06-6.
真実を告げても、メルヴィンならば喜んでくれるはずだと根拠のない自信と共に伝える勇気がわいてきた。
「いえ。醜いことはありませんわ」
アデラインはメルヴィンの肩に頭を寄せる。
「ごめんなさいね。私、まったく気づくことができませんでしたわ」
先に謝罪の言葉を口にした。
話の種になりやすいエステルの話をするのではなく、するべきだったのはアデラインがなにを思っていたのかだった。それに気づいてしまった。
「本音で対話をしていただけているのに、秘密を秘密のままにするのはいけないことでしょう?」
アデラインがメルヴィンに寄り添っても、メルヴィンは動じない。
あいかわらず、視線はまっすぐにアデラインに向けられていた。
……仲睦まじい婚約者のように見えるかしら。
大公邸に用意されているアデラインの自室で繰り広げられる会話を傍聴している者がいる。メルヴィンは油断をしているのか、それとも、処罰する価値のない会話だと判断しているのか、わからない。
……会話を聞くような無粋な人にはわからないでしょうけども。
傍聴をしているのならば、聞かせてやればいい。
アデラインは軍の機密情報を口にしているわけではない。アデラインの本音を口にしているだけだ。
それは大公家の人間に知られて厄介なことを引き起こすようなものではない。
……結婚後には、躾をしてさしあげなければ。
主人の会話を盗み聞きするのはあってはならない。
会話を文書として残す必要があるのならば、信頼のおける執事を同席させて会話を記録させるはずである。
それをしていないということは、外で聞き耳を立てているのはメルヴィンの指示ではなく、独断によるものと判断しても間違いではないだろう。
「メルヴィン様にお会いをしたかったのも、男装をするきっかけでしたのよ」
アデラインは語る。
二度と口にすることはないだろうと決めていた恋する乙女の本音を口にする。
「俺に?」
「ええ。女性がお嫌いだと思っておりましたもの。それならば、男性の恰好をすれば傍にいられるのではないかと思いましたの」
「それはずいぶんと思い切ったことをしたな」
メルヴィンは興味深そうに話を聞いていた。
……心臓の音が聞こえてしまいそうですわ。
メルヴィンの穏やかな顔を見ると鼓動が早くなる。恋しい気持ちがあふれ出しそうになる。それを抑え込む方法をアデラインは知らなかった。
「そうですわね。家族には正気を疑われましたもの」
「それはそうだろうな。心配にもなるだろう」
「わかっておりますわ。でも、お父様もお母様も条件を守るなら、好きにやってみていいと言ってくださったのよ」
アデラインの行動を止めようとする両親たちの姿を思い出す。
そこまでしなければならないのならば、婚約を白紙に戻せばいいと何度も言われたが、アデラインは両親の反対を押し切って、騎士となった。
だからこそ、男装がばれてしまえば、大人しく騎士であることを諦めて結婚をするという条件が課せられることになったのだ。
それが両親がアデラインを大切にしており、心から心配をしているからこその条件だったと知っている。
「お兄様なんて酷いのですよ。男装がばれて、それを理由に婚約を白紙に戻されることに20,000フォード賭けましたのよ」
「カーティスらしいな。賭け事の対象にしかならないとからかったのだろう」
「ええ。酷いお兄様でしょう? ですが、私の勝ちですわ。こうしてメルヴィン様の愛を勝ち取ることができたのも、私の奇策があってこそですもの」
アデラインの言葉を聞き、メルヴィンは笑った。
……笑っているお顔も素敵なこと。
いつまでも見ていられる。
アデラインは幸せな時間を堪能していた。
「そうか。それで、賞金でなにを買うつもりだ?」
メルヴィンの問いかけに対し、アデラインは首を傾げた。
……20,000フォードでなにが買えるのでしょう?
侯爵邸に呼び出されることが多い宝石商と会話をすることも不可能な金額だ。ドレスを一着買うこともできず、新しい剣や暗器を購入するのにもお金が足りない。
……アクセサリーは難しいかしら。
宝石箱の奥底に眠る安物のアクセサリーならば、手に入るかもしれない。
しかし、自由に使えるお金として渡されても、微妙に困る金額だった。
生まれた時から貴族であるアデラインには金銭価値がよくわからない。
身の回りにあるものは、すべて、最高品質で揃えられている日々を過ごしてきた為、平民にとっての大金である20,000フォードで購入することができるものがなにかすぐに思いつかなかった。
「そうですわね。賭け事に不慣れなお兄様の20,000フォードでは、なにが買えるのか、わかりませんわ」
アデラインは素直に口にした。
下手に気取ったことを言わないのが無難だろう。
「そうか。では、今度のデートは刺繍糸を買いに行くのはどうだ? 普段使っているものとは違うかもしれないが、20,000フォードがあれば、ある程度は買えるだろう」
メルヴィンの提案に対し、アデラインの目は輝いた。
刺繍糸は侯爵邸を出入りしている商人が持ち込んだり、エリーに買い物を頼んで購入をしたりしていた。アデラインが自分の目で刺繍糸を選んで購入したことは一度もなかった。
メルヴィンは不足するだろうお金は自分が出すつもりだった。
そうすれば、アデラインが買い物を純粋に楽しむ姿を横で見ていることができる。アデラインの些細な喜びでさえ、一緒に過ごしたかった。
「刺繍は得意なのだろう?」
メルヴィンはアデラインの返事を待たずに追い打ちをかける。
「ええ。私の自慢できる趣味の一つですのよ。メルヴィン様にも大公家の家紋を刺繍したハンカチをお送りしたことがございましたわね」
「知っている。俺の愛用品だからな」
「え! ま、まあ、そうでしたの? 好みに合ったようで、嬉しい限りですわ」
アデラインは動揺を隠せなかった。
代筆者が用意した誕生日の手紙とアクセサリーしか送らなかったメルヴィンとは異なり、アデラインは受け取り拒否をされていないことを言い訳に手紙を添えて様々な贈り物をしてきた。
その中の一つでもメルヴィンの目に触れることができればいいと細やかな期待を込めながら、送っていた日々は報われていた。
報われていたことが嬉しかった。
だからこそ、アデラインの頬は桃色に染まった。
「また、送ってもかまいませんの?」
「もちろんだ。だが、今度は手渡しでもらいたいものだな」
「メルヴィン様が望むのならば、そのようにさせていただきますわ」
アデラインは嬉しくて仕方がなかった。
「またデートをしてくださるのですね」
アデラインは恋する乙女の顔をしていた。
多忙な日々を送る二人の約束は、いつ果たされるのかわからない。しかし、なにげない会話から次の会う日を約束してもらえたのは、なによりも嬉しかった。
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