第15話 旧友との再会
ジャンが連れてきてくれたのは、静かな雰囲気の高級なカフェーだった。アンセルも、昔ルブランに連れて来てもらったことがあるので知っている。旧王権時代から続く老舗の名店である。ここの客は、ジャンを見てきゃあきゃあ騒ぐような真似はせず、知らぬふりをして静かに自分の時間に集中していた、あるいは集中するふりをして、ジャンたちに煩わしい想いをさせぬようつとめていた。
「ごめんね、迷惑かけて。お詫びにご馳走させて」
そう言うジャンはひとつひとつの挙動も言葉も洗練されていてアンセルは感心しつつ、気後れしてしまっていた。
「……見違えたよ、ジャン。驚いた……。あの、僕ずっとジャンに連絡しなくて、悪かったね……」
「療養していたんでしょう? ならこちらの心配なんてしてる場合じゃなかったでしょう。元気そうで本当によかった」
ジャンは、アンセルが首都にやってきたことを心から喜んでいる。彼にはアンセルに対して後ろ暗い気持ちなど一つもない。それがアンセルには眩しすぎて少し辛かった。
かつて、アンセルが入院中、ジャンが新人パティシエコンクールで優勝を飾ったとき。アンセルはひとりで勝手にジャンに嫉妬して、そして内心、何故自分ではなくてジャンが、と思った。自分が倒れたのが、せめてコンクールの後だったのなら、こうして仕事に成功していたのは自分だったかもしれないと思ってしまう。
「ジャンは……仕事は、順調そうだね」
先ほどの貴婦人たちの様子を見るに、ジャンはパティシエとして有名なのだろうということはすずにわかった。
「いや、まだまだだよ……でも、色々といいめぐり合わせがあって、今はユベール・モレ元首のところで専属のパティシエをやらせてもらっているんだ」
「そ……そう、なんだ……」
新人パティシエコンクールで優勝した挙句、ユベールにデセールを食べてもらうという自分の夢まで成し遂げているジャンに、アンセルは絶句した。昔のことを懐かしそうに話すジャンの姿に、もしもの自分を重ねて想像する。自分がコンクールに出て優勝していたら、こんなふうに颯爽とした都会的なパティシエになって、モレ元首に仕えるという名誉を賜り、貴婦人たちに黄色い声をあげられるような、そんな自分がいたのではなかろうか。田舎からやってきた友人をスマートにもてなす紳士になっていたのはジャンではなく自分だったのではないか? そんな暗い嫉妬心がじわじわと沸きあがってくる……。
「アンセルは、療養が終ってこちらに戻ってきたの? また首都で仕事を探すのかい? だったらさ、僕といっしょに――」
アンセルの暗い心を知る由もないジャンは、何かを言いかけたが、アンセルはジャンの話をほとんど聞いていなかった。
「あ、いや……実は、人を探しているんだ」
アンセルはジャンの言葉を遮って、本来の目的を切り出した。懐から、ノエルの似顔絵を出してジャンに見せる。
「人探し?」
「うん、僕の静養先で会ったパティシエの師匠なんだけど。ノエルさんっていうんだ。ユベール・モレさんに……逢いたがってたんだけど」
アンセルは言葉を選びながら伝える。うっかりノエルがユベール・モレに敵意があることを悟られてはノエルの身が危ない。
「うーん、知らないな……でも、どうしてかな。なんか見たことあるような……」
「やあ、ジャンじゃないか」
不意に、ジャンに声をかけた人物がいる。
その人物を見て、アンセルは思わず「あ……!」と声を上げた。
すらりとしているがしなかやかな筋肉質の身体を黒い軍服に包み、黒髪を肩にかけた、眼帯の男性……ユベール・モレ元首だった。
「ユ、ユベ……!」
「ユベール様! またそのように身軽にフラフラと……少しは国家元首の自覚を持ってください」
緊張して名前も呼べないアンセルに対して、ジャンはユベールをたしなめるように言う。
「大丈夫だよ、私なら――」
「動くな!!」
突然、ユベールの背後から、喉元に向かってにゅっとナイフが突きつけられた。……否、いつの間にか見知らぬ男が、ユベールの背後からナイフを突きつけてきたのだ。そして、いつの間にか店内は、武器を持った男たちに囲まれているのだった。
「きゃ、きゃあああ!!」
カフェーの女給が悲鳴をあげた。アンセルは突然のことに動くことができなかった。ジャンは、「やめろ、このお方が誰かわかっているのか」と、犯人を刺激しないように低い声で語りかける。一方、喉元にナイフを突きつけられているユベールは。
「おやおや――ちっとも気が付かなかったな」と、呑気に感心していた。
「我らは革命政府に反旗を翻し、本物の、人民による人民のための政府を立てんとする者たちだ! ユベール・モレ! 今の我が国は王がお前に成り代わっただけの独裁国家だ! また、旧王家時代から続く金持ち専用の店に来ているお前たちも同罪だ! この店を客ごとぶち壊して新政府の狼煙としてやる。だが、その前にこの店にたんまりとため込んでいる金を渡してもらおう」
言っていることが無茶苦茶だ。しかし相手は、ナイフにナタに、鉄砲まで持っている。
「強盗は問答無用で死罪だぞ? こんなことで命を無駄にするなんてもったいないんじゃないかい?」
ユベールは、弁解するでもなく、のんびりと言うが、犯人はせせら笑った。
「ハン、命乞いか、見苦しいぞモレ!」
こんなところで、自分は師匠にも会えずに死ぬのか――命の危機を感じたアンセルが真っ先に思い浮かべたのは、ノエルの顔だった。
あんたいきなり消えてどういうつもりだったんですか。せめて理由くらい言って行けばよかったのに。あなたを探しに首都に来たせいで、強盗に襲われて死ぬなんてさすがに理不尽すぎるでしょう。
師匠、あなた今いったいどこにいるんですか。あなたに会えないままで、あっけなく僕は死ぬんですか?
アンセルがノエルへの恨み言を募らせていた、その時。
「なんッ――!?ぐああああ!!」
突然、武器を持っていた男たちが一気に数人ばたばたと倒れた。
「な、何が起きた―!?」
ユベールにナイフを突きつけている男が困惑して大きな声を出すが、その間にも、何人もの男が、次々と倒れていく……誰かが、目にも止まらない早業で、賊を倒しているようなのだ。血は出ていないところを見ると、武器を使っていない格闘術のようである。
「な、何者だ!! 妙な真似をするな、こっちはモレを人質にとっているんだぞ!」
そう言って、男がユベールの首にあてたナイフにわずかに力を込めると、表面に、わずかに血がにじんだ。
「あ、傷つけてしまったかあ」
ユベールがぽつりとそう言ったかと思うと。ユベールはいきなり裏拳を犯人に繰り出した。その細身から繰り出されたとはにわかに信じがたい威力で、犯人の男はどうと倒れる。
「な、貴様、」
犯人が立ち上がろうとしたところで、ぬっと黒い影が男に差した。いつの間にか、軍服を着て軍帽をかぶった男が犯人の背後に回り込み、サーベルをその首に突きつけていたのだった。
「ヒ、ヒイィィィ!!」
「……殺しますか」
抑揚のない声で、軍帽の男が言う。……なんだか、聞き覚えがあるとアンセルは思った。
「まあ待ち給え。彼は十中八九死刑だろうが、一度は話し合うべきだ。生きたまま連行しよう」
「……御意」
「何を――!ふざけるな、そう言って連れて行かれた仲間たちは、みんなお前の信奉者になってしまった!!何か怪しげな魔術でも使っているんだろう、モレ! そう、神を冒涜するような、そんな魔術を……!!」
「おやおや、ひどい誤解があるようだ……君も、この国の未来を真剣に考えている志士なのだろう? ならば、共に国家のあり方についてとことん話し合おう! 強盗は本来みんな死刑だが、うむ、きっと私たちはわかりあえるはずさ!」
ユベールの英雄らしい笑顔に、一同は、ほう、とうっとりしてため息をついた。
だが、笑顔を向けられた犯人は恐怖で顔が青ざめている。
「あ……だ、誰か、たすけ……!!」
「だから、死刑になどしない。話し合いをして、仲間になろうじゃないか」
「い、イヤだ……!! か、帰らせてください!!お願いします!もう二度と逆らいません……母ちゃああああん!!」
犯人以外の周囲の人間は、何をそんなに怯えているのかわからなかった。
ともかくも、ちょうど、騒ぎを聞きつけた警官たちが駆けつけてきて、犯人たちは連行されていった。
「ユベール様、お怪我は!?」
ジャンが、真っ先にユベールのもとに駆けつける。ジャンだけでない、店中の者みんながユベールに駆け寄った。
「なあに、切れたのはほんの薄皮一枚だよ」
「念の為医者に診てもらいましょう!」
「ユベール様に傷をつけるなんて許せん!」
「きゃああユベール様ー!」
ジャンのことは見て見ぬふりをしていた人々が、ユベールには我を忘れてみな夢中になってしまうのだった。
――そんな中。アンセルは唯一人、軍帽を深く被った、背の高い男をじっと見つめていた。彼は直立不動でユベールを見つめていたが、アンセルの視線に気がついて、振り向いた。
「――なんだ、私の顔に何かついているのか」
その声、その姿、そして軍服の下から覗くその顔。間違いなかった。彼は、アンセルの師匠、ノエルだ。
「師匠、こんなところで何やって……」
「師匠? 何のことだ。私は弟子など取ったことはないし、お前に会ったこともない」
「嘘でしょう……? 忘れてしまったのですか?あなたはパティシエでしょう? 変な冗談はやめてください」
「君こそ、ふざけているならいい加減にしろ。パティシエなんて……甘くて綺麗な菓子を作れるだけの連中など、何の役にも立ちはしない。私は、生まれながらの軍人だ」
アンセルは、信じられなかった。目の前の人は、間違いなくノエルその人のはずなのに。絶対に、人違いなどではない。
「待ってください、ノエル師匠……!」
アンセルは手を伸ばすが、ノエルは聞こえなかったかのように無視した。……ノエル、というのが、自分の名前だということを、わかっていないように。
「助かったよ、
ユベールは、ノエルに向かってにこやかに、さう呼んだ。
「……いえ。これくらい当然のことです」
無表情に答えるノエル……いや、氷雪卿の肩を、ユベールは朗らかに抱いた。
「謙遜するな、君は革命政府最強の男だよ。誇りに思ってくれ」
「……はっ」
敬愛するユベールが、別人のように無表情になったノエルに触れている。
アンセルの心臓がドクンと音を立てた。
ユベールに親しげにされているノエルが羨ましいのではなかった。
ノエルがユベールに触れられていることに、嫌悪感を感じたのだ。
それはとても生理的な、反射的と言っていいもので、何故ユベールに嫌悪感を抱いたのか、アンセル自身にもわからなくて、戸惑った。
そんな、複雑な思いで自分を見つめる視線に気がついたユベールは、そこでようやく……ようやくアンセルに気がついて、言った。
「君はジャンのお友達かな? 年の頃はふむ―15、6といったところか」
「えっ……」
アンセルは絶句した。憧れのモレ元首は、自分のことを何も覚えていないのだ。卒業式で話してから1年も経っていないのに。
「ユベール様、彼は僕の製菓学校の首席だったアンセル・ルブランくんですよ」
「ん……? 会ったことが、あるのか? これはすまない……!!興味が薄い人間のことはすぐに忘れてしまうんだ……! いや、しかしそういえば、ジャンが、いつか一緒に店をやりたい友達が居ると言っていたが、もしかして彼のことか?」
「はい、そうなんです」
何も覚えていないユベールにショックを受けているアンセルをよそに、ユベールとジャンは二人で話を進めてしまう。
「若くて夢があるというのは素晴らしいことだ。邪魔をして悪かったな、ジャン。ゆっくり友人と語らってきてくれ。では、行こうか、氷雪卿」
「御意」
師匠、あなたそんな喋り方しないでしょう? そもそもユベール様を殺すつもりだったんでしょう?
なのに、どうして、どうして二人で肩を並べて……その様が、絵になりそうなくらいに似合っているんだ。
「ユベール様、やっぱり素敵ねえ」
「お隣の護衛の方もなかなか素敵な殿方ですわ」
「氷雪卿、とおっしゃいますのよね。でもなんだかお二人がお似合いすぎて、私、あそこに飛び入るだけの淑女が存在すると思えませんわ」
そうなのだ。ましてやチビスケの自分が師匠を追いかけたところで余計惨めになる気がして、アンセルは追いかけることができなかった。
「どうしたの、アンセル。ぼーっとして」
ジャンの言葉に、アンセルはようやく我に返った。
「大丈夫? 疲れただろう、奥で休ませてもらおうか……?」
事件の心労をジャンは心配しているようだが、アンセルは首を横に振った。
「……あの人なんだ」
「え?」
「あの人、なんだ。僕が探している人……」
「ええ!? 氷雪卿が!? 確かに顔は似てたかも……でも、さっき魔法菓子作りの師匠だって……いや、そもそもなんでさっき本人に直接訊かなかったの?」
ジャンのもっともな疑問に、アンセルは言葉に詰まった。
「本当だよな、なんでだろう……ノエル師匠が、ユベール様と並んでるのが絵になりすぎて、追いかけられなかった……僕、ユベール様に覚えてすらもらえない、ただの若造だし……」
アンセルの目に、何故か熱く込み上げてしまうものがあった。
「師匠も、田舎のパティスリーでチビスケの僕なんかと貸しを作っているより、首都でユベール様の護衛をしてるほうが、幸せなのかも……」
そう言いながら、俯いてしまうアンセルの目に、光る涙を見つけたジャンは、アンセル本人よりも早く、彼の気持ちに気がついてハッとした。
アンセルは、ノエルのことを、師匠以上の特別な存在として、慕っているのだ。
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