第12話 雪のように消えて

 カミーユが、サンジュを起こさないように、そろそろとノエルの元に近づいた。

「見習いくんも疲れてしまったか……しかし、ノエル殿。あなた、王権政府のもと貴族だったのですね。それも、かなり王家に近しい方と見ました。あなたの持つ、王家の紋章が入った万年筆は、数少ない側近にしか与えられなかった希少な品だ。……これまでの数々の無礼をお許しください」

 頭を下げるカミーユに、ノエルは首を横に振る。

「やめてください、昔の話です。それに俺自身はそう高貴な家の出じゃありません。ただ、王妃様が気にかけてくださっただけですよ」

 そう言って物憂げに笑うノエルの顔に、気品を感じなくもないと思ったカミーユだが、ノエルが元貴族だと知らなければ気にもとめなかったであろう。

「しかし希少な万年筆を飾るでもなく日常使いなさるとは……」

「ペンなんですから書かなきゃしょうがないでしょう」

「それは、そうかも知れませんが……」

「ケケ、ケケケ。薄情者なのですよ、その男はァ……」

 気絶していたはずのサンジュの声が聞こえてきたのでカミーユは飛び上がった。

 目は覚めたが起き上がる力はないらしいサンジュはニタニタ笑っている。

「アタシだったら、王妃様からいただいたものなら何でも、家宝にして生涯大事に飾っておきますものを。ケケ、ケケケ。このアタシも王妃様がご健在の折は、サンジュ、サンジュ、とかわいがっていただきましてねェ…」

「何を言ってる。王妃は『サンジュ』だってお前を毛嫌いしていたんだ。前王の命令で、どんな汚い悪事にでも躊躇なく手を汚すお前を王妃は嫌っておいでだった……」

「ケケ、ケケケ! 忠実でお上品なだけで、なァんにもお守りできなかったアナタよりマシじゃないですかぁ? 氷雪卿サー・ネーヴェ?」

「……ああ、そうかもな」

 氷雪卿……そう呼ばれて、ノエルは否定しなかった。

「それはさておき、カミーユさん。俺が貴族の出だったことは、アンセルには内緒にしておいてもらえますか。こいつ、大の貴族嫌いでしてね」

 そう言いながら、ノエルは抱きかかえていたアンセルをカミーユの腕に託した。アンセルは一向に目覚める気配がない。

「そうなのですか……わかりました」

「あとは……アンセルが目を覚ましたら、色々と力になってもらえると助かります。パティスリー・ボワは引き継がなくても良い、アンセルは首都に戻ってもいいし他のパティシエに師事してもいい。あの店は取り壊して土地を売ればいいと教えてやってください。たいした値段にはならないかもしれないが」

「……? ノエル殿、あなた何を言ってるんです?」

「……あ、下に行って、警察への連絡をお願いしてもよろしいですか。アンセルも連れて行ってください。サンジュは俺が見てますので」

 カミーユは、ノエルの意図を図りかねたが、彼の言う通りにした。

「それにしても全然起きないな君は!?」とカミーユが気絶しているアンセルに不満をぶつける声がわずかにドア越しに聞こえた。

 

 廃人状態のルベル社長と、サンジュとノエルだけが社長室に残された。

 ノエルがサンジュに近寄り、うずくまったままニタニタ笑っている彼を見下ろした。

「おいサンジュ」

 低い声でサンジュを呼んだかと思ったその瞬間、いきなりノエルが無抵抗のサンジュの顔を思いっきり踏みつけた。

「ギャアアア!! モ、もがもが……」

「……王家のご一家をモレに売ったのは貴様だな。王妃はお前を嫌っていたが、国王陛下はお前を憐れんで重宝されていた。そのご恩をお前が裏切って……革命軍に、王家の逃亡先の情報を金で売ったんだろ!」

 言いながら、ノエルは今度はサンジュの胸をしたたかにふみつける。サンジュは、あばらの骨がパキリと折れたのがわかった。

「ヒ、ヒイイイご勘弁を!!」

「……俺はな、サンジュ。お前とモレを殺しに来たんだよ」

 絶対零度の眼差しで、ノエルはサンジュをみおろした。先程までのノエルは、殺意を出さずに手加減をしていたのだ、とサンジュは悟った。

「死にたくない死にたくない、お助ケ、おたすケください……」

「お前、死にたくないなら、モレのところに俺を案内しろ。」 

「ハッ?」

「王家を売った褒美を革命軍にせびったら、その卑怯な振る舞いが嫌われて逆に囚われ、王家の情報を洗いざらい聞き出したら、死刑にされかかったのをノコノコ脱走してきたそうじゃねえか……あるんだろ、政府中央から外に通じる抜け穴が。それを俺に教えるんだ。警察には秘密でな」

 逆らえば殺される――悟ったサンジュは、ノエルに従うしか無かった。


「ノエル殿、警察が来ました――あれっ?」

 警官を連れて社長室に戻ったカミーユは、絶句した。ノエルと、サンジュが消えているのだ。残っていたのは廃人状態のルベル氏だけだ。

「フランソワ・ルベルが違法シロップを量産していたのですね。ただちに連行します」

「ご協力、感謝いたします、シモン殿」

 警官たちが自分に敬礼するのをカミーユは慌てて否定する。 

「いや、違う……たしかに、サンジュと名乗る男と、今回犯人をとらえたノエル殿がここにいたのですが……まさか、サンジュがノエル殿を人質にして逃げた――?」

 カミーユはそう言ったものの、ノエルに言われた言葉がどうにも引っかかった。

「しかしノエル殿は、なぜ自分が消えることをわかっていたかのような言葉を……」

「師匠……? ノエル師匠が、どうされたんですか?」

 突然、アンセルが社長室のドアの入り口に現れたのでカミーユは驚いた。あんまり起きないので階下の労働者用ベンチに寝かせてきたのだが、それがやっと起きたようだ。

「見習いくん……ノエル殿は、ここから消えてしまったようだ」

 カミーユの言葉を、アンセルは外国の言葉のようにぼんやり聞いていた。

「え……なんで……なんで師匠が消えるんです……?」

「わからん、サンジュに誘拐されたかもしれない……まだそう遠くには行っていないはずです、あの男の脚が速いとは思えない。すぐに探してください!」

 ルベルを連行しようとしていた警官2人だったが、1人がルベルを監視したまま、もう一人がサンジュとノエルを探しに、外へ飛び出していった。

 窓のカーテンが、風に吹かれてふわりとなびく。アンセルは呆然として師匠が消えた社長室を見つめていた。

「見習いくん、そう心配するな。苦し紛れの誘拐がそう上手く行くとは思えない。それにノエル殿は強かった。すぐに戻って来るさ」

 カミーユはそう言ってアンセルを励ました。


だが――カミーユの言葉に反して、ノエルはそれから1週間経っても、戻ってこなかった。



 

 

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