オーバードーズの夢の果て
星部かふぇ
第1話 オーバードーズの妄言
七月上旬にしては過ごしやすい夜だった。汗をかくことも無く、適度に風が吹き服をすり抜けていく。その風が唇に当たると、僅かに痛む。意識することなく舌で唇を湿らし、その場の空気を噛み締めた。
自分の身に張り付いたように、常に傍にあるもの。スマホの電源を入れて自分の誕生日を入力する。いち、にい、いち、いち。溢れ出した通知に目をやることも無く、一番有名とも言えるSNSアプリをタップする。
SNS《カイッター》。パステルカラーの黄緑色と白を基調とした背景に、文字や画像を気軽に投稿できるアプリ。全世界で二十億人以上が利用している、らしい。
アプリを開いただけで友人の投稿が流れていく。その量全てを捌ききれる訳もなく、今日はどの投稿にも面白味を感じなかったため、反応することなく流し読みをしていた。
ネットでしか関わりを持たない友人がまた病んでいた。「バイト先の先輩に怒られた~泣、わたし今日何もやってないのにぃ。もう無理」と文章が書かれていて、リストカットで血が流れ落ちている動画も投稿されていた。
百円ショップで売られていそうな安物のカッターナイフで、左手首を薄く切っていく。バーコードのように並んだかつての傷がまだ残っているというのに、上書きされて同じ傷口を意図せずともなぞっていく。
ぷつ、ぷつ、と紅い血が顔を出すように空気に触れ、ようやく塞がったと思われる傷口は無理矢理開かれて、望まぬ血液が腕に沿うように落ちていった。
リスカ常習犯の少女のアカウント名を、《ロハろは》。胸焼けしそうなくらい加工マシマシで、ザ・地雷系メンヘラ女子。ここまで中身も外見も型に嵌まった子は今時中々いない。
毎日二回投稿される自撮り写真では、黒髪ツインテールでリボンはピンク。黒とピンクを基調としたフリフリのゴスロリを身に着け、地雷メイクとやらもばっちりキメている。
外側から見る分には、アンチが一定数いる。恐らく彼女はそれらのほとんどを見ないようにしているのだろう。ミュート機能か、ブロックしているのかは定かでは無いが。どちらにせよそうでなきゃ、こんなこと、ずっと続けられるはずがない。
ああ、この世界にもブロック機能があればいいのに。
嫌なものから目を背けて、好きなものだけを追っていたい。赤の他人の批判を耳にすることなく、「自分」なるものを維持できる。社会になじむために自分を殺した友人を憐みの目で見ていた自分に、罰が当たったようだ。
どうも全てのことに嫌気がさして、苦しくて、面倒臭いようで。いっそ誰かが私の代わりに私を演じてくれたらいいのに。
そんな変えようのない無駄なことをぐるぐると考えている。非常に無駄。
そんなどうしようもなくなった思いを吐き出したい。これ以外方法が無いと思い、新たな書き込みをする。
言葉は簡潔に「死にたい」とだけ。
フォロワー三千人越えのアカウントで呟いたからこそ、ありきたりな返事がいくつも返ってくる。
それも全てくだらない。「話聞こうか?」、「何があったの?」、「大丈夫?」、「死なないで」なんて、心のどこでも思っていないくせに。
総リプ数が二十を超えたあたりで、ウザくなってSNSを見るのをやめた。
心から私を思っている人なんていない。赤の他人が赤の他人に抱く感情なんて、どれも色が無く、汚い。
今いる場所は自宅のマンションの七階。ベランダから見る世界案外綺麗なものだった。
視界に映る限りでも十以上の数があるビル。そのほとんどの建物が内側から光に照らされて、慌ただしく動く人間を外に示している。
車道だってそうだ。お洒落なミュージックビデオに採用されそうな車通りの多い道で、交通事故が起きても避けるだけ。遠くに見えて近くなのだ。救助を求む声や悲鳴が、僅かに耳を掠めていく。
被害者とか、加害者とか、頭が悪いのでよくわからない。
ただ私には自転車を追いかけていた青年が、運悪く信号無視の乗用車に撥ねられたようにしか見えなかった。それだけ見えただけでも十分か。
「死にたい」とは思っているものの、LEDに照らされた都市部を眺めて、綺麗だと思う余裕はあった。人が今にも死にそうな状況を見ても尚、「死にたい」を口にする余裕もあった。
しかし、この「死にたい」も飾りなのだ。頭のどこかで分かっていた。
ここから飛び降りる勇気なんてない。夢を追いかけて野垂れ死にするやる気も無い。何かに絶望して全てを捨てる気分でも無い。
そういえば、睡眠薬を沢山飲んだ。そろそろ眠くなって、身体が動かなくなるはずだ。
飾りの「死にたい」の、微かなる抵抗。
ベランダに居たら凍え死ぬかもしれない。七月の上旬だ、そんなことはないと思いながら結局部屋に戻っていくのだ。
意志一つ貫けない。そんな私を見たら、姉はどう思うだろうか。
ベランダの鍵を閉めて、扇風機がついたままになっている寝室に戻る。
「人間の身体って、意外と頑丈なんだよなぁ」
僅かな根拠だけで発する言葉に価値など無い。無い。
確率は低いが死ぬかもしれない、そう思ったときに頭に思い浮かぶのは姉だった。
そうだ、姉は過保護なんだ。
中部の都市部から東の都市部へ。一人で生活をし、一人で進学すると言ったとき、最後までついて行こうとしてきた大学生の姉がいた。
私が行う全ての行動を心配し、その全てにおいて導こうとしてきた。何も頼んでいないというのに。それをお節介とも言うのだが、その温度さえも心地よかった。
……今はどうだ。冷え切った心、冷え切った身体、冷え切った場所。その全ての温度に慣れてしまって、温かさなんて微塵も思い出せない。
概念だけ知っている、まさにそんな状況に今の私はあった。
シーツがしわくちゃになったベッドに腰かける。いつもだったら負の感情を抱えながらしわを直すのだが、今日ばかりはどうでもいいとまで思えてきた。
きっと薬のせいで思考力が低下しているのだろう。もういっそ、全てのことを薬のせいにしてしまおう。こんなことを考えているのも全て薬のせいだ。
薬のせい。全てはあの薬のせい。簡単に入手できる、薬のせい。
私は何も悪くない、悪いのは環境だ。
家庭環境は恵まれていた。虐待なんて受けなかったし、温かい食事だって食べられた。
学校でもいじめられたことなど無かった。少し恥ずかしい過去はあるけれども、痛さを感じるほどでも無かった。テストも良い点とれたし、居心地だってそこまで悪いものじゃなかった。
あまり思い出せないけれど、楽しかったような気がする。アルバムは残ってないけれど、そんな気がする。
べたべたと纏わりつく感情を、全て睡眠欲に投げた。
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