第11話 ドーピング・キャラメル・シロップ

 よく見れば、社長室の隅でぐったりと座り込んでいる廃人がいた。その人物を見て、カミーユが驚いて駆け寄る。

「フランソワ!? おい、しっかりしろ!」

 フランソワ・ルベルは、カミーユに揺さぶられても、虚空を見つめながらヘラヘラ笑っているだけで返事をしない。

 おぞましさにアンセルはぞっとしたが、ノエルはアンセルを背後に庇いながら、サンジュをじっと見据えていた。

「サンジュ、お前違法菓子なんかつくってどういうつもりだ」

「なぁに、アタシも今流行りのパティシエになってみようかと思いましてネ? 魔法の材料突っ込んで砂糖で甘く味付けするだけだ。世のパティシエたちは魔法菓子職人、だなんてエラそうにしてやがるが、アタシの作ったキャラメルシロップのほうが作るのは簡単だし効果だってずっとこっちのほうが上だァ。言っときますがね、そこのルベル社長が、安くて短時間で摂取できて社員たちにバリバリ仕事をさせるモノを作れとおっしゃったんですよ。シモン社のようにのんべんだらりとティータイムなんぞやってられるか、と言ってね! ケケ、ケケケ」

 カミーユは、フランソワ・ルベルの考えは、ノエルの店に行く前の自分とまったく同じだと思った。

「そんな、ちがう。フランソワだってこんなことになるとは思ってなかったはずだ……」

「でもお望み通りになりましたでしょう? 社員たちの能力は上がり、何時間だって休憩無しに働けるようになった。まァ社長はシロップの摂りすぎで廃人になってしまいましたが……そんな事は些細なこと。ヒトの力を引出して、雇用主の望みどおりになるような菓子を作ったアタシは、パティシエとして、あなたよりも上ということですね! ケケ、ケケケ!」

 アンセルはもう黙っていられずに思わず口を挟んだ。

「いや、あり得ないでしょう……こんなのお菓子でも何でもない。あなたはただの劇物を撒き散らしてるだけの犯罪者だ。」

「アァ……?」

 ノエルしか見ていなかったサンジュはそこで初めてアンセルを認知した。

「アンタのようなチビスケに何がわかるんです?」

「僕は! パティシエの見習い仕事をするために、寝る時間が惜しくて、火の妖精の粉を直に飲み続けて体を壊したことがあります……!」

 ノエルが小声で「え、マジで?」とたじろいだのが聞こえた気がしたがアンセルは無視した。

「寝ないで元気に働けるなら、それでいいと思ってました。みんなが休めっていうのも、僕は一生懸命やってるのに、なんでそんな事言うのか、理解できなくて……でも、お菓子は、人を馬車馬みたいに働かせるために作ったり食べたりするものじゃないんです。食べたらちょっと幸せな気持ちになって、ちょっとその日がいい日になる……そういう、ささやかなものが、良いんだと思います」

 疲れきって、将来の夢さえ見失っていた時に、ノエルの菓子はアンセルに少しの元気をくれた。別人のように生まれ変わったりはできない。でも、それでいい、それがいいのだとアンセルは思った。

「僕は、ノエル師匠みたいに、誰かを少し勇気づけるようなお菓子を作るパティシエになりたいです。あなたなんて……比べる対象にもなりはしません」

「……アンセル、お前……」

「ケケ、ケケケ……言ってくれますねえ、チビスケくん。しかし、いずれわかりますよォ。君の師匠は、お上品なだけでいざというときになぁんにも守ることができない男なんでさ。なぁんにも、ネ」

 ……どういう意味なのか、アンセルにはわからなかった。けれど、その前に、ノエルがサンジュに向かって言った。

「……これ以上恥の上塗りをしたくなければ大人しくしろ、サンジュ」

「死んでも嫌だねェ!!」

 サンジュは社長室のデスクに置いてあった、瓶に入ったキャラメルシロップを一気に飲み干した。背中の大きな瘤はそのままに、サンジュの身体はどんどん大きくなり、3メートルはあろうかという大男になった。

「アンセル、避けろ――!!」

 ノエルはアンセルの腕を掴んで地面を蹴った。先ほどまで彼がいた地面は、サンジュが振り下ろしたこぶしがめり込んでいた。

「ハァハァ……逃がしません、よォ!」

 サンジュはブンブンと腕を振り、アンセルとノエルを追いかけた。

 壁に穴が空く。

 調度品は落下して、あるものは粉々に砕け散る。

 窓ガラスはガシャンと割れた。

 一発でも脳天にを直撃したら、人間は即死してしまうだろう。

「師匠、ここから逃げましょう! あんなの勝てっこないですよ!」

「……大丈夫だ、あと一分もすりゃ動けなくなる」

「は?」

「だからそれまで当たるな、よ!」

 ノエルが再びアンセルを担いで床を蹴って跳躍し、その勢いで天井のシャンデリアを掴んでぶら下がった。小柄とはいえ成人のアンセルを担いだまま片手でぶら下がるノエルの身体能力は見事だったがアンセルは焦った。

「師匠! こんなところぶら下がったらシャンデリア破壊されて僕たち終わりじゃないですか!!」

「ケケ……!!今のアタシは、無敵だアアアアアアアア!! ………アッ?」

 シャンデリアを床に叩きつけようと手を伸ばしたサンジュは、突然膝から崩れ落ちた。先程まで屈強だった身体もどんどん縮んで、元の身体よりも小さくなってしまったようである。

 サンジュがうろたえた隙をねらって、ノエルはアンセルを担いだまま、シャンデリアの下に音もなく着地した。

「何がどうなって……」

「過剰摂取の反動だよ。依存性が高まってるから、魔法の材料の効果は膨大なものになるが、どんどん持続時間が短くなるんだ。」

「何を……シロップはまだまだあるんですからね」サンジュが、懐から小瓶を取り出した。ノエルが留めるまもなく、サンジュが小瓶をあおろうとした、その瞬間。

「うわーーーッ!!」

 アンセルは全力でサンジュに向かって突進して、体当りした。小瓶が床に転がる。慌てて拾おうとするサンジュよりも先に小瓶を拾い上げると、思い切り床に叩きつけた。

 派手な音を立てて、瓶が粉々に砕け散り、甘ったるい匂いのシロップは床にぶちまけられた。

「アアアアアアアア!? 何すんだこのクソガキがあああ!」

 怒り狂ったサンジュがアンセルに襲いかかろうとする。

「アンセル!」

 ノエルがアンセルを背後にかばい、サンジュの腹に鋭い蹴りを入れた。

 サンジュは、気絶してその場に倒れてしまった。

 アンセルも、ほっとして急に力が抜け、気が遠くなって、ノエルの腕の中で意識を失ってしまった。

 

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