第2話 童貞、人生をダメ出しされる
「あなたはお亡くなりになられました。
生前の勇気とその功績に敬意を表します」
雲ひとつない真っ青な空の下、珪藻土マットのような質感の白い大地の上で目を覚ました俺は目の前に立つヒゲ面の外国人にそう言われた。
そっかぁ……俺、死んじゃったか。
童貞のまま……
「うぅ、うっ……うぐぉおおおおお〜〜〜〜……」
「泣いていいのですよ。
人間にとって命とは重いものです。
特にあなたは若かった。
それだけ未練もあるでしょう。
好きなだけ泣きなさい」
優しいヒゲ面……だけど、俺の未練はただひとつ……童貞を捨てられなかったことだけだ。
もし、チンピラの乱入が2時間ほど遅くて、ルナさんで卒業した後でなら刺し殺されようが未練なんてなかっただろう。
まともに女の裸も見ないまま、人生を終えることになってしまうなんて……
しばらく泣いて泣いて、涙も枯れ果てた頃、助け舟を出すようにヒゲ面が言った。
「この場所は死後の世界でも特別なものしか来られない場所です。あなたは先の人生で多大なる功績と己に対して極めて厳しい縛りを課していたことが評価されてここに来ました」
「功績? 縛り? 俺のあのくだらない人生に何の価値が?」
「あなたは人生の最後に一人の女性を守りましたね」
「守ったね」
「そのことが後に多くの人間の命を救うことになるのです」
「えっ!? じゃあ、ルナさんはやっぱり女神とか!?」
「ははははははは……神をみだりに称えるのは感心しませんね」
「あっ、すみません」
やっぱり、宗教の話はあの世でもタブーらしい。
「あの女性自身はただの人間です。
学年で3番めくらいに可愛くてエロい身体してて気立てが良くて愛嬌があり情が深い、そんなただの女です」
「それ、女性の上位1%もいないと思うんですけど」
「肝心なのは彼女の子どもです。
今、6歳の男の子がですね」
「ええええっ!?
ルナさん子持ちだったの!?
じゃあ……結婚してるってコト?」
「興味津々ですね。
分かりました。
いろいろ説明しなくてはならないこともありますし、順を追ってお教えしましょう」
ヒゲ面は俺の目の前にどっかりと腰を下ろして胡座をかいた。
そして、洋画の吹き替え声優のような味のある美声でルナさんにまつわる話を語り始めた。
「あなたがルナ、と呼んでいた女性は20歳のときに結婚しました。
相手は5つ上の幼馴染でした。
とても仲睦まじく、長男を授かり、さあこれから! といった時に夫を不慮の事故で亡くしてしまいます」
「あら〜〜、何やってんだよ旦那よぉ……」
聴かせる語り口に対して思わずリアクションしてしまった。
俺はTVを観てる時一人でツッコミを入れてしまうタイプ。
だが、意外とヒゲ面の男は気をよくしたのかニンマリと笑い、声がかすかに弾んだ。
「夫の死後、遺された保険金とパートを掛け持ちして子どもを養っていたんルナ。
ここで出会いがありました。
あなたが脳内でチンピラと称していた男です。
あの者が正体を隠して近寄ってきて、言葉巧みに彼女の寂しさにつけ込み、恋人の関係になったのです」
「やっぱり元カレだったかぁ……じゃあ、その後はお決まりの」
「ええ、一緒に暮らし始めてからチンピラは豹変し、彼女の財産を巻き上げ、借金を肩代わりさせた挙句、子どもに暴力を振るうようになったのです。
たまらなくなった彼女は借金取りに返済を約束することで協力を取り付けてチンピラから逃れ、あの街で借金を返しながら子どもを養うためにお風呂屋さんで働き続けていたのです」
「可哀想すぎてヌケないってやつなんですが……そんな理由であんな仕事してるなんて」
「まあ、ここから彼女はライジングしていくわけなんですが」
「あからさまな引きが腹立つ……でも早く聞かせて!」
「その前に……もし、あなたが彼女を庇わなかった場合の世界線のお話をまとめてありますのでお聞きください」
「ここ、テレビ番組の収録スタジオか?」
「傷モノにされた彼女はあのチンピラの下に戻ることになり、慰み者兼サンドバックの日々が続きます。
そして、息子が10歳の時に母親を庇うために包丁を取り出しチンピラを刺し殺します。
根が真面目な親子ですからキチンと罪を償った後、地方都市に移り住み、ささやかな暮らしの中生涯を終えるのですが、他の人間に大きな影響を与えるような出来事はありませんでした————完」
「ルナさん……それと息子……あんまりだぁ……」
「で、す、が!
あなたが彼女を庇ったことでさっきのような展開はなくなり、彼女の人生は好転します!」
「きたきたきた!」
「あなたを刺したチンピラは殺人罪でめでたく獄中に!
懲役10年が課せられます!」
「おい! かけがえのない俺を殺しておいて懲役10年ってなんだ!
少なくとも死刑にしろ!」
「ご安心ください。
チンピラは名前を騙っていた組の連中に目をつけられて刑務所で壮絶なイジメをくらいます。
学校や職場で行われているような生やさしいモノではありません。
本職のイジメはもはや拷問。
悪趣味なWEBマンガで行われているようなことが10年間ずーっと繰り返されました」
「おい、法治国家。
看守はどうした?」
「囚人のストレスコントロールということで見て見ぬ振りです。
そして、仮釈放が迫ったある日、チンピラは謎の死を遂げてしまいます」
「おい! 法治国家!
陰謀論に目覚めそうなくらい不自然な死なんだが!?」
「とりあえず、チンピラの一生はそんな感じです。
彼に罪を犯させなかったのもあなたの功績の一つですね。
さて、お待ちかねのルナの人生ですが……大きく流れが変わります」
「待ってました!」
「あなたが強面と呼んでいた店の黒服と結婚します」
「聞きたくなかったぁ〜〜〜!
たしかにイケメンだけどさあああ!!」
「あの事件の後、彼はあなたを死なせてしまったことを悔やみ、足を洗いました。
そして、自分の店を持つために貯めていたお金でルナの借金を返済し、結婚を申し込んだのです」
「本当、強面っていい奴だよな。
行きずりの客の死をちゃんと悔やんでくれるとか」
「かなり徳の高い人物ですね。
その後、彼の地元の街にルナと息子を連れていき、工務店に就職して真面目に働いて親子を養います。
息子も実の父親のようになつきました。
その後、ルナとの間に3人もの子宝に恵まれましたが兄弟分け隔てなく育てられ、ルナの息子は医学部まで進学します」
「……いい奴っていうか良い意味でビッグダディじゃないか、いい意味でビッグ」
「で、ここからが重要です。
あなたが死んでから30年後、世界をパンデミックが覆います。
従来のウイルスに比べ感染力と潜伏期間が長く、致死率も高かった為、収束迄に地球人類の半数が死に絶えると予測されていました。
しかし、日本のある研究者が開発したワクチンによって犠牲者の数は奇跡的なレベルに抑えることができたのです」
「も、もしかしてその研究者って……」
「ええ。ルナの息子です」
「よしきたアアアアアアアッ!」
このヒゲ面盛り上げる話し方を心得ているな。
「未曾有のパンデミックを乗り越えた人類。
その救世主となったルナの息子は世界中の歴史の教科書に載って彼の名前を冠した基金が作られるほど人類史に影響を与えました」
「すげえええ! すげえよ!
ルナさんとルナさんの息子!
あんなお風呂屋さんで働いていたのに————」
自分で口走った矢先、嫌な想像が脳裏を掠めた。
「あのー、ルナさんの息子って有名人になったわけじゃん。
そのせいでルナさんが過去に何をやっていたのかバレたり」
「当然、バレました。
写真週刊誌にタレ込まれ、それに乗っかるSNSのインフルエンサーたち。
当然、ルナさんの息子やルナさん自身にも酷い誹謗中傷が浴びせられました」
「人類学ばねえなぁ!
30年後だろ!?
滅んじまえよくそっ!」
怒りのあまり地面を叩く。
しかし、ヒゲ面は俺のこんな反応も織り込み済みだったと言わんばかりに笑みを浮かべる。
「ご安心なさい。
たしかにルナの過去は暴かれました。
しかし、それは子どもを安全に育てるためにやむを得ない方法であったし、強面という伴侶であり庇護者を得る機会にもなりました。
むしろ自分の身を削って人類の救世主を育て上げたルナは聖女のように崇められています。
勿論、何をしても叩く者たちはいますが圧倒的に少数派ですよ。
すぐに炎上は鎮まり、逆に火付けに関わった写真週刊誌は廃刊になり、インフルエンサーたちも身バレして消息を断ちました」
「よっしゃあっ!
ざまぁwwwざまぁwww
ウイルスと一緒に駆逐されちまえ!」
あまりのテンションの上下に興奮しきりの俺が落ち着くのを待って、ヒゲ面は語る。
「ルナと強面は騒動を終わらせるためにありのまま、過去にあったことを世界に発信しました。
その中にあなたに関わる部分もありました。
今日はそのインタビューを聞いてお別れしましょう」
「ええっ!? 俺のことも!?」
ヒゲ面の隣にスクリーンのらしき平面が浮かび上がる。
そこに大写しになっていたのは歳をとったルナさんだった。
年相応に老いてはいたが変わらず美しく、豊満な体をしていた。
俺、熟女も全然イケるな。
「私がその仕事を辞めることになったきっかけは、前に交際していた男が逃げた私を取り戻そうとナイフを持って襲ってきた時のことです。
その時、お客さんとして来てくれていた男性が私を庇って刺されたんです。
ほんの数分前に話しただけの間柄だったのに命を賭けて守ってくれたんです。
あの時、私が傷物にされてあの男の元に戻っていたならば私も息子もどうなっていたことか……少なくとも医学の道に進めるような環境で育てることはできなかったでしょう。
巻き込んでしまったあの人は本当に申し訳ないと感じています。
同時に今日まで1日たりとも感謝を忘れたことはありません。
私のことを『救世主』を産み育てた偉大な母だと持て囃してくれる方もいらっしゃいますが、まずあの方がいなければ、今日を迎えられなかったのです。
願わくば若くして亡くなられてしまった勇敢で心優しい彼の魂の冥福を、今お聞きの方々に祈っていただければと思います」
さっき「熟女も全然イケるな」なんて言ってた男の魂を未来永劫消滅させてくれ。
本当に……我ながら……くだらない…………
「……うぅっ、ルナさん……ルナさぁん……」
生まれて初めて、死ぬ間際に俺は初めて女の人に大切に想ってもらえた。
もちろん恋や愛と分かっている。
それでも胸の奥が熱くて、さっき枯れたはずの涙がまた溢れてきてしまった。
「いかがでしたか? これがあなたが人生で遺した功績です」
「俺はただ……童貞を捨てにいっただけでそんな大層なことは」
「ええ、そのことも後世の写真週刊誌やSNSのインフルエンサーのおかげで世界中が知っている事実です(実名付き)」
「おぉいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」
今日イチ感情が動いた瞬間である。
「ご安心ください。
世間は概ね好意的です」
「そういう問題じゃないだろ!
宗教上の理由もなく童貞でそれを捨てるためにいった風俗で死んだことを世界中に広められるとか恥辱の極みだろうがあ!」
「ちなみに世界各国で『テルイ』という日本の苗字が童貞の代名詞として使われています」
「俺の本名じゃねえか!
ごめんね! 同名で存命のみんな!!」
「まあ、そういうわけであなたは人類史に名を残す英雄になったんですよ。
将来F⚪︎te的なゲームで出てくること間違いなしです」
「場違いも良いところだろうが!
聖杯にかける願いが説明不要すぎる!」
ひとしきり突っ込んだ後、俺はヒゲ面に尋ねる。
「で、そうやって俺を辱めるためだけに天国に行くのを邪魔してここに留めているのか?」
「なかなか察しもいいですね。
あなたの想像通りここからが本題ですよ」
ヒゲ面は立ち上がると両手を拡げて空を仰いだ。
「あなたは人類存亡の危機を退ける英雄のためにその命を投げ出した。
因果は逆ですが事実はそうなりました。
十分、英雄に足る功績です。
さらには生物において最大の命題である生殖行為を行わないという縛りを掛けたまま生涯を終えた」
「別に縛ってたわけじゃ……代わりに何か得られた訳じゃないし」
「とにかく、我々はあなたに現世の記憶を保持したままもう一度生を受けていただくこととしました。次の人生は縛りなど掛けず生を謳歌してください!」
「縛ってた訳じゃないって言ってるだろう!
てかいいよ!
もう一度人生やり直すとか!
そんなバイタリティないから童貞だったんだよ!」
死後の世界と聞いた時から嫌な予感がしていたんだ。
散々こすり倒された転生ものなんて今時流行らないんだよ。
「たしかに遅きに失した感はありますが、なんだかんだでアニメで転生ものにハマった視聴者がWEB小説に流れてくるという構造があるので、今書くのは悪手ではないと」
「心の声を読んでまでWEB作家の創作マーケティング論に一言申すんじゃない。
とにかく俺は良いよ。
人生は一回きりしかないと思っていたのにくだらない一生を送ったんだ。
もう一度生をやり直すとしても俺の記憶なんかシュレッダーにかけといてくれ」
自暴自棄に思われるかもしれないが、今更言葉も通じない赤ん坊からやり直すなんてごめんだ。
もし異世界になんて行こうものなら現代日本の衛生観念と社会制度に馴染んだ精神ではすぐにやられる。
ヨーロッパの先進国だろうが水が合わないって腹を下す生き物だぞ、俺は。
「あなたは本当に、変なところであきらめがいいですね。
そのせいで満たされない人生になってしまったというのに」
「なんだって?」
ヒゲ面はタブレットらしきものを出して手慣れた様子で操作しながら俺に話しかけてくる。
「あなたの人生におけるターニングポイント。
いずれもあなたは失敗するんじゃなくてあきらめて身を引いた結果、望まないルートに入ってしまっているんです。
たとえば小学校ならば優しくしてくれた女子に素直に感謝して仲良くなっていればそこから地元に溶け込むことができたし、中学受験でも受験直前で志望校のレベルを下げず、大学附属の共学校を受けていれば合格しましたし、そうすれば一般的な社交力を手にしたまま成長できて普通に19歳で童貞を捨てて————」
「たらればで人生のまちがいさがしするのやめてくれない!?
アンタのポジションでそれやられるとシャレにならない!」
だが、図星だ。
俺は昔からあきらめるのが早い。
夢を追うことも、青春をかけることも、恋愛さえもあきらめて関わらないようにしていた。
漫画やゲームの主人公ならいざ知らず、自分みたいなくだらない人間が諦めないからといって何になる————
「でも、大きな決断の中で唯一あきらめなかったことがありますね。
ルナを庇ったことです」
「っ!?」
「結果として自分の命を落としてしまいましたが、あの行動は命を顧みない自暴自棄なものではありませんでしたよね。
童貞を卒業させてくれるルナを失うわけにはいかなかった。
実際、最後の最後まであなたはルナと致しかったようですし。
あなたのあきらめが悪かった結果、人類は救われたのです」
ヒゲ面は光を湛えた瞳で俺を説得しにかかっている。
捻くれている俺は美味い話にそうそう乗っかることはしない。
だけど……人生に後悔がないと言えば、嘘になる。
もし、子供の頃に戻って陰気な性格を矯正していれば。
一廉の人物になれるよう何かに打ち込んでいれば。
年相応に友達とバカやったり恋に夢中になったりしていれば……
他人と関わったり、失敗することの怖さや面倒さを受け入れられる人間になれるのならなりたい。
それが本心だ。
「ほう。決意はできたようですね」
「……転生するからには特典ちゃんとつけてくれよ。
チートも無しにファンタジー世界とか行かされたら罰ゲームみたいなもんだからな」
「なるほど。チートをつけたらファンタジー世界に行っても良いということですね」
「全国転勤がある企業の人事担当者みたいな考え方するな」
「ハハハ、安心してください。
とびっきりのチートを授けますから。
上手く使えば世界を統べる能力ですよ」
「上手く使えば……なんか嫌な予感がするんだが、実際どういう能力だ?」
「あなたが来世で13歳になった時のお楽しみです————それでは、あなたを待っている世界に行ってらっしゃい!」
ヒゲ面はバラエティ番組のMCのような軽薄なノリで俺を異世界にと送り出した。
引っかかるところはあるが、ご褒美に転生させてくれるくらいだからそんな酷いことにはならないだろう、と期待して俺は意識を手放した。
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