08-1.悪役令嬢は初恋に溺れる

* * *



「お嬢様っ! ご無事でしたか!?」


 エリーは涙を目に浮かべながら、アデラインの元に駆け寄ってきた。


 離れていた時間は短くはない。


 しかし、アデラインが騎士として仕事をしている時と就寝中以外の時間は、エリーはアデラインと共に過ごしてきた。それなのにもかかわらず、事情を明かされないまま、大公邸に連れて来られたのは屈辱的だった。


 だからこそ、真っ先にアデラインの無事を確かめたかったのだろう。


「当然でしょう?」


 アデラインは何事もなかったようにエリーに微笑んだ。


 少々、疲れが見えているものの、酷い目に遭っていたわけではない。しかし、侯爵邸を出る前には完璧に整えられていた髪形や服装が乱れていることをエリーは見逃さなかった。


「でしたら、どうして、これほどまでに乱れていらっしゃるのですか!?」


 エリーの言葉を聞き、アデラインは視線を逸らした。


 当然のようにアデラインの隣に座っているメルヴィンもエリーには興味がないと言わんばかりの顔をしており、状況を説明することはないだろう。


 ……抱きしめる加減がわからないせいだと言いにくいですわね。


 本人を前にして言いにくかった。


 アデラインはエリーが心配をしているとわかっていた。


 メルヴィンに抱きしめられていたら、いつのまにか着崩れていたとは言いにくい。それを伝えればドレスの不備を疑われそうだ。


 しかし、黙っていれば誤解を生むだろう。


「メルヴィン様が抱きしめてくださったの。そしたら、ドレスのしわが直らないのよ。どうしましょう」


「ドレスの不備でしょう。エステル様の設計では無理があったのです」


「そのようなことを言わないでちょうだい。あの子が失敗をするはずがないわ」


 アデラインはエステルを庇うように話す。


 今ごろ、侯爵邸に戻っているだろうエステルはくしゃみでもしているだろう。


「それでは、エステル様がわざとそういう設計にしたのでしょうね。あの方はお嬢様が他人に触られるのを酷く嫌がりますから」


 エリーは賢かった。


 メルヴィンに対し、露骨なまでに敵意を向ける。


「スコールズ卿」


 エリーは地を這うような声で呼びかける。


 返事は期待していない。


「お嬢様はこれから予定がございます。本日はこれにて侯爵邸に帰らせていただきます。よろしいですね」


 エリーは一方的な言葉を口にした。


 ……夕食前には戻るように言われていたわね。


 予定があるのは事実である。


 出かけることを執事に伝えたところ、夕食までには帰ってくるようにと父親から返事がきていた。それをすっかり忘れていた。


「お父様から夕食を共にしようと言われておりましたの。すっかり忘れていましたわ」


 アデラインは約束を違えなくてよかったと安堵する。


 なにかと忙しなく動き回っている両親と食事を共にする機会は少ない。それなのにもかかわらず、急に夕食を共にすると伝えられたのには理由があるはずだ。


「そうか。……侯爵には断りの手紙を送ろうか?」


「いいえ。そのお言葉には乗りませんわ。お父様のことですもの。来週の討伐任務に関する話を聞きたいのだと思いますのよ」


「あぁ。そういえば、侯爵は反対をしていたな」


 メルヴィンは納得をするしかなかった。


 大規模討伐の提案をした時には、なぜ、エインズワース侯爵が反対をしているのか、理解もできなかった。しかし、男装をしている娘が参戦することになると勘付き、普段の冷静な姿からは想像できないほどに強く反対をしていたのだろう。


「お父様は過保護なところがありますのよ」


 エインズワース侯爵の心は娘であるアデラインに伝わらない。


 ゴブリンの大規模討伐は必須である。知能が低く、繁殖性が強い。単体での攻撃力は大したことはないのだが、数が多くなればそれなりの被害がでる。


 そのような場所に娘を参戦させたくなかったのだろう。


「今になってはその過保護さに甘えてほしいものだがな」


「嫌ですわよ。私は仕事を放棄するような怠惰な人ではありませんもの」


「それは知っている。だが、安全なところにいてほしいと思ってしまうのは、当然のことだろう?」


 メルヴィンの言葉を聞き、アデラインは気まずい思いをする。


 ……心配されているのはわかっています。


 婚約者を危険な目に遭わせたくないのは本音だろう。暴走癖はあるものの、メルヴィンがアデラインを愛しているのは疑いようもなかった。


 だからこそ、胸が痛い。


 心配する気持ちに応えられない自分自身に対し、嫌悪感を抱いてしまう。


「……ごめんなさいね、メルヴィン様」


 アデラインは許しを乞いたいわけではない。


 それでも、謝罪の言葉を口にしてしまった。


「大丈夫だ。わかっている」


 メルヴィンはアデラインを非難するつもりはなかった。


 しかし、心配しているのだと何度も口にしなければ伝わらない気がしていた。


 ……優しい人ですこと。


 アデラインの行動を制限しようと思えば、メルヴィンはできるはずだ。騎士団長の権限を使えば、アデラインを討伐任務に参加させなくすることができる。


 それをしないのはアデラインの意思を尊重しようとしているからだろう。


「アデライン。明日の仕事はいつも通りにしてくれればいい」


 メルヴィンの言葉に対し、アデラインは何度も瞬きをした。


 ……なにか重要なことでもあったかしら。


 討伐任務の詳細を言い渡されるのは、出発する日だ。心の準備をしている間に怖気づいてしまう騎士も少なくはない。その為、多くの騎士は当日に知ることになる。


 それが要領のいい作戦なのか、アデラインにはわからなかった。


 戸惑いを隠せず、狼狽えていたところを敵に狙われるのも少なくはない。


 今回は一年目の騎士は不参加になっているとはいえ、第一騎士団はエステルたちの子守に専念をしなければならない。その為、戦力として考えるわけにはいかなかった。


「ええ。そのつもりですわ。……なにかございますの?」


 アデラインは不安げに問いかけた。


 それに対し、メルヴィンは困った顔をした。


「噂が広まっているだろうからな」


「……噂ですか?」


「そうだ。城下町でのやり取りを誰かに見られていたらしい。耳の早い部下たちのことだ。面白おかしく、それをアデラインに教えてくるだろうからな」


 メルヴィンの言葉を聞き、その場面を簡単に想像することができてしまう。


 第二騎士団は仲が良い。


 それはアデラインの功績が大きいのだが、アデラインは自覚をしていなかった。


「それはアディ・エインズワースとして肯定すればよろしいのかしら?」


 アデラインは真面目な面持ちで口にした。

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