02-1.騎士団長の補佐役に任命される

 アデラインは飛び起きた。


 長い長い悪夢から目が覚めるのは何度目だろうか。


 死を迎えたはずのアデラインは自分自身に転生をしていた。エインズワース侯爵家の長女であることには変わりはなかったものの、自分自身も含め、周囲の変化は凄まじいものだった。


 一度目の人生とは大きく変わっている。


 それは並行世界に生きる自分自身に転生をしたようなものかもしれない。


「……最悪ですわ」


 よりにもよって、今日、悪夢を見るとは思ってもいなかった。


 ……メルヴィン様の顔をまともに見られなかったら、どうしましょう。


 アデラインは一度目の人生を後悔していた。


 だからこそ、二度目の人生では義妹のエステルをかわいがってきた。


 エステルを大切にすることを最優先に掲げた結果、両親は第二王子との婚約話を持ってこなかった。


 そして、エステルに言い寄る相手がいれば、アデラインは迷うことなく決闘を告げ、勝ち続けた。


 そのようなことをしている間に、前世の享年である十八歳を過ぎていた。


「お嬢様。ご準備に取り掛かってもよろしいでしょうか」


 扉を叩く音がする。


 それに伴い、アデラインの様子を伺うメイドのエリーの声がした。


「あっ。……ええ、もちろんよ。そうしてちょうだい」


 アデラインは慌てて返事をする。


 今日の仕事は遅れることができなかった。遅刻をすれば、訓練場を十周させられるだけでは済まないだろう。


「お嬢様。本当によろしいのですか?」


「もちろんよ。お父様との約束通り、誰かに知られるまでは止めるつもりはないわ」


「ですが、お嬢様の発育の妨げになるのではないでしょうか」


 エリーは着替えるのに必要な一式を手にしながら、眉をひそめていた。


 第一騎士団の制服と大量のタオル、包帯のように巻かれたさらし、そして、アデラインの為に特注で用意されたコルセットだ。


 コルセットはドレスを着る為のものではなく、胸と腹の差を少しでも埋める為に身に付けなければならないタオルを押さえつける為のものだった。


 すべて貴族の女性が身に付けるものではない。


 これは男装をする為に用意されたアデラインだけの道具だ。


「いいえ。これ以上、成長されてはたまったものじゃないわ」


 アデラインは二十一歳になった。


 母親の豊満な体型が遺伝したのだろう。


 騎士として多忙な日々を送っても、過度な鍛え方をしても、なぜか胸だけは大きいままだった。両親の家系を遡っても、胸の大きさに恵まれた女性ばかりの為、こればかりはどうしようもないだろう。


 しかし、胸も鍛えることはできる。


 大きさは変わらなかったが、胸の形を整える為の下着を外しても、胸の肉が動くことはなく、そのままの状態を維持することができた。


「ご立派ですものね」


 エリーは慣れた手つきでアデラインを着替えさせながら、思わず、視線をアデラインの胸に向けてしまった。


「私としては、小柄なものでありたかったのですけどね」


 アデラインはため息を零す。


 騎士になる為の条件の一つであったとはいえ、男装をするのには胸を隠すのが大変である。男装がばれてしまえば、婚約者と結婚をすることになっていた。


「エリー、今日は念入りにしてくださる? メルヴィン様と接する時間が特に多いでしょうから」


「お嬢様。これ以上、圧迫はされない方が良いかと思いますが……」


「かまわないわ。容赦なく、してちょうだい。あの方に正体をばれるわけにはいきませんのよ」


 アデラインの覚悟は決まっていた。


 それに気づき、エリーは深呼吸をする。


「かしこまりました、お嬢様。途中で苦しくなったら、すぐに医務室に逃げ込んでください。それから、さらしを緩めてくださいね」


 エリーの提案はアデラインの望みを叶える為のものだ。


 しかし、胸を圧迫し続けるのにはリスクがでる。当然のようにコルセットもいつも以上にきつく締めることになる為、呼吸困難や体調不良になりやすい。


「ええ。そういたしますわ」


 アデラインは結婚をしたくなかった。


 女性嫌いで有名な騎士団長の嫁になっても冷遇されるとわかっていながら、嫁ぐ勇気がなかった。


 ……メルヴィン様は変わられたのかしら。


 思いを寄せる相手は変わらない。


 前世も今世も、アデラインが恋をする相手はメルヴィンだった。変わったのは二人の関係だ。


 前世では思いを告げることも叶わなかったが、今世では婚約者である。


 しかし、メルヴィンはアデラインが相手だと知っていながらも、女嫌いの態度を改めることはなかった。


 それどころか、アデラインの誕生日には義務として適当なアクセサリーを送ってくるだけであり、手紙の一つも添えられていたことはない。それもメルヴィンが選んだものではないだろう。


 ……私だけなのかしら。


 前世では思いは通じ合っていると思っていた。


 それを言葉にできなかっただけだと思っていた。


「お嬢様?」


 エリーは手慣れた支度をしながら、アデラインの様子を伺う。


「やはり、気乗りがしないのではありませんか?」


「そんなことはないわ」


「ですが、顔色があまりよろしくありません」


 エリーの指摘通り、アデラインの顔色はあまり良くない。


 第一騎士団の騎士として働く時間は男装をしていなければならない。


 その為、顔色を隠すほどに丁寧な化粧をするわけにはいかない。近くで見ても、化粧を施しているのか、わからない程度の薄い化粧でごまかされるほどに鈍い相手でもない。


「騎士団長の補佐役は名誉の仕事よ」


 アデラインが目指していた居場所ではない。それは、三年もの間、女性であることを隠し通したアデラインに対し、痺れを切らした父親の策略だった。


 エインズワース侯爵である父親はアデラインを結婚させたがっていた。


 それは、王立騎士団の騎士団長の役目を降り、公爵領の経営に徹すると決めた今でも王政に対する影響力を手放すのが惜しいという理由によるものだった。


「危険が伴うとお聞きしました」


「まあ。誰から聞いたのかしら?」


「エステル様が嘆いていらっしゃるのを耳にいたしました」


 エリーは嘘をつかない。


 アデラインを相手に嘘をついても無駄になると思っているのか。それとも、エリーの真面目な性格によるものなのか。アデラインには区別がつかなかった。


「エステルの心配症も困ったものね」


「お嬢様のことを慕っていらっしゃいますから。少しでもお嬢様には安全な場所にいてほしいと願うお気持ちは、このエリーも同じでございます」


 エリーの言葉に胸が痛む。


 安全なところにいるべきだとアデラインもわかっていた。

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