05-5.
アデラインも一度目の人生を経験していなければ、男装をしてでも婚約者のことを知ろうと思わなかっただろう。
「アデラインの愛らしい姿を見せつけることが、嫌がらせになるとでも?」
「エステルはそう考えていましたわ」
「理解ができないな」
メルヴィンは眉をひそめた。
理解ができなかったのだろう。
「すべての答えを教えていただけるとでも、お思いなのかしら」
アデラインは笑う。
……メルヴィン様とこうして会話をすることができる日がくるとは、思いもしませんでしたわ。
騎士であるアディ・エインズワースでなければ、言葉も交わしてもらえないと覚悟をしていた。
騎士としての関係性が深まっていくほどに、アデラインは心の中で泣いていた。本当の自分を隠し、偽りの仮面を被っていなければ、メルヴィンの傍にいることさえもできないのだと自分自身を責めたこともある。
それは大きな変化と共に、違う形に変わろうとしている。
「私を無下に扱ってきたことを後悔させるつもりでしたのよ」
アデラインの言葉は刃のように鋭く、メルヴィンの後悔を貫く。
婚約を結んでからというもの、メルヴィンのアデラインに対する態度は酷いものだった。それをエステルは知っていた。
「メルヴィン様の女性嫌いの噂はエステルも知っているでしょうから、わざと、女性であると意識させるようなドレスを選んできましたのよ」
アデラインはそのようなことをしても無駄だと知っていた。
それでも、義姉を心配するエステルの気持ちを無下にはできなかった。
「……君を無下に扱ったことは事実だ」
メルヴィンは言い逃れをしようとしなかった。
言い訳を口にしても、アデラインには通じない。それを知っているからなのか、メルヴィンはアデラインの胸に手を当てたまま、目を逸らす。
「酷い婚約者だったな。手紙の返事もしなかったことを、今は後悔している」
「……私、何度も送りましたのに」
「知っている。手紙はすべて読んだ。だが、どう返事をしていいのか、わからなかった。君を喜ばせる話題がなにも思い浮かばなくてな」
メルヴィンはアデラインのことを軽視していたわけではない。
女性が嫌いなのは事実である。
実母と姉の浪費癖や、将来の大公妃になろうという下心を隠しもせず、色仕掛けをしてくる貴族の子女たちに嫌気がさしていた。
メルヴィンはアデラインもその一人だろうと決めつけていた。
それが誤解だと気づいたのは、昨日である。
「申し訳なかった。アデライン。今後はそのような真似は一切しないと誓う」
メルヴィンの言葉は本音だ。
……たった一日でここまで変わってしまうのですね。
男装がばれてしまってから、アデラインの周囲には大きな影響を与えた。
メルヴィンが誠実な男性であることならば、アデラインは知っている。それは仕事をしている間に知ってしまったメルヴィンの性格だった。
……怖気づいてしまう必要はありませんわ。
自分自身を叱咤する。
変わってしまったわけではない。
互いにすれ違っていただけなのだと、自分自身に言い聞かせる。
「約束、守ってくださいませ」
アデラインは無下にされていた日々を吹っ切ることにした。
いつまでも思い煩うことはない。思い返しても苦痛な日々はなくならず、貴族の子女として扱われなかった不満は消えることはないだろう。
それらをすべて吹っ切ることにした。
そうすれば、過去に縋りつかず、前に進んでいける。
「それよりも、メルヴィン様。いい加減に手を離してくださるかしら」
「……このまま、触っていてはだめだろうか?」
「いけませんわ」
アデラインは即答する。
その言葉を聞き、メルヴィンは泣く泣く手を引っ込めた。
「どこで見られているのか、わかったものではありません。人前で肌を晒すつもりはありませんから」
アデラインは淡々と言葉を口にする。
視線はメルヴィンではなく、窓の外に向けられた。
王都は、王宮で仕事をしている貴族たちの豪邸が並んでいる。
その為、一軒一軒の差が大きい。職場と行き来するだけの邸宅という理由で比較的小さく作ってある家もあれば、家格にふさわしい豪邸でなければならないと気合の込められた邸宅もある。
貴族たちの住宅街を走るのは馬車だけである。
貴族の住宅街を馬車が走り抜けた先には、大規模な城下町が広がっている。王都に住む市民や商人たちが行き来する活気に満ちた場所だ。
「城下町ですわね」
アデラインは窓の外に視線を奪われる。
王都最大の城下町ということもあり、衛生管理が行き届いている。
それは貴族に使える使用人たちが足を運ぶということもあり、かなり気を遣われているからだろう。貴族の怒りを買いたくない商人たちの意地と自尊心で作り上げられた場所だ。
……懐かしいですわ。
アデラインは城下町を訪れる機会が少ない。
侯爵家の令嬢ということもあり、なにかと危険に晒される可能性が高かった。
「祭りではないが、たまには城下町を巡るのもいいだろう?」
「素敵ですわね。ですが、先に教えてくださってもよかったのに」
「女性はサプライズが好きなのだろう? アデラインが城下町にほとんど来たことがないのは知っていたからな。君が驚いて喜んでくれると思ったんだ」
メルヴィンはデートの計画を立ててきたのだろうか。
……そこまで気を遣う人とは思えませんが。
無計画のまま、デートに誘われたものだと思っていた。
計画をしていなくても、アデラインはメルヴィンと過ごすことができるのならば、それを純粋に楽しむことができる自信があった。
「つまらなかっただろうか?」
メルヴィンは肩を落とした。
アデラインの反応が薄かったのがいけなかったようだ。
「いいえ。ただ、このドレスだと目立ってしまうでしょう?」
アデラインはすぐに否定をする。
城下町で暮らす市民の生活を脅かしたくなかったのだ。
「あー。……それはそうだな」
メルヴィンはアデラインの肩や胸元に視線を向ける。
「俺の上着を羽織るといい。少しは隠せるだろう?」
メルヴィンはそう言いながら、上着を脱ぐ。
過剰な防寒対策ではなく、アデラインの肌が他人の目に晒されないようにする為だけに着ていたのだろう。
……メルヴィン様の服を着せるのがお好きなのかしら。
先日も冬用の上着を着せようとしていたことを思い出す。
「ありがとうございます。次回は、私も上着を持ってきますわ」
「いや。持ってこなくていい」
「ですが、毎回、メルヴィン様のものを着るわけにはいかないでしょう?」
アデラインは困ったように頬に手を当てた。
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