第3話 何者と言われてもそれはこっちのセリフ

 ぼんやりとした意識の中、自分が横になっていることにトーマは気が付いた。手を動かすと短い草が掌を撫でる。広い草原の中にいるようだった。


 目に飛び込んできたのは、雲一つない青空。

 暖かい風が吹いてきて、全身を優しく撫でていく。


 居心地の良い場所だった。呼吸する度に心が落ち着くようで、そのまま眠りそうになったとき。


「起きたか」


 突如聞こえた声に、思わず飛び起きた。


 視線を向けると、こちらを向いて草原に片膝立てて座る鎧姿があった。


 デュランザール。


 その姿が、目の前にある。現実感のない光景に、思考が停止する。

 すると、頭の中に先程の光景が再生され、思わず身震いがした。


 あれから何が起きたんだっけ?檻に閉じ込められて、攻撃が飛んできて、それから……。

 何か声が聞こえたけれど、もう思い出せないでいる。


 記憶巡りが終わり、視線をデュランザールに合わせる。

 兜越しにこちらを見ているが、相変わらず表情は分からない。トーマもその奥に潜む目を覗き込む。


「……本当にデュランザール?」


 漏れ出た言葉は弱々しく、威圧感のあるデュランザールに押し潰されそうだった。


「あぁ、そうだよ。それより、アンタこそ一体何者なんだ?あの状態からアタシを動かせるように出来るなんて」


 兜越しにもはっきり聞こえる声に、トーマは首を傾げた。

 ゲームをプレイしていたときから、デュランザールの声は、渋くて低い男性的な声だったはず。

 けれど今聞こえた声は、明らかに女性的な声質だった。

 それにアタシ?俺様じゃなくて?


「デュランザールって男じゃないの?」


「あ?」


 ドスの効いた声。そして兜越しにも睨み付けられているのを感じて、トーマは身を縮こませた。


 忘れていたが、自分は今ゲームのキャラクターと話をしているのだ。非現実的なことが起こりすぎて、気が動転していたのかもしれない。

 けれどこのまま黙っていたら、何をされるか分からない。ゲーム上、デュランザールは戦鬼と言われるほどに戦いに狂ったキャラクターなのだから。


「あ、いや、俺……僕の知ってるデュランザール……さんは、そんな印象だったもので……つい……」


 マズイことを口走ったと、敬語になってしまうトーマであった。

 しかしデュランザールは「あぁ……」と声を漏らし、足を崩して胡座をかいた。


「アタシは、元々女だ。元々女だったけど、何故か男になって……、また男に……ってあれ?何だか良く分からなくなっちまった」


 はははと愛想笑いをするトーマに、「まぁ、とにかく」とデュランザールは膝を打った。鎧同士がガチャリと音を響かせる。


「アンタには助けられたって訳だ。ありがとうよ」


 そう言って頭を下げるデュランザールに、トーマはいやいやと首と手を振った。


「いや、自分は何も……それどころか、アイツの奥義に助けられたのは自分のような気がするんですが」


「アタシも良く分からねぇが、多分アンタがアタシに触ったことで、アタシは今の自分に戻れたんだ。それで何とか、これを使えたんだ」


 デュランザールが鎧の胸元を指差す。

 そこにあしらわれている獣の顔面。大きく開けた口の中に、鈍く光る赤い宝石が見えた。


「あれ?そんなの、ありましたっけ?」


 トーマは、それに見覚えが無かった。それはゲームをプレイしているときにも、大宇宙の中で見ていたときにも無かったものだった。


「この場所まで移動出来る、特別なアイテムだ」


「えぇっ!そんなの持ってたんですか!?すげぇ!」


 トーマの言葉に、デュランザールは頷いた。愛おしそうに両手を胸に当て、そっと撫でた。


「いつでも会いに行けるようにって、大切な人から貰った物なんだ」


 デュランザールの言葉、仕草、そのどれもが、トーマの知っている姿とは別のものだった。何故こんなことが起きているのか分からない。


 トーマが知っているデュランザールは魔族からも恐れられている戦鬼と呼ばれた存在。

 しかし目の前にいる同じ姿の彼女は、人間相手にも助けてくれたと感謝し、大切な物を慈しむ存在。


 一体どちらが本当のデュランザールなのだろうか。


 そんなことを考えていると、「おい」と聞こえた。


「それで、アンタは何者なんだよ」


「何者って……ええと、何を話せば……」


 キョロキョロと視線を彷徨わせてると、デュランザールは腕を持ち上げ、トーマに向かって指差した。


「取りあえず名前と、その不思議な力についてだな」


 とりあえず素直に答えようと、口を開く。


「名前は、小田切トーマ…です」


 尻すぼみになった声に、相手は「トーマ……」と呟くだけでそれ以外に反応を示さなかった。しかし兜越しの視線は、トーマを捉えて離さない。

 それを感じたトーマはサッと視線を逸らした。咄嗟の行動に、不安が募る。機嫌を損ねたか、と冷や汗をかいた。

 それをごまかすように、慌てて次の話題に持って行く。


「あの、不思議な力ってのは、何のことでしょう?」


「何のことって、その右手にある紋章が関係してるんじゃないのか?」


 デュランザールの指がトーマの右手を示すと、カチャリと音を立てた。


 そういえば、右手があれほど痛かったのに、今は痛くない。


 右手を持ち上げ、そして見えた掌には、確かに紋章が刻まれてあった。


「あぁ、本当だ。何だろう、コレ」


 円陣の中に三角形が二つ、片方が反転する形で刻まれていた。指でなぞってみても、特に変化は無い。

 しかしよく見ると、円陣に添うようにして文字列が並んでいた。それはアルファベットや数字の羅列で、トーマの知識では、それが何を示しているのか理解することは出来なかった。


 それに夢中になっていると、頭上から「おい」と声が飛んできた。


 顔を上げると、すぐ近くまでデュランザールが顔を寄せていた。


「うわぁ!」


 思わず声を上げ、後ろに仰け反った。

 心臓が早鐘を打つ。

 近くて驚いたというのもあるが、それ以上に女性であるということを、今になって意識してしまう。


「何ビビってんだよ」


「い、いや、別に」


 頬を掻いてごまかすと、デュランザールは「ふーん」と鼻を鳴らした。


「まぁ何でもいいけどよ。とにかくその紋章が、アタシを元に戻したと思ってる」


「元にって……」


「アタシがあの奥義を喰らう瞬間まで、ずっと心が支配されていたんだ。本当の自分じゃない別の何かがいて、アタシの体を乗っ取っていた」


『別の何か』という言葉を聞いて、トーマは思い出した。

 頭の中でコントローラーの言葉が再生される。


『この世界にはバグがあってそれを直さなくてはいけません。そしてそれが出来るのは貴方だけです。このゲームの中に入り、それを解決して頂くのが、貴方の役目です』


 きっとそうだ、間違いない。

 自分が今までに見てきたデュランザールはバグに侵されていて、本来とは違う行動を取らされていた。

 今目の前にいるのが、デュランザールというキャラクターの真の姿なんだ。


 けれど、どうして性別まで変わってしまうのだろう。疑問に思ったトーマであったが、また睨まれたら敵わない。

 デュランザールだって混乱していたし、今はその問題を口に出すのは止めておいた。


「じゃあこの紋章のおかげで、その別の何かを消すことが出来た……?」


「あぁ、多分な。頭もスッキリしたし、アタシが何のために戦っていたのか、思い出した」


 デュランザールの顔を見た。やっぱり表情は分からないけれど、その兜の奥で、少しだけ微笑んでいる気がした。


「よし。じゃあ行くか」


 そう言って立ち上がるデュランザールを、トーマは見上げた。


「行くって、どこにですか?」


 デュランザールは左手を腰に当て、もう片方の手で遠くを指差した。


「向こうに、人間が暮らしている街がある。そこにいる人に会いに行く」


「人に?その人って……」


 その問いに、デュランザールは親指を胸に向けた。


「言ったろ?この宝石をくれた、大切な人にだよ」


 行くぞ、とその方向へ歩き出すデュランザール。トーマも慌てて立ち上がり、その背中を追っていく。


 獣の口の中で鈍い光を放っている宝石よりも、デュランザールの大切な人が、こんな獣のような人じゃなければ良いなと、トーマは心の中で願った。

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