第4話 森の中の魔法使い

 人の声に、アンセルはどっと安堵して、身体が汗でびっしょりになってしまった。呂律の回らない舌で、男に礼を言う。

「あっ、あああありがとうございます! あなたが助けてくださったんですよね」

「まあ、そうだが、ンなことはどうでもいい。お前は誰だ。道に迷ったのか? 見ない顔だが……」

 男性が不審そうに目を向けてくる。

「僕はアンセル・ルブランと申します。パティスリー・ボワのノエルさんにお会いしたくて、この森に来たんですけど……」

「パティスリー・ボワはこの先で、ノエルは俺だが……」

「ええっ」

 アンセルは、まじまじと男の顔を見つめた。なるほど、冷静になって見てみれば、波がかった金髪に碧い目に、整った顔立ちの、おばあさんの言う通り「なかなか良い男」である。だがしかし、アンセルが想像していた一流パティシエ像とはかけ離れていて……なんといえばいいのだろうか、アンセルの知るパティシエ達は、年齢も体型も様々ながら、みんな目に闘志を宿しているものだった。あとだいたい肌がツヤツヤしている。それが、このノエルという人は、まだ若いのになんだか世の中に疲れ切ってしまったような、世捨て人のような雰囲気をまとっているのだった。

「もう夕飯も過ぎた頃だろう、なんでパティスリーなんかに来やがった。しかもこんなクソ暗い森の中に」

 そしてびっくりするほど口が悪いな、とアンセルは思った。

「僕、あなたのお菓子に感動して、居ても立ってもいられずに来てしまったんです」

 そう言ったが相手の不機嫌そうな態度は変わらなかった。

「事前に伝書鳩で日付を決めるとか、せめて日を改めて明るい時間に来るとかそういう頭は働かねえのかチビスケ」

「チ、チビスケって、僕は十六歳ですよ! それにあなたの背が高いのであって僕は決して世間的にチビではないはずで……」

 捲し立てようとしたところで、アンセルの腹が、ぐうううう、とおおきな音をたてた。

 アンセルは恥ずかしくなって黙り込み、ノエルは無表情でそれを見つめていたが、やがて舌打ちをして言った。

「……チッ、めんどくせぇ事になったな……仕方ねえ、ついてこい。今日はうちに泊まれ。そこらで魔物に噛まれて死んでたら気分が悪い」

 ノエルは、腰を抜かしたアンセルの腕を引っ張りあげて立たせると、ポケットから小さく折り畳んだ麻袋を取り出した。バサバサと振ってもとの大きさにすると、アンセルに袋口を開けて持つように言う。アンセルは言われるまま袋の口を開けて待った。

 ノエルは、魔獣の目に刺さっていたナイフを引き抜くと、死骸を両手でかかえて持ち上げた。そして、アンセルの持つ麻袋の中に入れようとするので、アンセルはぎょっとしてしまった。

「ま、待ってください、これ持ち帰るんですか!?」

「何を驚いているんだ。今日の晩飯はこいつだぞ」

「ええっ!?」

 首都では魔獣を食べるなんて訊いたことがなかった。ノエルは、戸惑うアンセルのことなどどこ吹く風といった様子で、テキパキと魔獣の死骸を袋に詰めると、歩き出した。おいていかれないよう、アンセルは急いで追いかけた。

「あの、こういうことはよくあるんですか……? お店があるのに、危ないですよね? 政府に頼んで駆除はしてもらわないんですか?」

 アンセルの言葉に、ノエルが振り返って一瞬冷たく睨んできた気がして、アンセルは意味がわからなかった。ごく普通の意見を述べただけだ。が、ノエルの視線が前方にすぐに移り、淡々と答えた。

「あいつらは昼間はおとなしいんだ。お前が夜に押しかけてきたせいで無駄に1匹死ぬハメになったんだ。むしろ気の毒なのはあいつらだろ」

「えええ……だって、相手は魔獣なのに……」

 アンセルの言葉にノエルは答えなかった。しかし、アンセルが話題を考える必要はなかった。程なくして、小さな店にたどり着いたからだ。

 ノエル本人の世捨て人のような風貌とは異なり、店構えは、絵本に出てくる小人の家のように可愛らしいものだった。

 木の扉をノエルが開けると、部屋のあちらこちらから、光がふわりと浮かび上がってきて、一斉にノエルのもとに集まってきた。

「何……?」

 アンセルは訝しんだがノエルは気に留める様子はない。小さな光からは、耳を澄ませてみると、声が聞こえた。

「おかえりノエルー」

「ノエルーそいつだれー」

「ノエルこれ見てー」

「のえるーのえるー」

 ノエルは、うるさそうに蝿でも追い払うように「シッシッ」と手で払っているが、鈴を転がすような声の持ち主は、手のひらサイズの小さな子供に羽根が生えた姿……そう、妖精であった。

「妖精!? しかもこんなにたくさん使役してるんですか?」

「使役なんてしてねえよ。勝手にウロチョロ飛び回ってるだけだ」

「あっ、ニンゲンだー! あたしたちのことが見えてるの? 魔力持ちなのね!」

「あそぼーあそぼー」

 妖精たちの言う通り、彼らを見るには、生まれつきの魔力が無ければならない。魔力を持つパティシエは、その力ゆえに、妖精のもたらす恵みを使いこなして魔法菓子をつくることができる。しかし、妖精の恵み……すなわち、魔法の粉や、涙、朝露といった材料は普通、専門の店で仕入れるもので、本物の妖精を使役するには菓子職人とはまた別の力が必要なのだ。妖精に好かれるという天性の資質が。

 ダン、と大きな音がしてアンセルは我に返った。振り向くと、ノエルが棚の上に魔獣の死骸が入った麻袋を乱暴に置いたところだった。

「お前ら、これから魔獣の調理に入るんだ、静かにしてろ」

「きゃああぁ魔獣! くさい! いやー!」

「ノエルのばかー」

 きゃんきゃんと騒ぐ妖精たちにノエルはため息をつき、アンセルの顔を見て言った。

「お前、こいつら見えてるんなら相手してやってくれ」

「ええっ、は、はい、本物の妖精さんに出会えるとは……身に余る光栄です……」

「あんまりへりくだるなよ。調子に乗ってナメてくるから、なッ!」

 ノエルが麻袋から魔獣の死骸を引っ張りだした。妖精たちはきゃあきゃあ悲鳴をあげて「坊や、こっちよ!」と別の部屋に案内していく。

 通されたのは、どうやらこの店の住居部分の広間にあたる部屋のようで、テーブルと椅子が置かれていた。無骨な木製のそれら以外、驚くほど生活感がなく殺風景な広間だ。しかし、妖精たちが早口でアンセルにまくし立ててくるので、アンセルはこの部屋をさみしいと思う余裕はなかった。 

「ねえねえどこからきたの」

「おれ知ってるぞ! 隣町からきたんだろ!」

「夕方なのにわざわざ森に入ってくるなんて、森ははじめてだったの?」

「ランタンがきえちゃって、こわかったでしょう!?」

「あ、ランタン消したのアタシよー」

「え!?」

 さらりと聞き捨てならない台詞が聞こえてアンセルは振り返った。愛らしい少女の姿をした妖精がクスクス笑っている。

「な、なんで……そんなこと、したんですか?」

「なんで……?」

 妖精はくびをかしげている。いたずらした理由など、何も考えていないようであった。

「あー……もう、いいです。ところで皆さんはノエルさんとはどういう……」

「ノエルはねーああ見えて魂がキレイだからすきなのー」

「ノエルは妖精のことキライみたいだけどねー」

「あの眉ひそめた顔がおもしろーい」

「キャハハハ! まねっこ、似てる似てるー!」

「ねー、追いかけっこしようよーニンゲンが鬼よ!」

 まるで会話にならない。アンセルは呆然としてしまい、気がつけば妖精の追いかけっこの鬼をやらされていた。捕まえようとすると妖精たちが魔法で突風を起こしたり火の玉を投げつけてきたりするので、アンセルの髪と服は乱れ、息が上がってしまった。ノエルができあがった夕餉を持ってきてくれなかったら、朝まで遊びにつきあわされて、疲れ切って死んでいたのではなかろうかと思った。ノエルが手で追い払うと、妖精たちは文句を言いつつ部屋を出ていく。使役していない、とノエルは言ったが、実際飼いならしているのも同然ではないだろうか……人間をおもちゃにして遊ぶ妖精たちが、何故かノエルの言うことは聞くのだ。

「悪かったな、慣れない妖精の相手なんかさせて……ほら、これが夕食だ。」

 ノエルが出してくれたのは、おいしそうに湯気をたてたシチューだった。ごろごろ野菜と肉が入っていて、いい香りもただよっている。問題はこの肉が先程の魔獣という点だが……。

「お前、魔獣は食ったことないのか」

 いつの間にかノエルが先にシチューを頬張りながら尋ねてきた。

「そ、そりゃそうですよ……首都では魔獣は駆除対象ですし……」

「お前、首都育ちか。道理で世間知らずなわけだな……こんな片田舎に何しにきた?」

「あぁ……首都のホテルでパティシエ見習いをしていたんですが、体調を崩してしまって静養することになりまして……今は隣町の静養所でお世話になっています」

「チビスケ、社会人だったのか……? てっきり学生だと……」

 本当に驚愕したノエルの顔にアンセルは腹が立った。

「失礼だな、のっぽのおじさんだからって偉そうにしないでくださいっ!」

「まあまあ、そう感情的になるな」

 精一杯の煽りをノエルはさらりと流してしまった。アンセルは腹立たしい気持ちで、思い切って目の前のシチューをぱくりと食べた。

「…………!!おいしい……」

「静養所といえば、コクトーさんのとこの……おい、まさかお前、今日は泊まることくらいは言ってきたんだろうな?」

 シチューを咀嚼していたアンセルは、食べ物を飲み込んでから返事をした。

「えっ、いや、夕食は要らないとは言いましたけど……」

「はぁ……考えなしのチビスケだな本当に……」

 ノエルは呆れたようにため息をつくと、ペンと紙にサラサラと何事か書きつけて、窓辺にいた鳩の脚にくくりつけ、外に放とうとした。だが、それをアンセルが止めた。

「待ってください。今、僕は今日は泊まりで明日帰るって手紙、書きましたよね?」

「そうだが……」

「手紙には、僕はしばらくノエルさんのところでご厄介になるので心配無用ですと書いていただけませんか」

「はぁ!?」

 アンセルは椅子を降りて床に跪いた。

「お願いします! 弟子にしてください! 僕、一流のパティシエになりたかったのに、突然お菓子が作れなくなってしまって……でも、あなたのお菓子と、今いただいたシチューを食べて、確信しました。あなたのもとで修行したら、何かが拓けそうなんです!」

「そんな曖昧な……」

「弟子にしていただくのが無理なら、わかりました今すぐ出ていきます! 魔獣に襲われても運が悪かったと諦めましょう、ごちそうさまでした」

「おい待て!」

 そう言ってアンセルが本当に席を立とうとするので、ノエルは引き止めざるを得なかった。

「わかったわかった! じゃあ家の小間使いから始めてもらうから、取り敢えず今夜はおとなしくしろ。飯も食え」

「ありがとうございます!!」

アンセルは太陽のような笑顔になり、魔獣のシチューを改めて食べ始めた。魔獣の肉は、牛肉に似ていて、元々臭みはあったのだろうがワインや薬草ですっかり臭いが抑えられていた。本来なら鍋で2時間は煮込むところであるこの味は、調理圧縮の魔法を使ったのだろう。

 口が悪い背高のっぽのノエルは、間違いなく一流の料理人であり、魔法使いだ。

 かなり強引な手段をとったが、アンセルは、ここでの修行が自分の再出発の足がかりになるという、確信めいたものを感じていた。

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