第30話 元童貞、想いを受け止められる

 大した距離を走っていないのに胸が苦しい。

 これからの人生、僕は自分から誰かを好きにはなれないだろう。

 自分の欲望のために誰かの気持ちを捻じ曲げることはもうできない。

 

 初体験の気持ちよさが勝っていたからあまり考えなかったけどミアだって本当なら僕なんかに抱かれたくなかったはずだ。

 大袈裟に悦んでくれたことは演技ではなく、僕の術中にあったからかもしれない。

 だとしたら、酷いことをしてしまった。


 せめて、これからは他人に迷惑をかけない生き方をしよう。

 素人の女性とは極力関わらず、玄人がいる娼館に通おう。

 僕がどれだけ愛を注いでも問題のないお金で繋がった関係を築こう。


 いいじゃないか。

 もう素人童貞じゃないし。

『ヤリティン』の天職は僕がねじ伏せる。

 それがきっと、一番正しい生き方というやつで————


「相変わらず身体能力は伸びていないな、少年」


 走っていた僕の肩をガッチリと掴まれた。

 振り返ると立っていたのはレクシーだった。

 長い丈のスカートを派手に破ってスリットを作っているのは走りやすくするため。

 大きな帽子は風を受けてどこかで落としてしまったのだろう。


「せっかく一張羅を来ていたのに……」

「こんなのただの布だ」


 レクシーはそう言って僕の腕を引き、そばにあった川の土手に腰を下ろした。


「問い詰めて悪かったな。

 君にとっては黙っていたかったことなのだろう」


 優しい声音で語りかけ、僕の肩を抱くように叩いてきた。

 沈黙の時間が少し流れてからレクシーが口を開く。


「以前、別の街の冒険者ギルドで聞いた話をしよう。

 ある冒険者の男がいた。

 優秀で人柄も良く、極めて善良な冒険者だったが、いつも一人だった。

 それは彼の天職が『盗賊』であり、しかも『心の鍵開けハート・ピッキング』という心の声を聴くアビリティを備えていたからだ。

 しかもそのアビリティは常時発動型パッシブ

 四六時中心の声を聞かれて耐えられる人間なんていないからな。

 ソロで受けられる仕事は限界があるからさほど名声を上げることはできず、何年もDランク帯で燻っていた。

 だが、ある日転機が訪れる。

 彼とパーティを組みたいという少女が現れたんだ。

 その少女は生まれつき喋ることができなかった。

 命懸けの戦いをする冒険者パーティにおいて声でコミュニケーションを取れないのはかなりのハンデになる。

 彼女もまたパーティメンバーに恵まれず、ソロで過ごしていたんだが『心の鍵開け《ハートピッキング》』の使い手である彼の噂を聞きつけてやってきたんだ。

 喋ることができない彼女にとって彼は自分の心の声を拾ってくれる唯一の存在だった。

 彼にとっても自分の忌まわしいアビリティが彼女の救いになることを知って歓喜した。

 二人はパーティを組み、阿吽の呼吸で連携し目覚ましい戦果を挙げて、ギルドで最強のパーティとなり、引退後は結婚して静かに余生を送っているとのことだ」


 …………めっちゃ良い話じゃん。

 ささくれだった心に染み渡るなあ。

 

「……素晴らしい話を聞かせてくれてありがとうございます。

 そんな奇跡みたいな話、本当にあるんですね」

「いや、本当にはないぞ。

 ギルドで語られていた作り話だ」

「僕の一瞬の感動返してくれませんかねええええっ!?」


 涙目で声を荒げたが、レクシーは豪快に笑って僕の肩を叩いた。


「元気になったみたいでなにより」

「キレてんだよっ!! ちくしょう……」

「まあ怒るな。

 この作り話はいわゆる教訓話というやつだ。

 マイナス効果のアビリティや体に障害があったとしても、それらを補い合ってあまりある成果を上げることもあるから冒険者諸君は自棄になったり絶望したりするな、とギルドの士気高揚のために作られたんだ」

「最後まで作り話じゃないとバラさないでくれれば、効果はあったでしょうね」

「…………たしかに、バラす必要なかったな」

 

 何がやりたいんだ、この人は……


「でも、あたしが言いたいのはそういうことだ。

 少年のアビリティはたしかに厄介極まりないものだが、私にとっては問題ないんだ」

「どういうことですか?」

「あたしの天職は『聖騎士パラディン』。

 邪悪を討つべく聖属性の闘気と治癒魔法の才に恵まれ、悪の誘惑に屈しない『精神耐性』を授かっている。

 洗脳や催眠の類は私に通用しないってことさ」


 レクシーは自信満々に胸を張って答えた。

 面白いのと頼もしいのが合わさったその仕草に、思わず僕は笑ってしまった。


「あはははははっ!

 さすが師匠!

 最強ですね!」

「そうだぞ。

 私は最強で、君の師匠だ。

 だから全力で打ち込んでこい。

 軽く捻ってやる」

「言いましたね……じゃあ!」


 僕はレクシーの両肩を掴み、まっすぐ目を見て、


「あなたのことが、好きです」


 キッパリとそう言った。

 瞬間、命綱が切れたような不安に襲われて耐えきれず目を下に逸らした。

 レクシーのワンピースの裾を見つめながら痛いくらい打つ心臓の音に意識を集中させていると、ポン、と僕の頭が撫でられた。


「よく言えたな。

 だけど、あたしの心は惑っていない。

 君のアビリティなんかじゃ、あたしは撃ち落とせない」


 彼女は僕の顔を見ながら目を細めて笑った。

 ホッとした気持ちに少しだけ切ない気持ちが混じる。

 勢いよく飛ばした恋の矢が鋼の心臓に弾かれてしまったのだから。


「ほら、もっと打ってこい!

 力尽きるまで!」

「いや、打ち込み稽古ってもののたとえじゃ?」

「さあ、こいっ!」


 まったく、もう……


「あなたの、そういう面白いところが好きです!

 見た目はすごい綺麗なのにズレたこと言ったり、簡単に狼狽えたりするところも!」

「おい! やっぱり貶しているだろう!」

「違います!

 そんなところもカワイイと思ったんです!

 誰もが強くて凛々しい人だと思っているあなたが見せる弱いところを見れるのって弟子の特権だし、正直すごく優越感を感じていました!」

「そ、そうきたか!」

「好きなところはまだまだあります!

 颯爽と僕を助けにきてくれた時の圧倒的な強さと剣技の鮮やかさ!

 あんなの見せられたら一発で、キュン♡ ですよ!」

「キュ、キュン……なのか?」

「助けられたヒロインが主人公にコロリといくメカニズムが心で理解できましたよ!

 それだけじゃなくて」


 僕はいくつも、いくつもレクシーの好きなところを挙げていった。

 秘めるつもりで抑え込んでいた想いが勢いよく噴き出していくさまは、キラキラと輝く水の上を駆けるような爽快感があって、僕の心は満ち足りた。


 それからどれくらい経っただろうか。

 いつしか日は傾き始めていて、影が長く伸びていた。


 ……僕の身体にしがみつくようにレクシーは抱きついていて、僕たちの影は一つに重なっていた。


「あのー、レクシー……師匠?」


 恐る恐る尋ねると、彼女からか弱い声が返される。


「あ、あたしの精神耐性は万全だ……

 君のアビリティとやらのせいじゃない。

 せいじゃないんだが……」


 ギュッと抱きしめる力が強くなり、レクシーの熱が僕に伝わってくる。


「あんなに好きだと言われ続けたら…………あたしだって、好きになってしまうだろ」



 ええぇぇ…………

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