第5話 アンセルはとにかく働きたい
翌朝。アンセルは日の出とともに飛び起きると、キビキビと働き出した。薪割り、水くみ、掃除に洗濯……台所を借りて朝食も作り始めた。
厨房に立って、パンとハム、サラダにオムレツを作り終えたところで……ノエルは、調味料棚にあった蜂蜜を少し皿に垂らして、簡単なキャンディが作れないか、魔力を込めようとしてみた。
しかし、何も起こらない。入院していた時のように、倒れるということはなくなったが、やはり魔法菓子を練ることができない。
「どうして……もう、身体はかなり元気になってきたのに……」
アンセルは自分の手を握ったり開いたりしてみる。そんなところに、ノエルがのそりと厨房にやってきた。時刻は8時半を過ぎたところであった。起きてきたばかりらしいノエルは眠たげで、元気に厨房に立っているアンセルを見てぎょっとした顔をした。
「うお……お前、何やってんだ……」
「何って、早速、弟子の下働きですよ。おはようございます!」
「声がでかい……」
ノエルは頭を押さえてため息をついた。
「いったい何時に起きたんだ」
「日の出とともに起きました! 朝の支度は大方終わったと思いますが、他に何か仕事はありませんか!? 仕込みがありましたら、一通りの作業ならできますし、ほかにも家事があれば……」
アンセルは、さきほど菓子が作れなかった悲しみを吹き飛ばすように、つとめて明るい声で言った。こうやって意欲的なところをアピールすれば、今まではどんどん仕事をもらえて、周囲からも評価されたのだ。ノエルに早く一人前と認めさせて、彼の菓子職人の技術を学ばなければ。
目を爛々と光らせるアンセルを、ノエルはしばらく無言で見つめた末に、ボソリと言った。
「寝ろ」
「はいっ!! ……へっ?」
「朝めし食ったら寝ろ。用事ができたら起こす」
肩透かしをくらって、アンセルは慌てた。
「そんな、僕なにか悪いことをしましたか?」
「なんでそうなるんだ……お前はもう半日分くらいの働きをしたんだから、休んでろと言ってるんだ。それに本当にしばらく用はないんだよ。部屋で休んでろ」
「でも……」
「お前、一体何をそんなに必死になってるんだ?」
ノエルの鋭く碧い目が、アンセルの鳶色の瞳を覗き込む。アンセルは、じっと師匠の目を見て言った。怒られているわけではない。なのに、なぜか、アンセルはノエルの迫力にたじろいでしまう。
「……必死になるに、決まってるじゃないですか。僕は、一流のパティシエになりたいんですから。僕は幸運なことに、平民出身ながらパティシエの才能に恵まれた。革命のおかげで、僕にも自分の腕で身を立てるチャンスができたんですよ!」
「一流のパティシエになって、お前は一体どうするんだ」
「どうするって……」
アンセルは戸惑った。一流のパティシエになった、その後のことなど、深く考えていなかったのだ。ただ、毎日をしゃかりきに過ごすことに必死で。しかし、ここで何も答えられないとノエルに見限られると思ったアンセルは、ひとつ目標を思い出した。
「……それはもちろん、菓子作りの研鑽を積むんです。いつか、ユベール・モレ元首に差し上げても恥ずかしくないデセールを作るために!」
そうだ、革命の英雄ユベール・モレに自分のデセールを献上する。一流パティシエの目標として遜色ない答えだとアンセルは思ったが……ノエルは伏し目がちに言った。
「……嘘だな」
「……えっ」
「今のお前は、目的がほしくてがむしゃらになってるだけだ。お前、止まるのが怖いんだろう。静養所に入れられた理由が何となくわかったよ。お前はまだ若いから無理もきくかもしれないがな、休める時に休まねえと、一流パティシエになる前に死ぬぞ」
「……なんなんですか、僕が今までどんな思いで頑張ってきたのかも知らずに、みんなして休め休めって……!」
アンセルは悔しくて思わず声を上げてしまっていた。泣きたくなんかないのに、涙が込み上げてくる。もうアンセルは自分で自分が止められなかった。
「こんな田舎の森の中でのんびりお店をやっているノエルさんには、わからないんです! 僕が同期に負けないようにどれだけ努力してきたか! 競争が激しい首都のパティシエ達の中で生き残るには、こんなところで立ち止まって甘えてちゃいけないんだ! ここで休んでる間にも、家柄に恵まれた同期は、才能がなくても僕をどんどん追い抜いていく! 学校では僕がトップだったのに! お気楽に田舎で菓子を作ってるあなたにはわかるはずがない! 貧しい生まれでも、首都で一番のパティシエになれるんだって、証明しなくちゃ、僕が……!」
不意に。ノエルが黙って、自らの長く白い指をアンセルの目の前にかざした。何をしているのかわからず、アンセルが気を取られて黙ってしまった、その次の瞬間。
『眠れ』
ノエルが、アンセルに向かって言いながら、軽く指を振った。
それだけでアンセルは急に意識を失い、立ったまま眠り始めた。
『……寝ちゃったね〜そんなに強い魔法じゃないのに〜』一人の妖精が窓から入ってきて、アンセルを無遠慮にじろじろ見ながら飛びまわる。
「こいつ、昨日の話を聞いたところじゃ、まだ十六歳のガキだっていうのに、なんでこんなに焦ってるんだ……」
「昔のノエルそっくりじゃん〜」
クスクス笑う妖精に、ノエルは「うるさい」と一蹴する。
『その子どうするの? 捨てちゃう?』
「ここで捨てるほど人でなしじゃないつもりだ……朝飯を食いながら、こいつにちょうど良さそうな仕事でも考えてみるさ。時間ならたっぷりあるからな。」
眠ったアンセルの身体をノエルは抱きかかえて、ベッドの上に放り投げた。
まだ少年といってもいいほどの小柄な体格で、驚くほど軽くて痩せている。こんな子供が、仕事で成果を出さねばと焦って身体と心を壊してしまっている。
「……革命のおかげで、身を立てるチャンスができた、か。」
アンセルの言葉を反芻して、ノエルは小さく「クソ……」と苦虫を噛み砕いたような顔をした。
数時間後。アンセルはハッとして飛び起きた。時刻はもう15時半を過ぎている。
しまった、寝坊した、と思いかけて、アンセルは眠る前に起きた出来事を思い出して顔からさあっと血の気が引いた。
師事して初日の師匠に呆れられ、あろうことか逆上して散々失礼な言葉を喚き散らしてしまった。
「おしまいだ……」きっと自分はクビだろう。製菓学校を卒業して、就職して1年足らずで2箇所も職場をクビになってしまうなんて、もう駄目だとアンセルは思った。
「おう、起きたか」
ノエルが突然部屋に入ってきたので、アンセルは驚いてしまった。
「あの、師匠、申し訳ありません、僕、なんて失礼なことを……死んで償います」
「やめろ。軽々しく死ぬなんて言うな」
ノエルが強くたしなめた。
「ルブラン、お前に仕事をやる。今夜、アンジョルテの華を取りに行くから手伝え。魔獣も出る区域に入るから装備を準備しておけよ。飯を食ったら出かける……早食いするなよ、デカくなれないぞ」
そう言って、ノエルは温めなおした朝食と、装備が入っているらしい麻袋を置いてその場を立ち去った。
「クビにならずに、済んだ……?」
アンセルは信じられない思いだったが、とにかく助かった。温かい朝食が腹に溜まっていくと、心も不思議と落ち着いてくる。
ノエルは、不機嫌そうな態度を崩さないが、なんやかんやとこうして世話を焼いてくれて、自分を見捨てる素振りもない。妖精たちも、彼の魂が綺麗だと言っていた。
「いい人、なんだな……」
アンセルは朝食を食べつつ、麻袋の中身が気になったのでのぞいてみた。
短剣、防刃ベスト、まとまった量の小石、小型ナイフ、何やら怪しげな小瓶などが入っていた。危険地帯に行くときの格好だ。
「……どさくさに紛れて森に置いていかれたりしないよな…?」
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