02-2.

「わかっているわ。エステルの気持ちも、エリーたちの気持ちもね」


 アデラインはそう言いつつも、エステルを咎めることはない。


 アデラインが八歳の時、エステルはエインズワース侯爵家の養女として迎え入れられた。悪夢と同じ光景にアデラインは、幼い頃から見続けている悪夢は前世の記憶で間違いはないと確信を抱くきっかけでもあった。


「でも、騎士として生きる道を選んだのは、私よ。ここで投げ出すわけにはいかないの」


 エステルはアデラインに懐いている。


 まるで昔からそうしたかったというかのように、なにかとアデラインの隣にいようとする姿は親鳥を追いかける雛のようであり、アデラインも素っ気なく対応することができなかった。


 エステルは他人に好かれやすいのだろう。


 その後も順調に聖女としての力を覚醒させ、エステルは王国だけではなく、世界の救世主になるだろうと噂されている。


「安心してちょうだい。お父様の意地悪にも耐えて見せるわ」


 アデラインの言葉を聞き、エリーは複雑そうな顔をした。


「旦那様はお嬢様になにを求めていらっしゃるのでしょうか」


 エリーの素朴な疑問だった。


 それを仕えている令嬢に打ち明けられるくらいには、エリーとアデラインの関係は良好だった。騎士の仕事がある日には、毎回、身支度を手伝うのはエリーだ。他のメイドたちはその役目を任されたことはない。


「王政への影響力が欲しいのよ」


 アデラインは隠すことなく答える。


 それは貴族であれば、誰もが欲するものだ。メイドに知られたところで、なにも問題のないものだった。


「私がメルヴィン様に嫁げば、お父様は第一騎士団の団長の義父になるでしょう。そうすれば、私を通して騎士団のやり方に口を出せるとお思いなのよ」


 アデラインの推測は半分以上が正解だ。


 侯爵としての権力を高める為、アデラインを政略結婚させようとしているのは事実である。


 そして、アデラインは気づいていなかったが、溺愛している愛娘の初恋を叶えてあげようという父親の行き過ぎたお節介も含まれていた。


「エリー。ご苦労様」


「いいえ。お嬢様のお手伝いをするのがエリーの仕事ですので」


 支度はすべて終わった。


 貴族の女性ならば、誰もが憧れを抱く肉体美の美女の姿はない。


 そこにいるのは第一騎士団の制服に身を包み、鍛えすぎではないかと思わせるほどの恰幅のいい中性的な美少年だ。二十一歳になると年齢を告げても、まだまだ子どもだと扱われてもおかしくはない。


 しかし、アデラインのことをよく知っている相手ならば、その正体に気づくことだろう。豊満な胸を隠す為の試行錯誤の結果、胸と鳩尾の差を埋めることになったのはしかたがないことだった。


 すべてを隠し通せるとは思っていないが、最善を尽くした男装姿だった。


「息苦しさはございませんか?」


 エリーは心配そうな声をあげる。


「問題ないわ。これなら矢を放たれても無傷でしょうね」


 アデラインは頑丈に絞められたコルセットのある位置を手で叩く。


 矢で射られるような事態が起きたとしても、コルセットのある位置に当たれば、体には到達しないだろう。


 コルセットの中には大量のタオルが隠されている。


 そこまでしなければ、アデラインが男装をすることは不可能だった。



* * *



 アデラインはエインズワース侯爵家の馬車から降りる。


 王立騎士団に所属をする者の多くは貴族である。専用の寮があるとはいえ、王都にある屋敷から出勤する者も少なくはない。アデラインもその一人だった。


 ……気づかれていないのではなく、あえて言わないだけなのでは?


 アデラインは不意に疑問を抱く。


 エインズワース侯爵家の家紋を隠すこともしない馬車から降りてくるのは、男装をしたアデラインだけだ。


 ……たしかに。私でしたら、関わりたくないですもの。


 しかし、エインズワース侯爵家の子息はアデラインの兄であるカーティス・エインズワースだけである。分家の人間を送り迎えするほどに心優しい侯爵一家ではないことも周知の事実だ。


 ……目撃者がいないのも不自然なのでは。


 一度、疑問を抱くと次から次へと湧き出てくる。


 しかし、立ち止まっているわけにはいかない。


 アデラインは王宮内にある騎士団本部に向かって足を進める。


 第一騎士団から第五騎士団にまで分けられているとはいえ、いざという時の連携がとりやすいように騎士団本部は一か所にまとめられている。


 王宮と行き来がしやすいように作りこまれた立派な上級貴族の邸宅のようなものだ。


 見た目や中に置かれている家具が質素なのは、騎士団の性質によるものだろう。


 騎士は慌ただしく動く傾向が強く、腕力も強い為、美しい装備品を与えたとしても呆気なく壊してしまう確率が高い。それならば、見た目は質素でも丈夫なものを求めた結果、騎士団本部は見掛け倒しだと笑われるようになってしまったのである。


「アディ!」


 騎士団本部の事務室に足を踏み入れた途端、アデラインは名を呼ばれた。


「メルヴィン騎士団長の補佐役に選ばれたって本当かい?」


「本当です」


「やっぱり! 手続きはしたけどさ! アディ、大丈夫なの!?」


 事務仕事を放り投げ、アデラインの元に駆け寄ってきたのは同期入隊の男性、ボブだった。


 朝早くから出勤をしていたのだろう。目の下には隈が刻まれている。


 あいかわらず、色々な机の上に山になっている書類仕事を一心不乱に片づけていく事務たちの姿は、鬼気迫るものであった。


「心配をかけたみたいですね」


 アデラインはにこやかに対応をする。


 同期入隊した人たちが騎士として活躍をする中、事務職になるという決断をしたボブにはアデラインは尊敬の意を抱いていた。


 騎士を諦めるということは簡単ではない。


 騎士になる為に努力を重ねていたこともアデラインは知っている。


「心配するさ! なんせ、アディは僕の同期であり友達でもあるからね!」


 ボブのまっすぐな言葉は、アデラインの心によく響く。


「ありがとう。でも、心配はいりませんよ」


 アデラインが事務室に足を運んだのは、退勤のままになっている木札をひっくり返し、出勤にする為だ。その為だけに騎士たちは事務室に足を運ぶ。


「メルヴィン騎士団長も人ですからね」


 アデラインの言葉に対し、ボブは安心したように笑った。


 騎士たちは暴走する魔物を退治する役目を担うことが多い。


 特に近年多発している魔物の大量発生では、多くの死者を出している。


 メルヴィンはそんな状況下でも冷静に指示を出し、自ら、率先して最前線で戦っている勇敢な騎士団長である。そんな彼の人柄を知る人は多い。


「オークの巣に踏み込んだ時よりは安全ですよ」


 アデラインのたとえ話は笑えなかった。

 全滅を覚悟した日の思い出だ。

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