英雄ヤリティンと才色甘美なカノジョたち〜ヤればヤるほど強くなる少年は無自覚なまま恋人と伝説を量産する〜

五月雨きょうすけ

プロローグ 村上⚪︎樹の小説からセックスと感性と知性を抜いたような人生の終わり

第1話 童貞、暁に死す

「童貞のままで死ねるか!」

 

と思い立った俺がスケベなお風呂屋に駆け込んだのは29歳の夏のことだった。

 ひぐらしの鳴き声が降る駅のホーム。

 久しぶりに現金でいっぱいにした財布を持って電車を待つ時間は、子供だけで夏祭りに向かった小学生の夏のノスタルジーを想起させる。

 長年の命題をもっとも安易な方法で解決しようと思い至った理由は衝動的なもので、何の予定もない夏休みの二日目に、SNSのTLに流れてきた風俗のレポ漫画を読み終えてムラムラしてしまったからだ。

 溜まりに溜まった俺のリビドーを燃料にしてラムジェットエンジンのような行動力を噴出させ、気がつけば日本の成人男性はだいたい知っている風俗街に辿り着いていた。


 入店したのは中世ヨーロッパ風の屋敷を想起させる店構えをした『暁』というお風呂屋さん。

 待合室に座る俺に、主人を守護する騎士のように体格の良い強面の男が彼の纏うスーツのように折目正しく尋ねてきた。


「当店は初めてですか?」

「あ、はい。そもそもこういうお店に入るのが初めてというか、女性とそういうことをしたこともなくて……」


 緊張のあまり早口になって必要以上に喋ってしまったが彼は穏やかに微笑み、


「分かりました。最高の初体験になるよう応援させてください」


 と言って下着姿の女性の写真が並べられた冊子を持ってきた。


「当店は指名制となります。この中でお好みの子を選んでいただけます」


 目を皿にするようにして冊子の隅々まで見る。

 せっかくの初体験。金に糸目はつけたくないと高級店を選んだのだが大当たりだった。

 今まで自分が知り合う機会すらなかったスタイル抜群の美女揃いである。

 ふと心配になって尋ねてみた。


「あの……こういう写真って盛ってるって聞きますけど」

「ご安心ください。当店は信用第一ですので。

 ほら、デジカメではなくフィルムカメラで撮影していて無加工なんですよ。

 これより良くなることはあっても悪くなることはありません」


 マジか……凄いな高級店。


「あ、あと、ここってその……女の子とデキるんですよね」

「……質問の意味が分かりかねますが、当店はお風呂に女の子と入っていただくお店です。

 まあ、その最中に盛り上がって120分の間だけ恋人になることは当然あります」


 ニヤリと笑うとさりげなく俺の肩を叩くスキンシップを添えてきた強面。

 あまりの包容力にあんたに惚れてしまいそうになっちゃうぞ。モテるんだろうなあ……そうだ。


「みんな綺麗なので、選ぶのが難しいです。お兄さんが選んでくれませんか?」

「ええ、構いませんよ。どんな子が好みです?」

「えーと、俺29歳なんですけど、同い年かちょっと年下くらいが良いです。ああ、でもセクシーお姉さんとかじゃなくて、ちょっと童顔な感じがいいかな。あまりこの業界にどっぷりという感じがなくって根が明るい感じがいいけどだからと言ってやかましすぎない人が良いですね。おっぱいは大きいほうがいいけどぽっちゃりはちょっと。タトゥーとかピアスは勘弁してもらえれば。あと、声が可愛くて喋り方が優しい感じだと言うことなしです」

 事前準備で調べていたサイトに好みの注文は細かいほうがいいと書かれていたので思いつく限りの注文をつけた。


「だったら、この子オススメですよ」


 強面が指差したのは『ルナ』という名前の女性だった。

 純白の下着が溶け込むような色白の肌。

 栗色の髪が垂れかかる胸元にはたわわな果実が実っていた。

 何よりも魅力的だったのがその笑顔だ。

 無理に作っている感じがしなくって本当に俺に向かって笑いかけてくれているような優しい笑顔。

 初めての相手がこんな女性なら思い残すことはない、と心から思えた。


「ありがとうございます。お願いします」


 自然と感謝の気持ちが伝えられた。


 通された部屋でルナさんは俺を出迎えてくれた。

 強面の言葉に嘘は無く、写真で見るよりずっと綺麗でバスローブから覗く柔らかそうな白い胸の双丘は日常生活ではお目にかかれない大きさで堂々と鎮座していた。

 

「選んでくれてありがとうございます。ルナです。よろしくお願いしますね」

「好き。もう既に好き」

「えっ? ありがとうございます?」


 おっといけない。

 童貞にありがちな惚れっぽさが出てしまった。

 さっきはうっかり童貞であることを漏らしてしまったけれど、俺の歳で童貞なんてキモがられるだけだろうしバレないようにしないと————


「あのー、聞いたんですけど。お客さん、今までエッチしたことないんですか?」


 報連相ちゃんとしているんだな、あの強面……

 

「あっ……はい……」

「ヘーっ、そうなんですねえ。

 意外だなあ。

 普通に彼女とかいそうなのに」

「ははは……」

  

 俺は引き攣った笑顔を返す。

 童貞が童貞であることが嫌になる瞬間、それは他人から侮蔑の目を向けられることだろう。

『えーっ! 今までの人生で身体を許し合えるような人間関係を一度も築いたことはないのー⁉︎』と言わんばかりに彼女らは童貞を弱者だと憐れみ、同時に叩いてもいい悪だと————


「じゃあ、今日は最高に幸せな夜にしなくちゃいけないですね」

「えっ?」

「だって何事も初めてが肝心じゃないですか。

 最初上手く行ったことは得意になったり好きになったりするものだし」

「ま、まあ……そうですね。

 でも、こういうこと好きになっても辛いだけだし……しょっちゅうお店来るのもしんどいし」

「得意なこと好きなものは多い方が良いですよ。

 いつか役に立つときが来ますから」


 じゃあ、あなたはセックスが好きだから今役に立っているんですか、なんてゲスな質問が浮かんだ。

 しかし、


「私とのこと、良い思い出にしてくださいね」


 初めて耳元で女に囁かれた。

 温かくて甘い吐息が耳にかかり、ビクンッと体が跳ねた。

 振り向いた俺にルナさんは屈託ない笑顔を向けてくる。

 そこには侮蔑はなく、俺という一人の人間に対する親愛が感じられた。

 分かっている。彼女は仕事だ。

 今日も俺以外に客を取り、その客とお風呂で恋に落ちるのだろう。


 だが、それでもいい。

 これから120分だけは彼女を初めての女として全力で愛そうと誓う。


「ねえ、お客さん。せっかくだからお芝居してあげましょうか。私結構得意なんですよ」

「お芝居? たとえば、要領が悪くて婚期を逃してきた童貞と処女のカップルが初めて温泉旅館に行った夜に致すシチュエーションを再現してくれるみたいな」

「飲み込み早いですね。じゃあ、そのシチュエーションでいいですか?」

「いいです」

「じゃあ————夕ご飯美味しかったねえ。良いお宿取ってくれてありがと」


 急にくだけた態度になったルナさん。

 その柔らかい笑顔は恋人に向けるそれだ。

 しなだりかかる身体は明らかに俺を求めており、今まで越えられなかった一線を一緒に越えようと勇気を振り絞っているように感じられた。

 俺は感動のあまり、芝居の神を降臨させる。

「ここの宿、家族風呂が付いてるんだってさ。一緒に入る?」

「えっ……あ、そうだよね。付いてるんだったら、せっかくだしね」

「別に無理はしなくていいぞ。心の準備ができたらで」

「ううん。それは家出る前にしてきたから。キミのものになりたい、って。本当に思ってるから大丈夫」

 そう言って俺の服をギュッと握るルナさん。

 誰か、この人にアカデミー賞あげてくれ、日本じゃなくて本場のやつを。

「じゃあ、行こうか」

 俺は服を脱ぎ、脱衣カゴに入れる。ルナさんもバスローブの帯に手をかけて、俺の目線に恥じらいながらゆっくりとその裸身をさらけ出し————


「ナルミぃぃっ! ようやく見つけ出したぜ!」


 部屋のドアが荒々しく開き、ケバケバしい柄のシャツを着たチンピラ風の男が入ってきた。

 するとルナさんが血相を変えた。


「あ、あんた! どうやってここを⁉︎」

「そんなもん、お前の親に聞いたに決まってんだろ。親戚や職場に迷惑かけたくなかったら全部教えろってな」

「このっ……どこまで最低なの! あんたはっ!」


 ルナさん全裸キャンセル、修羅場イン、俺は全裸待機中。


 ちょっと待て、なんだこの展開。

 もしかして、流行りの物語の世界に飛び込める体感型アトラクション施設なのか?

 さすがは高級店……すみません、現実逃避です。


 怖い! やだ! 誰か助けて!


 俺の心の叫びが届いたのか、ドアの向こうから颯爽と現れたさっきの強面の店員がルナさんとチンピラの間に割って入った。 


「すみません。お引き取りください」

「客の顔見て仕事しろや。組の者に楯突くってことは店潰されても文句言えねえんだぞ。黒服風情がそんな大事なこと決められんのか? あ?」

「今時、こんな道理の通らないことをするヤクザものなんていないでしょう。俺の仕事はお客さんと女の子を守ることなんで。お引き取りください」


 明らかにヤバそうなチンピラに一歩も引かない強面。

 素敵、抱いて。

 すると、まさかチンピラもそう思ったのか、笑顔で強面の肩を叩く。


「ハッハッハッハ、冗談だって。俺に凄まれて一歩も引かねえとか大した根性だよ。あとで店長に褒めてくれるよう言っておくから————な!」


 パチパチパチパチッ! とオモチャのような音がしたかと思うと強面がその場に倒れた。

 チンピラの男はスタンガンらしきものを握っていた。

 再び不機嫌そうな顔に戻ると床に這いつくばった強面の顔を蹴り付けてチンピラは怒鳴る。

 

「チッ。クソが……さっさと帰るぞ! ナルミ! テメェは俺から逃げられねえんだからよ!」

「嫌よ! アンタみたいな人間のクズなんか、もう二度と会いたくない! さっさと帰って!」


 強気な一面を見せるルナさん。

 女心なんてわからない俺でも何となく事情は察した。

 おそらくチンピラはルナさんの元カレとか元旦那とか元客とか元ストーカーとか、とにかく過去に何らかの因縁があった男なのだろう。

 自分の元から姿を消したルナさんを探し当ててここにきたということだろうか。

 

 …………そういうのは俺が済ませた後にやってほしい。

 薄情かもしれないが俺には関係ないし、とばっちりもいいところだ。

 

「えらそうな口ききやがって。こんな商売して楽して金もらってるからつけ上がるんだ。二度と店に出れなくしてやる」


 物騒なことを言うやいなやチンピラはポケットから折り畳みナイフを取り出した。


「かわいい顔とエロい身体に傷がついたら、もう二度と外に出れねえよなあ! 俺が養ってやるから安心しなっ!」

「イヤッ! やめて! こないで!」


 部屋にあるものを手当たり次第投げつけるルナさんだが大柄なチンピラにそんなもの効きはしない。

 すぐに距離を詰めて彼女の手首を掴み上げると持っていたナイフを振り上げた。

 その時、俺は信じられない行動を取っていた。


「うわああああああああっ!!」


 恐怖に囚われて動かなかったはずの体が急に動き出し、ルナさんを抱きしめるようにしてチンピラのナイフから彼女を守った。


「あっ…………」


 焼けるような痛みが背中から胸に突き抜けたかと思うと、全身から力が抜けていく。

 生まれて初めて味わう虚無の感覚だった。


「し、しまった! くそっ!」


 チンピラは慌てふためいて部屋の外に出ていった。


「お客さん! しっかりして!」


 ルナさんが俺に向かって必死で呼びかけている。

 ……綺麗だなあ、可愛いなあ。

 こんな女の人と初体験できるなんて……世界って素晴らしいなあ……

 だから、後120分だけ命持ってくれないかなあ……


 その時、俺の脳裏に過去の記憶が次々とよぎっていく。

 走馬灯というやつか……

 マンガで、今際の際に死を回避するために過去の記憶を参照するために起こる現象、なんて言ってったっけ……

  

 30年近い人生、俺は一切モテというものに恵まれなかった。

 

 小学校は「女子と仲良くするとイジメられる」という異常な校風だったので女友達などできるわけもなく、余所者の俺は爺さんの代から地元に住んでいる連中とは馴染むことができず、漫画とゲームだけが友達の少年時代を過ごした。

 閉鎖的な地元に嫌気がさして受験して進んだ中高一貫校は女教師すらいない純度100%の男子校だった。

 男しかいない環境での下品なノリについていくことができず、ネトゲ三昧の生活を送っていた。

 大学こそ男女比率が半々の文系学部に進学したが、18まで親以外の女性と話して来なかった俺が女子と仲良くできるわけもなく、かといって自分を変える努力もできなかった。

 大学は高校まで以上に自分から動かなければ何もないわけで、本当に何をやっていたのか覚えていない。

 社会人になってからはある意味気楽だった。

 仕事だけちゃんとしていれば、周りも自分をそれなりに扱ってくれる。

 さほど魅力的には感じなかったが女性社員もチラホラいた。

 女に興味がなく、ここまで来てしまった俺は最近流行りの無性愛者とかそういう類の人間なのかもしれないな、と自己診断を下し、穏やかな生活を自分なりに楽しんで過ごしていた。


 それが一転したのは、職場の同期の結婚式のことだった。

 会社関係者ということで参列した俺は同期の結婚相手である女性の眩い美しさを見て脳天に稲妻が走った。

 肩や背中が大きく開いたウェディングドレスに身を包んでいた彼女は肌は白く、胸は豊かで露わになった背中にはシミひとつなく、折れてしまいそうに細い。

 ガッツリと化粧をしていて派手な顔立ちから花束のように鮮やかな笑顔を放つ魅力的な女性だった。

 すると、隣の席に座っていた上司がボソリと呟く。


「あんなに綺麗な奥さんなら子作り頑張りすぎちゃうなあ……おっと! こいつはセクハラ発言だな! いかんいかん! ガハハハハ!」


 子作り! すなわち⚪︎ックス!

  

 遅すぎた俺の性の目覚めの瞬間だった。

 気づくと新婦席に座っているドレス姿の友人たちもみんな魅力的に見えてくる。

 幸せそうな新郎新婦を見て、俺はようやく自分のしたいことを見出した。


 1秒でも早く童貞を捨てたい! と。


 それからマッチングアプリに登録し、出会いを求めた。

 マッチングアプリ凄いよ、マッチ。

 本当に女性と出会える。

 中にはクラスで何番目かにカワイイってレベルの女の子もいたし凄い時代になったなあ、って思う。


 だが、凄い時代になっても幼少期以降、女子と関わりを持たず来てしまった俺にまともに女性と関係を深めることはできず、30歳まであとひと月となった時に弾けた————



「……って、危機から逃れられる情報なんてどこにもねえぇぇ、ゴブァッ!」

「お客さん! 喋っちゃダメです!」


 情けなくくだらない人生を送ってきたものだ。

 村上⚪︎樹の小説の主人公から⚪︎ックスと知性と感性を抜いたような味気なくくだらない人生。

 ああ、やり直したい……

 やり直してヤリ散らかしたい……


 ああ……ルナさん……


「ヤリ……たかったぁぁ……」



 これが俺の最後の言葉になった。

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