第2話 何でこんな所に飛ばすんだろうな
瞼の裏まで届いていた光が穏やかになり、トーマはゆっくりと目を開けた。
そこに広がるのは、真っ黒に塗り込められた宇宙の闇。その闇の中をせめぎ合う無数の星々が、トーマの視界を覆い尽くしていた。
ため息が出るほどの星に、トーマの意識は奪い去られた。ここへ来た理由なんてものは、すっかり頭から消え去っていた。
そうして見ている内に、遠く離れた場所で、闇よりも薄い影のようなものが3つ立っていた。
良く目を凝らすが、その正体が分からない。
近づいてみようと足を持ち上げたとき、トーマの背筋が凍った。
足下にも当然のように広がる闇と星。何かの拍子に簡単にその中へと落ちてしまいそうな光景に、それ以上動くことが出来なかった。
持ち上げた足をそっと元の位置に戻し、見えない力に抗わないようバランスを取ろうとしたとき、後ろでカチャリと音が鳴った。
その音を認識した途端、背後に強烈な存在感を感じた。
トーマの全身に緊張が走る。荒くなる呼吸を無理矢理整えるが、代わりに汗をかきすぎて気持ち悪い。
何かが来たときのためにと両手を前に持ってくるが、どう構えて良いものか分からない。何となく顔を守ろうとゆっくり手を上げ、上半身を恐る恐る回転させた。
視界の端に、その正体が映り込む。
闇よりも深い漆黒の鎧。胸には咆哮する獣の装飾がこちらを威嚇するように牙を剥いている。手に持つ長柄の斧は星々に劣らない輝きを放っているが、刀身には所々に赤黒いシミがあり、それがどれほどの戦場を経験しているのかを物語っていた。
『デモンズクエスト』のボス、デュランザールはトーマに正対していた。
顔、正確には頭部から顔にかけて覆い隠す兜が、じっとこちらを見ているようだった。しかし全くと言っていいほど動きがなく、手に持つ巨大な斧も、ただの飾りのように見え始める。
「ビビったぁ……動かねぇってことは、まだ時間を止めてるってことか」
辺りを見渡すと、一つとして瞬く星は見つけられなかった。この空間自体が、時間を止められているようだった。
「さて、もうこれが現実でも夢でも良いけれど、俺はどうすりゃいいんだ?」
ここに来る前、コントローラーから聞こえた謎の声。トーマをこの世界に連れてくるために、ゲームの時間を止めたと言っていたことを思い出す。
「俺を連れてくるためか……。まるで異世界勇者だな。それはそれで、悪い気はしないけど」
打って変わって上機嫌になるトーマは、爪先で足下を確かめた。見えないが、床のような感触がある。慎重に一歩を踏み出し何度も足で確かめる。それを繰り返して歩みを進めると、デュランザールとの距離が急激に縮まっていく。
視線をデュランザールの顔へ向けると、目線の高さが上がっていく。165cmのトーマより、頭一つ以上高い。もしこのままぶつかれば、胸にある獣に齧り付かれるところだ。
まるで博物館の展示物を見るように、じっくりと眺めていく。鎧の装飾には鋭く尖る箇所が多々あり、触れようものならこちらが傷ついてしまいそうだった。
所々に細かい傷が付いていて、これまでの戦闘ダメージが蓄積しているのが見て取れる。
鎧の切れ目はほとんどなく、そこは流石にゲームのデザインかと結論付けたとき、デュランザールの姿越しに見えていた星が、次々に瞬き出したことにトーマは気が付いた。
「時間が動き出したんだ」
そんなことを呟いたのと同時に、頭上から荘厳なメロディーが降り注いできた。
それを聞いて、トーマの脳裏にゲームの画面が蘇る。
大宇宙に煌めく星々。
荘厳なオルガンのBGM。
そして、敵を封じ込める、蒼く湧き立つオーラの檻。
「ヤベェ!」
デュランザールから離れようと反転するトーマであったが、すでに遅かった。
目の前に蒼い檻が展開され、二人を閉じ込める。燃え上がるような青い光を纏う檻は格子状になっており、僅かな隙間があったが、そこからは到底抜け出せそうもない。
「おいおい……待ってくれ!俺もいるんだ!出してくれ!オイ!」
遠くに佇む、3人の影に叫ぶ。しかしその声に反応するものは誰もいなかった。
良く目を凝らすと、その造形に見覚えがあった。それは先程まで共に行動していた、頼りになる仲間達の姿に相違なかった。
しかしデュランザール含めて、ただの置物となっている。
「……このままじゃ、俺まで喰らっちまう…」
檻を見る。ゲームなら、檻に閉じ込められた敵は身動きせずに攻撃を受け入れる。
しかし、自分は違う。この檻の中でも、こうして動くことが出来る。何か手段はある筈だ!
「そう、俺はこのゲームのバグを直すために来た男。主人公の奥義に俺が巻き込まれるなんて、そんなことありえない!」
湧き立つオーラに一瞬怯むも、自分なら出来ると覚悟を決め、右手を伸ばしていく。
触れた瞬間、オーラは電撃のように弾け、トーマの掌を焼くと同時に、その体を吹き飛ばした。
「痛ぇ!」
焼けるような右手を押さえながら吹き飛んだ体は、背後にあったデュランザールの鎧にぶつかった。ガシャっと、音が聞こえたのも束の間、鎧の装飾が後頭部と背中にめり込み、突き刺すような痛みにトーマは膝を付いて悶えた。
「〜〜〜っっっ!!!」
同時多発的に起こる痛みに、声にならない叫びを上げる。
掌は真っ赤に腫れ、痛みを全身に訴えかけてくる。体が震え、その場を動けない。
「何で、こんな……」
誰もその問いに答えてはくれない。頭の中に浮かぶコントローラーに、どうしてこんなことが起きているんだと悪意を募らせていると、ついに上空が光り輝いた。
それは天から下る、檻ごと消し去る斬撃の一閃。
檻から出られない自分が、それを受けないで済むはずが無かった。
顔を上げた。見上げると、光の側に立つハッキリと色付く一人の姿があった。
光に煌めく金髪。
クエスト報酬で手に入れた、闇耐性を持つ防具に身を包む、自分と良く似た顔の主人公。
頭の後ろまで振り被る手には、神の加護が付加された剣が握られている。
そしてその目は蒼い檻をしっかりと見据えている。
檻と同じ蒼い瞳。
動かなかったその瞳が、ギョロリと動き出した。
目が、合った
偶然かと思った。
だが、視線が解けない。
やがて口角が吊り上がり、不自然なほどに白い歯がはっきりと見えると、その敵意をハッキリと感じ取った。
バグだらけのゲームは、主人公さえバグらせていた。
そしてデュランザールごと、バグを直しに来た主人公を抹殺しようと企んでいる。
後は渾身の一撃を叩き込むために、その両手を振り下ろすだけ。
そしてデュランザールと共にトーマの体も消え去るだろう。
「そんなのは、許さねぇ」
左手をギュッと握り締め、主人公を睨みつける。
このまま自分の分身たる主人公にやられるなんて、許されるはずがない。それこそ、致命的なバグというものだ。主人公は自分の言う通りに動くものだ。それがゲームというものだ。
トーマという存在が無ければ、デュランザールを倒して進むストーリー。
そう、コントローラーの言う、バグだらけのゲーム通りに……。
そこでトールはハッとした。
バグった主人公の攻撃は自分とデュランザールに向いている。ストーリーと関係ない自分を倒すというのは、ゲームとしてはバグだろう。
ならデュランザールは?
デュランザールを倒すことに、ストーリー上おかしな点は無かった。それはプレイしていたトーマ自身が良く分かっている。
だからこそ戦い、この奥義はデュランザールに放たれている。
でもその先は?
デュランザールが倒されることは、本当に影響がないのか?
この先のストーリーをトーマは知らない。
バグだらけのゲームに存在する分かれ道ではなく、バグの無い本当のゲームに存在する一本道。
それは、ボスが生き残り、生存するというルート。
トーマはデュランザールを見た。全く動かず、静かに主人公の一撃を待っている。
そんな鎧騎士の胸に、トーマは両手を添えた。
何が出来るか分からない。けれどこのままやられるようなことだけはしたくなかった。
自分には特別な力は無いのかもしれない。
けれど、デュランザールなら。
主人公と幾度も相対してきたこの魔族なら、何とか出来るかもしれない。
その可能性に、トーマは賭けた。
トーマの行動に、主人公は目を細めた。そして力の限り、両手を振り下ろす。
それに呼応するように、天の光が闇を切り裂き、巨大なエネルギー音を伴って斬撃を生み出す。
押し潰されそうなプレッシャーを頭上で感じながら、トーマは叫んだ。
「俺がこのゲームを直してやる。お前達の言う通りになんて、してやるもんか!」
轟音が、耳を突き抜ける。周囲の闇が、真っ白の世界に包まれようとしたそのとき、鎧に包まれた両腕が、トーマを強く抱き締めた。
「良くやった。後は任せな」
頭上から聞こえた声に、返事は出来なかった。
安心して力が抜けるほど、優しい声だったから。
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