04-1.男装の令嬢は騎士を続けたい

* * *



 アデラインは呼吸が楽になったのを感じる。


 圧迫していたものがなくなったからだろう。


「……アデライン。呼吸が苦しくないのなら、前を隠してくれないか」


 メルヴィンに声をかけられ、アデラインは目を開く。


 それからゆっくりと上半身を起こそうとしたところ、メルヴィンに肩を掴まれて止められた。


「急に起きない方が良い。めまいを起こしかねないからな」


 メルヴィンの言葉を聞き、アデラインは頷いた。


 ……それも、そうですわね。


 まだ頭がぼんやりとしている。


 呼吸が楽になったのは確かだ。圧迫するものがないだけで、これほどに呼吸がしやすいものだということをアデラインは思い知った。


 ……前……?


 先ほどのメルヴィンの言葉を思い出す。


 前を隠してほしいと言っていた言葉を確かめるように、視線を自身の上半身に向け、大慌てで、はだけていた制服を掴み、前屈みになる。


 肩を掴まれていた手は離れていた。


 アデラインの急な動きに危険を察し、慌てて手を離したのだろう。


「急に動くなと言っているだろう」


 メルヴィンはアデラインの行動を優しく咎める。


 それはアデラインの体を気遣ってのことだろう。


 ……どうして、私、胸が……!?


 混乱していた。


 今朝、エリーが丁寧に男装の手伝いを施していたはずである。身に付けていたはずのそれらは一つもなく、丁寧にアデラインの足元に纏められていた。


「あ、あの、メルヴィン騎士団長」


 アデラインのか細い声はメルヴィンに届いたのだろう。


「み、見てしまわれましたよね?」


 言葉遣いに気を回す余裕もない。


 貴族の子息を装い、丁寧な言葉を崩さなくとも違和感を与えないように振る舞っていた姿は跡形もなかった。


 必死に胸を隠そうとするのだが、さらしで圧し潰すことを前提に作った制服では布が足りない。その為、両腕で胸を覆い隠すようにしているのだが、それはそれで露出をしているような気分に陥り、アデラインの羞恥心を煽る。


「申し訳ない。急を要したので、その、強引な真似をしてしまった」


 メルヴィンは視線をアデラインから逸らすことなく、言い切った。


「手荒な真似はしていない。ただ、解き方がわからなかったので、ナイフで切るような形にはなってしまったが」


 メルヴィンは言い訳のような言葉を口にする。


 ……せめて、どこかを見て、おっしゃってくださいませ!


 心の中で反撃の声をあげる。


 視線はアデラインに向けられたままだ。


 ……誰ですの! 女嫌いなんて不名誉な噂を立てましたのは!


 女性の体に興味がない人の視線ではない。


 婚約者が相手だったのは不幸中の幸いだろうか。しかし、もっとも知られたくない相手に正体がばれてしまったのには変わりはない。


「私の失態です。騎士団長には救っていただいたことを感謝いたします」


 できる限り、体を丸めながらお礼の言葉を口にする。

 背中は制服で隠れているものの、前は隠すことはできない。


「……一つ、お願い事を聞いてくださりませんか?」


 アデラインは覚悟を決めるしかない。


 この状況の中では選択肢などない。


 ……拒絶される覚悟ですわ。


 愛情のない結婚などアデラインはしたくはなかった。


 それは貴族にとって、よくあることだと知っている。しかし、淡い恋心を捨てる勇気はない。


「男装をしていることを黙っていていただけませんか?」


 アデラインの言葉を聞き、メルヴィンは眉をひそめた。


「男装をするのは不具合があるだろう。女性の騎士も数名だが採用されている。男装を止めても問題はないのではないか?」


「いいえ。それだけはできないのです。私が騎士である為には、男装をし続けなければならないのです」


「なぜ? そこまで男装にこだわる必要があるとは思えないが」


 メルヴィンの言葉は正しい。


 男装をしなくとも騎士になれる。


 そもそも、騎士として登録されている名簿には女性と記載されている。騎士団長なども目を通すことがない書類の為、嘘偽りなく書かれており、補足欄には父親の指示の下で行っているとしっかりと書かれている。


「結婚をしたくないのです」


 アデラインは正直に答えた。


 それはメルヴィンも同じことだろうと信じて疑わなかったからこそ、口にしてしまった本音だった。


「女だと知られてしまえば、お父様のお選びになった方と結婚をしなくてはなりません。私はまだ結婚をするわけにはいかないのです」


 アデラインは上半身を起こす。


 両腕で胸を隠しながらではあったものの、丸まった姿勢のまま、メルヴィンに本音を明かすのは失礼だと判断したのだろう。


 メルヴィンの視線はアデラインの顔と胸を行き来していた。


 なんとしても両腕で隠そうとしているものの、胸の一部は隠しきれていない。


「貴方の婚約者は俺だが……」


 メルヴィンは複雑な気持ちを抱いていた。


 結婚をしたくないとアデラインが拒む理由もわかる。


 結婚をすれば冷遇されることは間違いないとアデラインが思ってしまうような行動をしてきたのは、メルヴィンである。


「……え?」


 アデラインは首を傾げた。


「私の正体まで、お気づきになって、いらっしゃいますの……?」


 アデラインは正体が気づかれていないと思っていた。


「先ほどから名を呼んでいるだろう」


 メルヴィンが知ってしまったのは、アディが女性であったという事実だけであり、アディがアデラインの偽名であるところまで辿り着いていないと思い込んでいたのである。


「アディではなく、アデラインと。気づいていなかったのか?」


 メルヴィンに問いかけられ、アデラインは先ほどまでのやりとりを思い返す。


 ……そう言われてみれば、そのような気もしてきました。


 アデラインはゆっくりと頷いた。


 それから真っ赤になった顔を両手で覆い隠す。


 無意識に顔を隠すことを優先した為、白色の色気のない下着で固定されているだけの胸が丸見えになってしまったことに気づいてもいなかった。


「先ほどのことは忘れてくださいませ」


 アデラインは耳まで真っ赤にして言葉を口にする。


「私、メルヴィン様と結婚をしたくないわけではございませんの。ただ、結婚をすると騎士を止めなければならないでしょう?」


 アデラインは必死の言い訳をする。


「そうなると、エステルを守ってあげられなくなるのが嫌なだけでしたの」


 アデラインは羞恥心と困惑で頭がどうにかなりそうだった。

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