第7話 子リスの夜更かし
最近、お店によく来てくれるお客さんがいる。最初の頃はひとりでゆっくり飲むのが好きな人なのかなと思っていたけど、最近は騎士団の仲間の人といっしょに来てくれて、料理をたくさん注文してくれる。貴族らしいけど、威張ってないし、仲間の人たちもいつも楽しそうだから、きっと彼は慕われているのだろう。
足の悪いユーフォルビアお姉ちゃんは杖がないと外出できないのだけど、古くなってきて買い替えようか悩んでいたところで、新しい杖職人さんも紹介してくれた。それから、お姉ちゃんは以前よりも前向きになった。
よし、あのお客様に恩返しをするぞ!
――でも、私に出来ることなんてあるだろうか?
店内の清掃をするつもりが、いつの間にか考え事をしていたフレジア。可哀想な竹ぼうきがぎゅっと握りしめられている。
「フレーゼ。それじゃ開店時刻までに掃除が終わらないよ」
机や椅子を固く絞った布で拭いていた姉ユーフォルビアに叱られた。
「はぁい……お姉ちゃん、どう? 動きやすくなった?」
つい昨日新しい杖をしつらえたばかりの姉は、「うん、すごくいい。体をしっかり支えてくれる感じがするし、とってもキレイ」とご機嫌だ。
「ごめんね。いつもあんたばっかりに店の手伝いさせちゃって。私ももっと出来ること見つけていくよ」
「……! うん、一緒に頑張ろう、お姉ちゃん!」
姉の言葉が前向きになってきたことが、フレジアには嬉しく感じられる。
幼い頃、ユーフォルビアは暗いとか人見知りする性格ではなかった。しかし、町の塾で動かない足をからかわれたり、可愛い靴を見つけても履くことが出来なかったり――そういった小さな悪い出来事が重なって、いつしか障がいのある自分には何もできない、そんな透明の糸にからめとられているような印象があった。
そこへ、新しい杖が明るい希望を運んでくれたのだ。
「ウラヴォルペ公爵家ご紹介のお嬢様はそちらですか?」
店にやって来たのは、眼鏡をかけた人のよさそうな壮年の男性。大きな鞄を背負った中年の女性もいっしょに狭い階段に立っている。
「あ、えっと、どなたでしょうか?」
この時、応対に出たのはフレジアだった。身なりのいい二人組だったので、きっと酒場のお客さまとは違うと思い、どきどきしていた。
壮年の男性は「これはご紹介が遅れました」と帽子を脱いだ。
「私はサンアブル商会より参りましたサジアスと申します。こちらは杖職人のナーニアル。レオニアス様のお言いつけにより、杖をあつらえに参ったのです」
フレジアは何度も大きな目をぱちくりさせた。
「サンアブル商会って、首都にも進出しているあの大きな……? え、それと紹介してくださったのが…?」
「はい、レオニアス・フォン・ウラヴォルペ様です」
一瞬の数倍の沈黙の後、フレジアは家の中に駆け込んだ。
「お母さん、お母さん! すぐに来て!」
階段に立っていたサンアブル商会のふたりは、顔を見合わせてくすくす笑った。
「我が商会では、貴族用だけでなく平民用の商品も充実しているのだが、それを一番活用してくださるのがレオニアス坊ちゃまだという気がするなぁ」
「アルナール様は武器や動きやすい服ばかりご注文なさいますが、レオニアス様はご自身の持ち物にはあまりご興味がない様子ですね」
レオニアスから、酒屋の娘に杖を作ってやってほしいと頼まれたとき、サジアスは驚かなかった。これまでにも、平民向けの商品を作るよう頼まれることが何度かあったからだ。
「ふふふ、娘さんをすっかり驚かせてしまったようだ。せめて、可愛い花のデザインにするように頼まれたことは、内緒にしておこう」
「そうですね。お話する中でアイデアが生まれたということで」
やがて玄関口に背の高い女性と、その後ろから栗色の髪の少女がふたり現れた。サンアブル商会のふたりは彼らの許可をもらって家にあがり、寸法を測るなど必要な手続きを済ませ、迅速に新しい杖を作って届けた。
前腕全体を使って体を支えるゆるい角度のついた杖で、木材には水濡に強い塗料を塗布、先端とグリップ部には樹脂があり滑り止めの役目を果たす。全体的に彩度を抑えたダークチェリー色で、前腕を通す輪やグリップの一部の金属には
「わぁ、キレイ! まるで魔法のステッキみたいだわ!」
受け取ったユーフォルビアの喜びようはすごかった。
その夜は、姉妹ふたりで、首都にいる父へ近況報告の手紙を書いたが、ユーフォルビアが杖の自慢話をつづったことは言うまでもない。
ふたつある寝台のうち、入り口側に寝っ転がったユーフォルビアが満足げにため息をついた。
「すごいじゃない、フレーゼ。公爵家のお坊ちゃまなんて、そんな偉い人とどうやって知り合ったの?」
窓側の寝台に腰かけていたフレジアは「それが、うちのお客さんなんだよ」と答えた。
「すごくきれいな男の人で、いつもひとりだし、フードをかぶってるから最初は近寄りがたい人なんだと思ってた。でもね、騎士団の仲間と人たちと飲みに来るようになってから、表情がやわらかくなったわ。貴族だとは聞いてたけど、まさか公爵家の方だったなんて……」
首を傾げずにはいられない。貴族と言えば、どこへいくにも馬車に乗り、たくさんのお供がいる。そんな想像をしていたからだ。
「ひとりでいるのが好きなのかな。でも冷たい人じゃないの。注文間違えても、お酒をこぼしちゃっても怒らないし、服は濡れてないかって気にしてくれるし」
「あんた、そこは怒られなさいよ」
「ちゃんと反省してるよっ」
だんだんと姉妹ケンカになってきたところへ、エアルヴィオニーが顔を出す。
「こら、騒いでないで寝な! あと、ちゃんとイケメン坊ちゃんへの礼を考えておきな。平民にここまでしてくれるお貴族さまはそうそういないよ」
これ以上騒ぐと雷が鳴ることを知っている姉妹は、速やかに寝台へもぐむ。
(お礼かぁ。そうだよね、やっぱり普通のことじゃないんだよね)
仰向けに寝転がり両手でシーツに掴まりながら、フレジアは何をしたら喜んでくれるだろうかと考えてみる。
お料理やお酒のサービスは、母の許可をもらえば簡単だ。でも簡単すぎてお礼にはならない気がする。ではなにか形のある贈り物をしてみようか。いや、公爵家の令息ならばなんでも欲しいものは手に入るはずだ。あの美しさならば、女性にもさぞかし人気があることだろう。
(やだ、何考えてるんだろ)
もう寝ようとぎゅっと目をつむっても、他のことを考えようとしても、まぶたの裏に青年の姿が浮かび上がってくる。
すらりと高い騎士団の制服が似合う背格好、お店の暗い照明の中でもひときわ輝いて見える赤みを帯びた金色の髪、そしてなにより印象的な、夕日に照り映える薔薇のような瞳――。
(うぅ、こんな完璧な人にお礼だなんて、どうしたらいいのか分からない)
ぐるぐるといろんな思考がまとわりついて離れない。
この日フレジアが眠ったのは、空が白み始める時刻だった。
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