自転車に乗って去ってしまった。

 徹底的に排除された世界。ふと、そんな言葉が脳裏を過った。

 透明人間の私自身、彼を眺めることしかできない。


 その彼自身も血液を床に垂れ流していない、不思議なことに。


 恐らく、現実で彼が血を流して倒れたか、なんて、見ていないから夢にも出てこない。言ってしまえば自転車の彼女の表情が読めなかったのだって、私自身が彼女の表情を見ていないからかもしれない。


 夢は、人の記憶をもとに作られる。


「はぁ……」


 自分だけに聞こえるため息。

 久しぶりに昂った神経を落ち着かせるために、考える。

 その中で、自分自身にべったりと沁みついて吐き出したくなる言葉があった。


『どうして私は死にたいのに、他人が死ぬのが嫌なのだろう』


 誰の声でもなく、ただ淡々と繰り返される呪文のような言葉。

 私を責める。

 息が詰まる。

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