第7話 菓子をつくるは誰が為か

 店に戻ってきたアンセルはヘロヘロに疲れていたが、身体を洗い、着替え、少し仮眠をとると、真夜中にスッと目が覚めた。アルジョンテ採取の前に昼過ぎまで眠ってしまっていたからだろう。

 ともかく、アンセルが起き上がって部屋を出てみると、厨房にノエルが立っていた。調理台には、製菓材料の小麦や砂糖の他、先ほど採取してきたアルジョンテの花が2輪置いてある。 

「おう、起きたのか」とノエルが事も無げに言う。

「起きたのかって、そりゃないですよ師匠、僕だって苦労して手伝ったんですから、アルジョンテでお菓子作るなら僕にも見せてくださいよ」

「ああ、すまない。よく寝てたから起こすのも悪いと思ったんだ」

 思いの外ノエルはすんなり自分の非を認めた。

「すぐに支度しますから、待っててください」

 アンセルは急いで手を洗い、ノエルの予備のエプロンと帽子を拝借し、厨房に駆けつけた。

「……では、今日はアルジョンテを使ったタルトを作る。お前は、アルジョンテの花びらを5枚、砂になるまですり潰せ」

 ノエルは言いながら、自分は土台のタルト作りに取り掛かっていた。彼の指先から、魔力がこもった光が溢れて、生地の中に混ざり込む。ノエルが手際よく魔力を菓子に練り込んでいく様子は美しく、作業をしながらアンセルは目を奪われてしまう。ノエルの腕は、やはり首都の一流パティシエたちに勝るとも劣らない。

 材料を見るに、土台はチョコレートタルトにするようだった。夜の空のように黒いビターチョコに、アルジョンテの白銀の装飾はよく似合うだろう。アンセルが潰している、粉になったアルジョンテは粉糖のようにふりかけて、もう1輪は花のままタルトに飾るのだと予想ができた。

「アルジョンテを2輪だなんて贅沢ですね。どんなお客様が買いにいらっしゃるんです?」

「客の詮索をするな。……まあ、1週間前にこのケーキを予約したのはお得意さんのマダムだよ」

「はあ、その女性のためにこんな豪華なタルトを……」

「おい、何を勘ぐってるのか知らないが、これは娘さんへの誕生日ケーキだ。一度でいいから、パティシエのケーキを食べてみたいんだと」

 ノエルはアンセルと話しながらも、決して手を休めない。タルト生地がオーブンに入れられた間に、チョコレートが煌めき、とろけて、宙を踊りながら混ざり合って、ノエルの魔力を受けて夜空のようにきらきら輝く。

「娘さんは生まれつき肺が弱いらしくてな。それで肺の薬になる白銀華アルジョンテをご所望だったんだ。この村には、パティシエは俺一人しかいないからな」

 首都にはパティシエたちが溢れるほどいて、しのぎを削っているが、この町にはノエルしかいない。町にたった一人のパティシエ。魔法の製菓材料も自分で採らねばならぬ環境。それは、首都のパティシエとは違う苦労があるのだと、アンセルはその一端を、今日と昨日とで思い知った。お気楽な商売だと八つ当たりで言ってしまったのが恥ずかしい。

 そうこうしているうちにタルトが焼けて、魔法で粗熱を短時間で取り、チョコレートタルトが出来上がった。あとは装飾だ。

「……仕上げだ。アルジョンテの粉を、振りかけるんだ。お前がやってみろ」

「いいんですか?」

「ああ」

 アンセルは、少し緊張して白銀の粉を振りかけた。チョコレートにかかるアルジョンテは、雪のようでもあり星の欠片のようでもあった。

 最後にアルジョンテの華を飾り終えたところで、ノエルが砂糖と薄荷を戸棚から取り出してきた。

「試しにこれで子供用の飴を作ってみろ」

「え……でも、僕、」

「たぶん今なら大丈夫だ。……別に失敗したって怒りゃしねえよ」

 ノエルに言われて、アンセルは恐る恐る指先に魔力をこめた。丸くてころころの、宝石のような飴になれ――アンセルの想いに応えて、砂糖と薄荷が光り輝き始めた。アンセルの指の動きに合わせて、砂糖と薄荷が調理台で踊り始めて、混ざり合い、やがてそれは5個の小さな飴になった。

「師匠……!で、できました!」

「ああ、リハビリとしちゃ十分だろ」

 アンセルは、飴を色とりどりの銀紙で包んだ。飾り付けたタルトと、飴の入った小瓶を前に、アンセルはノエルと共に、仕上げの言葉を紡いだ。

「この菓子を食べた人が、幸せな気持ちになりますように」

 それは、パティシエが魔法菓子を作り終えたときの決まり文句だった。ホテルで見習いをしていた時も、菓子の最後の仕上げには必ず食べた人の幸福を祈る言葉をかける。

 ホテルの業務で1日に何回も口にしている間に……いや、製菓学校で実習の度に口にしていたから、口癖になり、いつからか、上辺だけで言うようになってしまって気持ちを込めることを忘れていた。だが、今日のアンセルは、泥にまみれてアルジョンテを採ってきたことを思い、まだ見ぬ母が娘を想う気持ちを思って、心をこめて祈ることができた。

 

 翌日。アンセルとノエルは店に立ち、タルトを取りに来た母娘を出迎えた。

 母親は妙齢の美しい人だったが、希少なアルジョンテのタルトを所望するにしては、やつれてみすぼらしい格好なのにアンセルは内心驚いた。もう寒いのに、素足にぼろぼろの木靴をはいている。たいして、女の子の服は、さまざまな模様の布の切れ端をパッチワークで縫い合わせた、可愛らしい服を着て、髪には花をつけていた。貧しいながら、母親が工夫して娘に可愛らしい装いを手作りしていることがわかった。

「お待ちしておりました。アルジョンテのチョコレートタルトでございます」

 アンセルが笑顔で、銀粉と華が飾られたチョコレートタルトを見せる。ホッとしたような笑顔を見せる母の足元で、女の子は「きゃあー」と叫びながらぴょんぴょんと跳ね回った。しかし、すぐにゴホゴホと咳き込みはじめてしまった。

「ああ、マリー、だからはしゃぎすぎてはいけないと言ったのに……」

 母が心配して娘の背中をさする。すると、それまで黙っていたノエルが、店の奥から水を持ってきて、女の子の前にしゃがんだ。

「ゆっくり息をするんだ……よしよし、いい子だな。さ、これを飲むんだ」

 ノエルに言われて呼吸を落ち着けた女の子は、水をゆっくり飲み込んだ。

「アンセル、あれを持ってこい」

「わ、わかりました!」

 アンセルは昨晩つくったキャンディの入った瓶を差し出した。

「薄荷と薬草でつくったキャンディだよ。胸がスーッとするよ」

「わぁ、ありがとう、パティシエさん!」

 アンセルが言うと、娘は素直に受け取り、母親は恐縮した。

「お代はいかほどでしょうか……」とノエルに尋ねる。

「良いんです、うちの見習いがつくったオマケだ」

「そんな、タルトだって銀貨2枚で売っていただいたというのに……」

 母親の言葉にアンセルは思わず勢いよく振り返ってしまった。アルジョンテの華は、首都では一つで金貨10枚はするのだ。それを2個も使ったタルトが、銀貨2枚など破格すぎる。

 だが、貧しい母娘が、タルトの入った箱を抱えて、とびきりの笑顔で幸福そうに笑い合っているのを見れば、アンセルに文句が言えるはずもなかった。むしろアンセルは感嘆していた。かつて王侯貴族しか口にできなかった魔法菓子を、ノエルは、貧しい人々にも破格の値段で提供している。幸福は、皆に平等なのだ……革命の英雄ユベールの理想を、ノエルはこの田舎町で体現しているのだとアンセルはひとり納得していた。

 母娘が店を出てから、アンセルはノエルに言った。

「なるほど、わかりました……僕、一流のパティシエになりたいと言いながら、自分のことばっかり考えていて恥ずかしかったですね……師匠は、この町の、貧しい人々の笑顔のために、お菓子を作っているんですね。」

「違うよ」

 返ってきたノエルの声が、ひどく冷たくて、アンセルは思わずノエルを振り返った。

 幸福そうな母娘を見送ったばかりだというのに、ノエルの目は空虚で、ひどく寂しげだったのだ。

「俺が菓子を作って食べさせたいと思っていた人は、もうこの世のどこにもいない」

「え……」

「俺がパティシエをしている理由なんざ、そう立派なもんじゃない。お前みたいに野心があるわけでもない。みんなの笑顔が見たいだの、聖人のような気持ちでいるはずもない。……ただ、俺は」

 ノエルは、ここではないどこか遠くを見つめるような眼差しで、呟くように言った。

「赦されたくて、菓子を作ってる」

 アンセルは、森の奥ではあれほどたくましく、厨房では魔法使いのように華麗な製菓を魅せたノエルが、一気に枯れ木のような廃人めいた雰囲気になってしまったことに驚き、しかし何故か目を離すことができなかった。

「赦されたいって……誰に、です……?」

「まだ出会ったばかりの新米弟子には教えられねえな」

 そう言われると、アンセルは何も聞けなかった。そんな彼に背を向けて、ノエルは「俺は少し休む」と言ってふらりと自室に入ってしまった。

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