第6話 アルジョンテの華と魔獣

 アンセルがノエルに連れられてやってきたのは、パティスリー・ボワよりもさらに奥深い森の中だった。人の手入れなどされておらず、草木はぼうぼうで、虫がそこらじゅうを飛び回っている。

「なんでパティシエが自分で、こんな危険な材料採取までするんです……? 普通お店で買うでしょう」

「こんな田舎に製菓材料店があると思うか」

「無いんですか!?」

 アンセルは驚愕した。パティシエは菓子作りに、品質の良い食材を見極める必要こそあれ、それは食材を売る店があることが大前提なのである。自分で森の奥深くに行って材料を取ってくるのは材料屋の仕事だと思っていた。

「もちろん、果物や小麦なら、町に良いものが売ってるよ。普段は俺もそこで買っている。だが、魔法がこもった製菓材料となると、都市部に近い店にしか売ってない。だが、そんなの時間と金がクソみてえにかかるからな。自分でとった方が早い。製菓学校じゃアルジョンテの採り方も教わらなかったのか?」

「少なくともこんな実践は初めてです、わっ……!!」

 泥に足を取られ、アンセルは顔から地面に思いっきり転んだ。

「大丈夫か」

 ノエルが引っ張り上げて助け起こしてくれる。昨日、腰を抜かしたアンセルを引っ張り上げたことといい、ノエルの腕は一見細く見えるが、力強いのだった。

「泥は舐めるなよ」

「舐めませんよ!」

 アンセルは慌てて顔と体を拭いて、ノエルについて行った。

 草や泥に足を取られ、虫に刺され、遭遇した妖精たちに邪魔されながら、アンセルとノエルはようやくアルジョンテの華が咲く地に辿り着いた。白銀のアンジョルテは、微生物の多い土と、薄暗い影がなければ育たない植物で、菜園で育てるのもむずかしく、希少価値が高い。この奥地では、陽の光が入ってこずに、土にも微生物がたくさんいて、アルジョンテの生息に適しているらしかった。暗い森の中、アンジョルテが咲くところだけ銀の光が差し込んでいるように見えた。

「アルジョンテって、1年に1度しか咲かないんですよね? 首都だと高額で取り引きされていて、一流パティスリーでも滅多に見られないのに、こんなに咲いてるなんて………でも、取りに来るのがこんなに大変なら、高いのも納得です」

「ああ、だが大変なのはここから――」

「早くつみに行きましょうよ、師匠」

「待て」

 はやるアンセルを、ノエルが手で制した。そして、草むらに隠れて音を立てるな、と声を落として言う。

「なんですか、せっかく着いたのに……」

「静かにしろって言ってるだろ。……いい機会だ。見てみろ」

 ノエルに言われてアンセルは渋々だまった。

……程なくして、アルジョンテの華の周りに、ふわふわとした愛らしい姿の、リスやウサギがやってきた。

「わ、かわいい……」

 アンセルは思わず小声でつぶやいた。

 しかし、ウサギたちが、アルジョンテの茎に集まってきて、無遠慮に実にかじりつき始めたのを見て、アンセルの顔色が変わった。

「師匠! ウサギたちにアルジョンテが食べられちゃいますよ! 早く追い払わなきゃ」

「待て……来る」

 ノエルが、立ち上がりかけたアンセルの頭を押さえて鋭く言った。何事かとアンセルが見ていると、アルジョンテを食べているウサギたち目掛けて昨日と同じ6つの目を持つ魔獣が飛び掛ってきた。

「ま、魔獣……!!師匠、昨日みたいにやっつけてください、お願いします!」

 アンセルは焦ってノエルをせっついたが、師匠は動かなかった。

「隠れて静かにしてりゃ、無闇にこちらを襲ったりはしない。黙って見てろ」

 アンセルは昨日魔獣に襲われた恐怖を思い出し、今すぐ泣いて逃げ出したかった。しかし、ノエルがしっかりアンセルを抑えているのでそれもできない。ノエルは一体何を考えているのだろうか。

 ウサギたちは魔獣に驚いて一斉に逃げ出した。逃げ遅れた一羽が、魔獣にがぶりと噛みつかれた。ウサギはしばらくジタバタしていたがやがて絶命し、魔獣の餌となった。

 魔獣は、ウサギがかじったアルジョンテの茎をペロペロと舐めた。すると、不思議なことに、かじられたところがみるみるうちに元に戻っていった。魔獣はアルジョンテを気にすることなく、どこかへ歩いていってしまった。

 再びあたりが静かになったところで、ノエルが話し始めた。

「アルジョンテの茎は、ウサギやリスなんかの害獣にとっては、とびきり旨いものらしい。しかしあいつらが食い荒らすと当然茎が折れたり腐ったりして、アルジョンテは壊滅する。だが魔獣がウサギを食うから、そこまで大きな被害にならない。魔獣が茎を……たぶん水分補給なんだろうが、茎を舐めると、奴らの舌からの分泌物が、傷ついた茎を治してくれるようだな」

 アンセルは魔獣とウサギが去っていったあとを見て、言った。

「アルジョンテを守るために、ウサギたちを駆除することって、できないんですかね?」

「そうすると今度はアルジョンテが増えすぎて根っこが腐って全部駄目になっちまうぞ。それにウサギが全滅したら、今度はウサギを食べている他の動物が絶滅して、巡り巡ってどこかで必ずガタが来るんだ……アンセル、覚えておけ。世の中の生き物ってのはな、自分だけに都合のいいようにはできてねえんだよ」

「師匠……」

 アンセルは、菓子の材料は金を払えば簡単に手に入るものだと思っていて、魔法菓子の材料を採る苦労にまで想いを馳せるのを忘れていた。そう、材料を採取する大変さは、製菓学校で確かに習っていたのだが、座学で聞くばかりで、その苦労がいまいち身近に感じられなかったのだ。

 花一つにさえ、こんなに多くの命が取り巻いていることを、アンセルは感じたことがなかった。

「1年に1度咲く花だ。感謝して採れ」

「……はい」

 アンセルは優しい手つきで白銀の華に触れた。それは雪の結晶、首都のクリスマスにショウウィンドウに並ぶ宝石、はたまた高級な飴細工のようであり、アンセルは「綺麗……」と思わずつぶやいていた。

 十数個咲いているうち、ノエルとアンセルは5個だけ摘み取った。

「せっかくだからもう少し持っていけばいいのに」

「そう欲張るな。来年にはまた花をつけるんだ」

 ノエルの言葉は、アンセルには驚くほど気長に聞こえた。しかし、取れるうちに取れるだけ取ってやろうという気持ちは、アンセルの中で薄くなっていた。

「よし、鮮度が落ちる前に帰るぞ。ここに来るまで1時間かかったから、帰りは30分で帰る」

「えっ」

 そこからは行きの道より過酷だった。行くときに通った道だから帰り道は平気、というわけではもちろん無く。腹は空いているし、靴と服には泥がこびりついていて臭くて重いし、そんな二人を妖精が数を増やしてダンスに誘おうとしてくるしで、あとはアルジョンテの鮮度が落ちないように必死になって走って帰った。

 へろへろになったアンセルを見下ろして、ノエルがニヤリと邪悪な笑みを浮かべている。

「どうだ、これでも田舎のパティシエはお気楽な稼業だと思うか?」

「すみませんでした……!!」

 アンセルは自分の無知を恥じた。が、同時に、ノエルは田舎町を馬鹿にした自分をいびりたかったのではないかという疑念もわいたのだった。

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