第9話 猿男サンジュ

 ノエルの作るクッキーは、およそ3週間ほど日持ちする。鮮度保存の魔法で、品質が作りたてのまま保持されるので、魔法の効力がきれる3週間の間は、菓子の質が落ちることはない。

 カミーユは、パティスリー・ボワで購入した菓子を、まずはためしに週に一度、自身の商社で従業員たちに振る舞ってみることにした。

 従業員たちは、鬼社長のカミーユからの差し入れにかなり驚いたが、週に一度のティータイムを皆で楽しむことにした。

 最初はその一時間を惜しんでヤキモキしていたカミーユだが、不思議なことにそれから従業員たちのやる気があがってきた。

 3回目のお茶会には、従業員からカミーユに「社長もぜひ一緒にお茶を」と誘いがあった。

 忙しいからと断ろうとしたが、是非にと半ば強引に誘われて、渋々参加すると……。

「社長! お菓子ごちそうさまです!」

「こんなうまいもんは首都でもなかなかお目にかかれませんよ。ありがとうございます!」

 それまで、会社のために動かす駒だと思っていた社員ひとりひとりが、カミーユに笑いかけてきた。

「……そんな事はいいから、仕事に精を出しなさい」とカミーユは言ったが、彼等は「よし、休憩したら元気が出てきた。午後の退勤までもう一息だ」とやる気を入れていた。

「そんなにこの菓子は仕事が捗るのか。ならば毎週仕入れようか?」とカミーユが言うと、「いや、今度はうちの故郷のパティスリーの菓子を持ってきます、是非社長にも召し上がってほしいです」と何人かから声があがった。また、「舶来品の中にも珍しいお菓子があります。それらを口にして海外の菓子について見識を深めるのもいいのでは」だとか、「実は、貿易で取り扱ってる商品について、どうしても気になることがあるので、お茶の時間に意見を話させてほしい」等と提案があがった。カミーユは驚いた。今まで、平民出身の従業員は会社の歯車的な存在だった。彼等にも考えがあり、意見を持つ人間だということに気がついていなかったのだ。

 カミーユに限らず多くの新興貴族にありがちなことだったが、彼等は自身の才覚で富を築いてきた分、旧貴族や農民を、考えのない脳無しと見下しているところがあったのだ。

 ともかく、そういうわけで、カミーユがパティスリー・ボワから菓子を定期購入する話は、立きえとなってしまったが……その旨を手紙でノエルに伝えると、ノエルは、気にすることはない、たまに贔屓にしてもらえれば幸いだと返事をした……それからカミーユの会社は、週に一度、社内でお茶会が開かれる貿易会社としてちょっと有名になり、入社希望者も増えるようになった。

 おもしろくなかったのは、同じ新興貴族の、ライバル会社の社長であった。名を、フランソワ・ルベルという。カミーユ以上に時間と身だしなみに厳格で、潔癖症であり、何かというといつも手を拭いているような、針金のように痩せた男だった。

「なんだあいつ、就業時間にティータイムを設けたら話題になっているだって? バカげたことを……無駄な時間を費やしているな。何故か業績もあがっているらしいが、魔法菓子職人のつくる菓子の魔法の効果だろう。ならば、こちらはすぐに身体に効果が出る菓子を配給しよう。もちろん、ティータイムなんて無駄な時間は設けない。一分一秒でも会社の為に働かせるのだ!」

 ルベル氏は、短時間で摂取できる、魔法菓子を作れる職人を格安で探して、一人の男を見つけてしまった。背中の丸まったその男は、自らをサンジュ……猿と名乗った。

「ルベル様、私であれば、短時間で人間の能力を完全に開花させる菓子を作ることが可能でございます」

「それは良いな! すぐに作れ!」

「ハイハイ」

 サンジュは、厨房の大鍋で何やら様々な薬や甘味を混ぜ合わせて、何かをグツグツ煮込んでいた。

「さぁ、できあがりましたよ……」

 ルベル社長は大鍋の中を覗き込んで、訝しそうに尋ねた。

「見たところ泥々の甘ったるい匂いがする泥にしか見えないが?」

「これは、魔法の材料をギュギュッと濃縮したキャラメル・シロップでございます。これをほんのちょっぴり摂れば、頭は冴えて筋肉もムキムキ、おまけにこのシロップをくれた人間に従順になるのですよ、ケケ、ケケケ!!」

 そう言うと、サンジュはいきなりルベル氏を大釜に突き落とした。

 ルベル氏は驚いた拍子に、窯の中のキャラメルシロップが口の中に入ってしまった。

「何するんだ貴様……お……おごおぉっ!?」

 ルベル氏は顔や身体についたキャラメルシロップを、臆面もなくベロベロ舐め始めた。

「うまい! なんだコレはっ! うますぎるぞおお!! もっとくれ!!」

 シロップを舐め回すルベル氏の身体は、どんどん身長が高くなり、針金のようだった身体は筋骨隆々となり、五感は人の10倍にまで跳ね上がった。ただ、知性がどろどろに溶けてしまって、まともに考えることができないようだ。

「ケケ、あげても良うござんすが……タダでというわけにはいきませんねぇ」

「金ならいくらでも払う!」

「うーん。ではァ……今後一生おいらの命令をなんでも聞く奴隷になってもらいましょう。ケケ、ケケケ!!」

「わかった! わかったからっ!」

 今のルベル氏にとって、これまで苦労して築き上げてきた地位も名誉も財産も、もはやどうでもよかった。サンジュの作ったキャラメルシロップが無ければ、自分はもう生きていけないのだ。

「ふうむ、さすがに原液に突っ込んだのはやりすぎましたか。もはや廃人寸前……ほら、この中和剤をのんで落ち着いたら風呂に入って着替えてくださいませ、怪しまれますよ」

 泥々のソースとは対照的な、透明な水のようなものを渡されたルベル氏は、それをゴクゴクと飲むとようやくおとなしくなった。ただ、身体は変わり果てていたし、目は虚ろに宙を見つめているのだった。

「ああ、おまじないを忘れておりました……このシロップを口にした人が幸せな気持ちになれますように。この言葉をかけなかったシロップを飲んだ社長はどうなってしまうんでしょうね、ケケ、ケケケ!」

 サンジュはそう言うと、シロップの煮詰まった鍋に向かってペッと唾を吐き出したのだった。

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