07-2.代筆者の恋は叶わない
「今日限りで解雇となります」
メイド長は残酷な言葉を告げる。
告げられた言葉の意味をドロシーはすぐに理解することができなかった。
「どっ、どうしてですか!?」
顔を隠していた手を下げ、メイド長の顔色を伺う。あいかわらず、表情一つ変わらないメイド長の手には解雇通知が入れられた封筒があった。
「坊ちゃまがお決めになれたことです」
メイド長は淡々と告げる。
強引にドロシーの手に押し付けた封筒は、前もって用意されていたのだろう。誰もが引き受けたがらないエリーの軟禁をドロシーに押し付けた時点で決まっていたことだった。
「ドロシー。貴女はアデライン様の専属メイドになりたいと言っていましたね」
「それがいけなかったとでも言うのですか!?」
ドロシーは理解ができなかった。
しかし、渡された解雇通知を床に叩きつけることもできない。
「いいえ」
メイド長は冷たい声で否定する。
「アデライン様は代筆者のことを存じておりました。その上で代筆者に会いたいと申されたそうです」
メイド長の話をドロシーは理解ができない。
手紙の代筆を行っていたのはドロシーだ。
しかし、それは大公家のメイド見習いとして孤児院から売り出されてから、すぐに与えられたドロシーだけの仕事だ。孤児院出身でありながらも、字を書くことに長けていた。それがドロシーの明暗を分けた。
「それなら、どうして、解雇に?」
ドロシーは首を傾げた。
六年間、手紙を代筆していた。メルヴィンの字に似せるようにと指示があっただけであり、手紙の内容は指示されていなかった。
最初こそは遠慮がちに書いていた。
それが次第に恋心が混じる文章へと変わっていった。
「坊ちゃまはアデライン様を独り占めしたいのでしょう」
メイド長はドロシーに同情をしていた。
ドロシーは仕事が得意ではない。六年の年月を働いていても、未だにメイド見習いから昇格することができない。それでも、解雇されなかったのは代筆者としての使い道があったからである。
代筆者が必要となくなれば、ドロシーの役目も終わりだ。
それをメイド長は遠回しに告げていた。
「仕事の斡旋はしてあげます。それ以降は自分で決めなさい。ドロシー、今から、すぐに荷物をまとめてきなさい。今日中に次の職場に連れて行きます」
メイド長の言葉は冷たいものだった。
次の仕事先を用意してあるのはメイド長の同情によるものだった。
同情はしているものの、メイドとして大公家で雇い続けないのはドロシーの勤務態度が原因だった。理不尽な理由で解雇されたとはいえ、仕事のできない人が働き続けられるほどに大公家は優しい居場所ではない。
「……嫌です」
ドロシーは理解ができなかった。
代筆者としての仕事がなくなることも理解できない。
なぜ、メルヴィンがアデラインを独り占めしようとしているのかも理解できない。アデラインは大公家が欲する婚約者ではあったが、メルヴィンは大公夫妻の気持ちを理解しようともせず、アデラインを嫌悪していたはずである。
急に展開が変わったことは知っていた。
しかし、ドロシーには受け入れられなかった。
大公家の別邸で働いている多くの若いメイドたちがアデラインに対し、敵視の籠った視線を向けていたのも、ドロシーとは感情は違うものの、似たような理由だった。
彼女たちは若き主人に淡い恋心と貴族になれるかもしれないという野望を抱き、ドロシーはアデラインの唯一の理解者になりたかった。
アデラインから送られてくる手紙はすべてメルヴィンのものだった。贈り物もメルヴィンは嫌悪しているように装いながらも、すべて、手放すことはなかった。
ドロシーの手元にはなにも残らない。
それでも、ドロシーはかまわなかった。
アデラインが嫁いでくれば、ドロシーだけがアデラインの理解者となり、アデラインの傍にいられるのだと信じて疑わなかった。
それがドロシーの恋だった。叶わない初めての恋だった。
その夢は儚く散った。
それをドロシーは嘆く時間さえも与えられなかった。
「アタシはアデライン様に仕えるんです」
ドロシーはメイドとしての仕事はできない。
結婚をすれば、大公子妃としての役目をこなしながら、騎士として国に尽くすアデラインの日々を支えられるとは思えない。
ドロシーはそれを理解していなかった。
だからこそ、メイド長は冷めきった視線をドロシーに向けていた。そこには同情はない。次の仕事の斡旋をするのは、トカゲのしっぽ切りのような扱いをさせてしまったことに対する罪悪感を軽減する為だ。
けっして、ドロシーのことを考えて提案されたものではない。
「それは不可能です」
メイド長は事実を告げる。
「貴女にはアデライン様にお会いする資格はありません。二度とあのお方たちの前に姿を見せることさえも、許されないのです」
メイド長の言葉に対し、ドロシーの顔色が変わった。
ここまで言われて、ようやく、理解をした。
「……どうして、ですか」
ドロシーの声が震える。
夢を語る希望に満ちた声ではなく、悲しみを帯びていた。
「アタシが、平民だから?」
「そうです。平民は貴族に声をかけることは許されません」
「どうしてですか! だって、平民だって、声をかけてもいいって!」
ドロシーは平民だ。
貧乏な両親の元に生まれ、流行り病にかかり、命を落とした両親から頼まれたのだと口にした大人に騙されて孤児院に売り飛ばされた。
ドロシーの経歴は同情されるようなものだ。
しかし、同情だけでは生きていくことはできない。
「それは貴族の元で働いている者たちに向けての言葉にすぎません」
メイド長は淡々と告げる。
貴族の屋敷で働く者の多くは貴族の生まれだ。爵位はあるものの、領地は持たない男爵家や子爵家の生まれの者が多く、中には伯爵家の私生児というだけで貴族の屋敷で働いている者もいる。
それだけでは人数は足りなかった。
だからこそ、見習いという形で平民を雇った。見習いである平民たちは下級使用人として扱われ、役職の与えられる上級使用人になることはない。
貴族の都合よく利用されるものである。
それをドロシーは理解していなかった。
「ドロシー。貴女の為に忠告をします」
メイド長は告げる。
「大公邸でのやりとりを口外しないこと、そして、貴女がしてきた仕事を口外しないことです。今後、生きていきたいのならば、最低限の常識は守りなさい」
メイド長の言葉を聞き、ドロシーは俯いた。
理解をしているのかさえもわからない。
「片付けをしてきなさい。貴女がいた痕跡を一つも残さないようにしなさい」
「……はい」
「お返事はよろしいこと。では、行きなさい」
メイド長はドロシーに背を向けた。
「……アタシ、これからどこに行かされるのですか?」
ドロシーは震える声で問いかけた。
それに対し、メイド長はなにも答えなかった。
――この日、ドロシーは大公邸を追い出された。次の仕事場に連れて行くと言っていたメイド長の姿はなく、指定されたボロボロの馬車に乗せられ、行き先もわからないまま、ドロシーは震える一夜を過ごしたことだろう。
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