第二章 菓子は毒にも薬にもなる
第8話 新興貴族は手間暇がお嫌い
「この町のパティシエはここにいるのか?」
突然、一人の男が、伴の者をつれてパティスリーを訪ねてきた。
髪をオールバックに撫でつけ、上等な衣服を身に着け、金縁眼鏡をかけた、神経質そうな細身の男性だった。
「はい、いらっしゃいませ。僕は見習いで、師匠は今奥におりますが……」
「君のような若い見習いでは話にならん。師匠を呼んできてくれ」
感じが悪い物言いに、アンセルは内心ムッとしたが、おとなしく言うことを聞いて店の奥にノエルを呼びに行った。
「師匠、師匠、起きてください。お客様ですよ」
ノエルは店の奥にある自分の部屋で、本を枕に眠りこけていた。アンセルの不眠を気にかけてくれたノエルだが、さすがにこのだらしなさは何とか改善したほうがいいのではないか、とアンセルは思っている。ノエルは不機嫌そうに目を開けた。
「あぁ? 店番なら任せるって言っただろ……」
「師匠をご指名なんですよ。僕みたいな若い見習いでは話にならないそうです。イヤミな金持ち男って感じで……あの人絶対に成り上がりの新興貴族ですよ……アイタッ」
「余計な邪推をするんじゃねえ」
息巻くアンセルの額を小突いて、ノエルは起き上がり、客の元へ向かった。
「お待たせ致しました。パティスリー・ボワの店主、ノエルと申します」
「ああ、突然で失礼。私はカミーユ・シモンという。ベコー港で貿易商をやっている者だ」
かつての王権政府では、支配階級の王侯貴族と神職、それらに支配されるのが農民、というのがおおまかな身分構造だったが、その中間に商人や金融業者がいた。彼らは、金に汚い下賤の者としてかつては農民からも蔑まれていたが、それが
「貿易商ってことは…もしかして、師匠の菓子を外国に売る商品に!?」
アンセルは、思わず身を乗り出していた。
「いや、私は菓子には興味がないんだ」
「は? じゃあ何しにウチに来たんですか?」
カミーユに詰め寄ろうとしたところで、アンセルはノエルに首根っこをつかまれた。
「お前は店の掃除でもしてろ……申し訳ありません、うるさくて……」
ノエルに叱られてアンセルは渋々店の掃除を始めた。しかし、しっかりと聞き耳を立てている。
「私が欲しいのは、あなたの作る魔法菓子の源、つまり魔法の力を持つその材料だ。うちの従業員の一人がこの町出身で、帰省土産にあなたの作ったクッキーをみんなでいただいてから、皆の顔色が良くなり、その日は仕事にも精が出るようになってな。調べてみたら、あなたの菓子には妖精の粉や、精霊の朝露、珍しい華などが使われているのだろう? 私は自分の仕事を捗らせるために、それらの材料が欲しいのだ。菓子など手の込んだものは要らない。わざわざ菓子に練り込むなどそちらも時間の無駄だろう?」
カミーユの言葉は、パティシエ見習いのアンセルには看過できないものだった。掃除の手を止めてカミーユに歩み寄る。
「あの……!! お言葉ですけど、魔法菓子の材料はそれだけでは到底口にできる味ではないんです。パティシエの熟練の技と魔力で、手間暇かけて菓子にしてこそやっと安心して食べられるものになるんですよ」
火の妖精の粉を常飲していた若者が言っても説得力は無かろうが、そんな事実はカミーユは知らない。ノエルは、「静かにしてろ」とアンセルを窘めたがアンセルの言葉自体は否定しなかった。
「今の時代、手間暇なんて時間の無駄だと思うが……そのままでは口にできない、というのは本当か」
「ええ、うちの若いのが生意気言って申し訳ありませんでしたが、加工しなけりゃとても食えたもんじゃないというのは本当です。仮に飲み込めたとして、効果が過剰すぎてすぐに身体にガタが来ますよ。たまにそれで病院送りになるバカがいます」
アンセルは、自分のことを言い当てられたような気がして内心どきりとした。
「そうか……うーむ、ままならないものだな。悪く思わないでいただきたいのだが、体調を改善する効果があるとは言え、毎日菓子を食べさせる時間を従業員に与えるというのも時間が惜しくてね。私自身も、そんな暇があるなら仕事をしたいんだ」
「……パティシエとしては、魔法菓子はゆっくり時間をかけて味わってほしいのが本音ですが、お忙しいのもわかります」
「ふむ……貴殿が、思いのほか冷静な方で安心したよ。職人は頑固者が多くて話にならないことが多くてね。今日はひとまず、クッキーの詰め合わせをいくつかいただこう。これで費用に対して効果が見込めれば、貴殿の店の菓子の定期購入も検討してもいい」
これは大きなチャンスだ、と聞き耳を立てていたアンセルは胸をときめかせたが、ノエルは首を横に振った。
「光栄なお話ですが、うちの菓子だけ定期的に購入するというのはやめたほうがよろしいかと」
「何故かね」
「同じものばっかり食べてたらどうしたって飽きるし身体も慣れてしまいます。それに俺のとこだけじゃなくて他の地域にもいいパティスリーはたくさんありますよ」
「はは、商売っ気が無いのだな、あなたは。まあ、だからこんな森の奥深くに店を構えているのか」
カミーユの仕草や言葉は、アンセルにとってはいちいち鼻につくものに感じられたが、ノエルは思いのほか落ち着いた対応で、最後にはカミーユと握手まで交わした。
ノエルがわざわざカミーユを森の外まで送り届けてから帰ってきたのを見て、アンセルは不満たらたらだった。
「意外でした。師匠ってあんな新興貴族とちゃんとお話しされるんですね。てっきり、お前みたいな成金は帰れってすぐに追い出すと思っていたのに」
「俺はお前の金持ち嫌いに驚いているよ……なんの恨みがあるんだ」
「僕、貴族は嫌いなんです」
普段のアンセルに似つかわしくない、嫌悪のこもった声で言うのでノエルは内心驚いていた。
「お前、そんなに貴族嫌いだと、パティシエでやっていくのに苦労するぞ……なんだかんだで、菓子が買えるのは裕福な新興貴族が多いんだからな。それにあの客はだいぶマトモだったぞ。もっと横柄な客はゴマンといる」
「ええ、わかってますけど……だから僕は、一流のパティシエになって、貴族たちに『あなたの菓子が食べたい』って言わせたいんです。そうしたら、平民出身の僕が、貴族に勝ったということになるじゃないですか」
「………」
ノエルは色々言いたいことが頭に浮かんだが、ここで説教を垂れてもしょうがないと思ったので、話の矛先を変えた。
「だがお前、ユベール・モレに自分のデセールを献上するのが夢だって言ってただろ? モレは憎むべき支配階級じゃないのか」
「とんでもない! ユベール様は僕たちの英雄です!」
アンセルは心外だと言わんばかりに首を振った。
「しかし、ユベールが革命を起こしたところで、結局こうして新興貴族が出てきて、力があるやつがのさばっているだろ。お前はユベールには不満は持ってないのか」
「それは、金にモノを言わせて威張っている新興貴族が嫌いっていうだけで、実力がある人が出世できる社会になったことは素晴らしいことですよ。ユベール様のおかげで、悪い王と王妃が倒されたんですから!」
「……そうか、いまの若いやつは、そう思うんだな」
ノエルの声がなんだか失望の色が滲んでいて、アンセルは少し違和感を覚えた。しかしノエルはそれ以上何も言わなかったので、アンセルは自分の勘違いであろうと思った。
だって、旧王侯貴族以外の者で、あの革命を喜ばなかった人などいるはずがないのだから。
王族と一緒に、王族に忠誠を誓っていた貴族たちもみんな断頭台で首を切られて死んだ。ならば、今生き残っている人々のなかに、革命を否定する人がいるはずがない。アンセルはそう思っていた。
それはそれとして、アンセルは話題を変えることにした。
「それにしても、すごいですね、師匠の魔法菓子は。あっという間に人を元気にしてしまうなんて」
「いや、休憩も取らずに激務に追われていたところに、甘い菓子食って休んだから体力回復して元気になっただけだろ」
「えっ」
ノエルの言葉はひどく冷静だ。
「魔法が使えると言ったって、パティシエは神じゃないんだ。できることなんて、たいしたことじゃない」
「で、でも僕は! 師匠の焼き菓子を食べて救われました! 師匠のお菓子はすごいんですよ! 師匠のお菓子がなかったら、僕は立ち上がることができませんでした!」
「……それは、お前の力だ」
ノエルが不意に微笑したので、アンセルはどきりとした。だらしなくて口が悪い男だがノエルは驚くほど顔がいいのだ。
「たまたまきっかけにはなったかもしれないが、俺の菓子がなくてもお前はどこかで立ち直っていたよ。お前には根性がある」
自分を認める発言に、アンセルは嬉しくなくもなかったが、そんなことよりもノエルが自分の菓子を過小評価していることに苛立っていた。
「師匠は自分の魔法菓子にもっと自信を持ってください。カミーユさんとの商談が成立したら、師匠のお菓子の凄さがもっと広く知られるようになりますよ!」
「あんまり期待するなよ。たぶんあの人は他のパティシエ達にも声をかけている。それに俺はこれ以上手広くやるつもりは無いしな」
もったいない……アンセルは思ったが、ノエルがこの町でたった一人のパティシエであり、片田舎の、あまり裕福ではない人々の心の支えになっていることを思うと、あまり強く言えなかった。だが、ノエルの腕と才能がこの森の中で埋もれてしまうのは惜しい、という気持ちもまた真実であった。師匠に野心が見られないのが、若いアンセルには何とも歯がゆいのだ。
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