06-7.
「何度でもしよう。結婚後もデートをしてもかまわないだろう?」
「もちろんですわ。メルヴィン様と過ごすお時間はなによりも幸せですもの」
「それはよかった」
メルヴィンの穏やかな返事を聞き、アデラインは頬を緩めてしまう。
……騎士として接している時とは、また違うものですわね。
上司と部下という間柄にしては近すぎる距離感だった。それは男装の秘密がばれてしまった以降も変わらずに続いていくだろう。
周囲の目を気にしなければならない。
メルヴィンや男装を隠す為の共犯者以外の隊員に、アデラインが男装をしていることをばれてしまえば、第二騎士団から異動させられるかもしれない。
そのような事態が起きてしまえば、上司と部下として過ごす日々は消えてなくなってしまうだろう。
……表情に気を付けなければなりませんね。
思いの通じ合った婚約者として過ごす時間は、アデラインにはすべてが甘く感じた。甘く溶かされてしまいそうになるのを堪えながら、アデラインは平常を装う。
このくらいは想定内だと必死に取り繕うとしている姿は、メルヴィンの欲を刺激するだけだということをアデラインはなにも知らなかった。
「気になっていたことは、すべて、話せたか?」
メルヴィンは問いかける。
隣に座って話をしている時間も愛おしいものではあるのだが、メルヴィンはそろそろ自制心を保つのが限界だった。
「ええ。代筆者の方のことや、この部屋の本当の持ち主がいたのではないかと、疑っていたことをお許しくださいませ」
「気にしないでくれ。疑わしいことをしてしまった俺が悪いんだ」
「ありがとうございます。メルヴィン様は心の広い方で安心いたしましたわ」
アデラインはメルヴィンに対して疑いの心を抱かない。
部屋に対する疑問はすべて解けた。
なぜ、メルヴィンがアデラインの好みと部下であるアディ・エインズワースの好みが一緒であると見抜いていたのか、わからなかったが、アデラインは気にしないことにした。
メルヴィンに他に愛する人がいたわけではなかった。
その事実がなによりも大切なことだ。
「それはよかった」
メルヴィンはゆっくりと立ち上がる。
アデラインの提案である座って話をする時間は終わりを告げた。
「では、次は寝室の――」
「そちらは正式に結婚前提の同棲を始めてからと伝えましたわよ」
「すまない」
メルヴィンは謝罪の言葉を口にしたものの、反省をしていない。
少なくとも、婚約者が愛しあう行為を行うことはなにも問題はない。多少、順序が狂ったところで何事もなかったかのように結婚させられるだけだ。
政略的な婚約を結ばされることが一般的な貴族にとって、倫理観は簡単に捨てられるようなものでしかない。
首都の屋敷に連れ込んだのは、それが目的だったのだろう。
アデラインが二度と他人の手に触れないようにしたかったようだ。
「反省をしていないでしょう?」
アデラインはメルヴィンの嘘を見抜く。
「教えてくださいませ。どうして、急にそのことばかりをおっしゃるの?」
「好きな人を前に紳士でいられないだけだ。欲に素直になってしまっただけの話だ」
「ごまかさないでくださいませ。メルヴィン様が簡単に理性を捨てるようなお方ではないことを、私は知っておりますのよ」
アデラインは引かない。
約束を違えられたことは恨めしく思うものの、恋しい人の欲望を一身に受け止めたいという気持ちもある。
アデラインは部下としてメルヴィンの姿を見てきた。
メルヴィンが理性的な男性であることは知っている。
「……アデラインを閉じ込めておきたいと思ってしまった」
メルヴィンは覚悟を決めたように打ち明ける。
それはメルヴィンにとって初めて抱く感情だった。
「君のすべてを手に入れたいと思ってしまった」
メルヴィンの言葉をアデラインは黙って聞いていた。
……変わられたわけではないのでしょうね。
婚約者に執着心を抱くようになるとはメルヴィンも思っていなかっただろう。しかし、元々、その素質はあった。名前も知らない初恋の女性に想いを寄せ続け、彼女でなければ結婚をしないと主張し続けていたのも、執着には変わりはない。
メルヴィンは自覚をしていなかった。
だからこそ、婚約を白紙に戻さないまま、初恋の女性を探し続けていた。
「だから、いっそのこと、後戻りできないようにさせてしまおうと……」
メルヴィンは申し訳なさそうにやろうとしたことを告白した。
「奪われたくなかった。その為には、手段を選んでいる余裕など、俺にはなかった。それだけだ。アデラインの気持ちを尊重しなかったのは悪かったと思っている」
メルヴィンの暴走は強い執着心によるものだ。
それを自覚していない。
……あの時も同じだったのでしょうか。
アデラインは前世の別れを思い出す。
死に際に手に入れてしまった義妹宛の手紙をメルヴィンは大事に持っていたのだろうか。
アデラインは死地に旅立った後のことを知らない。
今後も知ることはない。
だからこそ、あの時のメルヴィンの表情を忘れることができなかった。
「メルヴィン様」
アデラインはメルヴィンを拒絶しない。
酷使したことにより体が痛むことを悟らせないように、アデラインはメルヴィンに腕を伸ばした。
「私、ずっと、メルヴィン様をお慕いしておりましたのよ」
アデラインは恋心を口にする。
長い間、口にすることさえもできなかった言葉を口にするだけで胸が高鳴る。
「私の愛をメルヴィン様にさしあげますわ」
アデラインはメルヴィンを抱きしめる。
「……嫌ではないのか。俺は君の意思を尊重できないような男なのに」
メルヴィンはアデラインの抱擁を拒めない。
それを享受してしまう自分自身を簡単に許すこともできなかった。
「かまいませんわ」
アデラインは笑顔で肯定した。
「私、意外と頑固者ですのよ。メルヴィン様が困るような我儘を言って、困らせて、強引に私の意思を通すような女ですもの」
「……知っている。俺がアデラインの我儘に弱いこともな」
「それはなによりですわ。ですから、お互い様だと思いませんか?」
アデラインはメルヴィンの思い通りに生きることはできない。
男装を辞めることも、騎士を辞退することもない。
エステルの為ならば、危険だとわかっている場所でも向かわずにはいられない。
「私もメルヴィン様の意思をすべて尊重することができませんもの」
アデラインの言葉に対し、メルヴィンはなにも言わなかった。
無言で肯定をした。
それに対し、アデラインは申し訳なさそうな顔をした。
「私が子を宿せば、討伐任務を辞退すると考えたのでしょう?」
「……気づいていたのか」
「ええ。心当たりはそれくらいですもの」
アデラインはメルヴィンを抱きしめるのを止め、少しだけ距離をとる。
困惑を隠せないメルヴィンの顔をしっかりと見つめ、申し訳なさそうな顔をしてみせた。
「ごめんなさいね」
アデラインはメルヴィンから目を逸らす。
「私は義妹を見捨てることだけはいたしませんのよ」
それだけは譲れなかった。
……理解はされないでしょうね。
血の繋がりのない義妹を大切にしているのは、理解をされないことが多い。聖女とはいえ、侯爵家にふさわしくない振る舞いのエステルは社交界では嫌われている。その恩恵だけを手に入れようと企む者も少なくはない。
アデラインはそれらからエステルを守ってきた。
今後もそうしていくつもりだった。
「なぜ、それほどまでに聖女を大切にしているんだ。アデラインが危険な目に遭う必要はないだろう。彼女は護衛騎士に守られるはずなのだから」
「ええ。そのくらいのことはわかっておりますわ」
メルヴィンの言葉は間違いではない。
だからこそ、アデラインは視線を逸らしたまま、答えた。
「私の自己満足ですわ。あの子を守ると決めたのは、私ですもの」
アデラインの言葉は本音だった。しかし、すべてを打ち明けたわけではない。
その言葉が理解をされないことはわかっていた。
「それよりもエリーに会わせてくださいませ。約束を守ってくださるのでしょう?」
アデラインは強引に話題を変える。
それ以上、語るつもりもなければ、メルヴィンを責めるつもりもなかった。
「……アデラインが大切にしている人が多いのも問題だな」
メルヴィンは寂しそうに言った。
「そうでしょうか?」
「悪いことじゃない。だが、君が思っているのは俺だけでもよかったのにな」
メルヴィンは嫉妬心を隠さない。
しかし、アデラインの要望を拒否することもない。
「アデラインの部屋に来るように手配しよう。少し、待っていてくれ」
メルヴィンはアデラインの頬に軽く口付けをする。
初心なところのあるアデラインはその行為に頬を赤く染め、すぐに対応することができなかった。初心な反応に気を良くしたのか、メルヴィンはアデラインの頭を優しく撫ぜてから、ソファーから降りた。
……甘やかす癖でもあるのでしょうか。
悪い気はしない。
それが他人に向けられるものならば我慢はできなかっただろうが、自分自身に向けられた愛情ならば快く受け入れられる。
アデラインは部屋から出て行ったメルヴィンの後ろ姿に想いを馳せる。
……心臓が持ちませんわ。
鼓動が早くなる。
恋しい人の挙動に振り回されることでさえ、愛おしくてしかたがなかった。
……あれは、独り占めをしたいということでしょうか?
想定外の言葉にすぐに返事ができなかった。
悪い気はしない。独占欲は愛情表現だ。
重苦しいくらいがアデラインには心地が良かった。
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