第四話 異世界

 

 男は、穏やかな声で挨拶をした後、恭しく頭を下げた。


(……なんだ、この男?)


 薄暗いせいで鮮明に姿は見えないが、声から判断して、年齢は五十代より上。


 男は頭を戻すと、ゆっくりとした足取りで歩み寄ってくる。一歩、また一歩と距離が縮まるにつれに、体が強張り、心臓は早鐘を打つ。


 何もない空間に、靴音が木霊する。その音はまるで、タイムリミットを刻んでいるように思えた。


 だが、カウントは止まった。


 男が、自分たちの前で立ち止まったからだ。


(ん?)


 近づいたことで、男の姿が鮮明に見え、その格好が目に付いた。


 男は、細やかな模様が施された赤いロングコートを身に纏っているのだ。それはまるで、中世の貴族のような格好だった。


(なんだ? コスプレか?)


 それだけでなく、様式も奇妙だった。言うならば、和洋折衷。黒いズボンに黒いブーツ、ロングコートと、ここまでは洋式の服装。ところが、コートの下に白い着物のような服を着ているのだ。


 ちぐはぐな服装にもかかわらず、様になっている男。


 (何なんだ……態度といい、この男は、誘拐に関係ないのか?)


 頭が混乱して正常な判断を下すことができず、動けずにいた。それは、隣にいる秋人も同様だった。


「日本の皆様。突然のことに警戒なさるのも至極当然ではございますが、どうか私の話をお聞きください。私は、エニシダ・マラーと申します。私は決して、皆様に危害を加えることはありません。どうか、ご安心なさってください」


 男性エニシダは柔和な顔でそう言うと、再び、深々と頭を下げた。


「さっきから何勝手なことばっかり言ってやがる! てめぇのこと何てどうでもいいんだよ、とっとと俺たちをここから出しやがれ!」

「そうだ! これは歴とした犯罪だぞ! 分かってるのか!」

「お願いします。家に帰してください!」


 不安や恐怖で口を閉ざしていた生徒たちが、男の態度を見て、息を吹き返したように喚き出す。 


「ちッ、クソッ……どうする?」

「土雲」


 焦りながら悩んでいると、後ろにいた成世に名前を呼ばれた。


「僕は、このまま様子を見た方が良いと思う。一応、あの男は危害を加えないって言ってる。完全に信用はできないけど、もう少し様子を見て、男の動向を探ったほうがいい。その間に、みんなも落ち着くかもしれないし……」

「でもよ、これだけの人数を一人で攫えるか? 他に仲間がいるって考えたほうが自然だろ。だったら相手が一人の内に、取り押さえた方が良くないか?」


 互いに意見を出し合っていると――、


「セツ、成世、反応せずに聞いてくれ」


 秋人も、会話に加わってきた。


「俺も成世の言う通り、相手が友好的な内は何もしない方がいいと思う。万が一、あの男の言葉が嘘で俺たちに危害を加えるつもりなら、下手に動くと男を刺激することになる。人数の有利も仲間を呼ばれたらなくなるし、そもそも武器を持っていたら敵わない」

「確かに、そう……だな」


 武器と聞き、最初に浮かんだのは銃。仮にあの男が銃を持っているのなら、一人で来たのも納得ができる。


「なら、早めにみんなを落ち着かせた方が――」


 そう言いかけた時、門の奥から金属同士がぶつかり合う音と、大勢の靴音が聞こえてきたのだ。


(クソッ! やっぱり嘘だったのか!)


 男側が動きを見せことで、思わず心の中で悪態をつく。


 冷静になるよう自分に言い聞かせながら、門を見つめる。


 秋人や成世、騒いでいた者たちも門の奥から何かが近づいてくることに気付き、固まったまま門に釘付けとなっていた。


 そして、音の正体が姿を現す。


「なっ!?」


 入って来たのは、隊列を組んで行進する兵隊だった。


 人数は三十人以上おり、全員が同じ鎧を着ている。兵隊は、エニシダの後方付近まで進んだ後、二つに分かれて停止した。


 そして、兵隊の後方には、妙齢の女性と老人が立っていた。


「朝の子であられる日本の皆様。ようこそお越しくださいました。私はサンランデッド皇国第一皇女、メレオパトリシア・メイ・サルタ・サンランデッドと申します。以後お見知りおきを」


(皇女……?)


 呆然としたまま、皇女と名乗った女性に目をやる。 


 顔立ちは、名工な彫刻家が造形したかのような端麗さ。色白い肌は、三つ編みにしている金髪を引き立てている。金糸の刺繍が施された赤色のドレスと装飾品とが相まって、気品さがあった。


「皆様が見舞われた事態を懸念にお思いになられているのは、我々も理解しています。つきましては、お知りになられたいことはすべてご説明しますので、どうか我々を信じ、話をお聞き下さるようお願いします」


 真剣な面持ちの皇女はそう言うと、頭を下げた。


「「「「なっ!?」」」」


 皇女の取った行動に、兵隊たちが驚愕の声を上げる。


 尤も、それは一瞬であり、エニシダがすぐに皇女を諫めた。


「皇太子妃殿下! 貴女様は頭を下げられてはなりません。すぐにお上げください!」


 今までの落ち着きが嘘のように、エニシダが血相を変えて声を荒らげる。


 だがそれでも、皇女は頭をげたままだった。 


「よさぬか。マラー副大臣」


 エニシダのことを、皇女の隣に立っている老人が窘めた。


「日本の皆様は、勇者様と同じ地に住まわれる方々。であれば、礼を尽くすのは当然であろう。それよりも、パトリシア様が礼を尽くしておられるにもかかわらず、臣下が直立していることこそ無礼千万。あるまじき行為よ。違うか、お前たち?」


 老人の言葉は、年齢を感じさせない力強さと、有無を言わさぬ貫禄があった。


「朝の子であられる日本の皆様。お初にお目にかかります。私は、サンランデッド皇国魔術省で大臣を務めておりますフィリーダス・ヴァーベナと申します。どうか、我々の話をお聞き下さるようお願いします」


 フィリーダスと名乗った老人も、皇女パトリシアと同じように頭を下げて嘆願てくる。


 これが、決定的だった。


 皇国の者たちが、一斉に頭を下げてきたのだ。


「ど、どうする……?」


 呆気に取られながら、秋人と成世に声をかける。 


「え、あぁ、どっちにしろ事態を把握するには話を聞くしかないだろう? なぁ?」

「そ、そうだな、それにここまでされたら無下にはできないし……」


 ここまで真摯な懇願をされた経験など、一度もない。そのため、困惑しながら顔を見合わせてしまう。


「えっと、皆さんの話は分かりました。話は聞きますので、どうか頭を上げてください。皆もそれでいいだろ?」


 生徒を代表して、成世が返答する。


 話を聞くことに他の生徒たちも反論せず、無言で頷く。


「我々の願いを聞き届けていただき、誠にありがとうございます」


 成世の言葉を聞いてようやく頭を上げた皇女パトリシアは、感謝の言葉を口にしながら花笑む。


 その笑みに男女問わず、目を奪られる。


「それでは早速ご説明を……と思いましたが、ここは居心地が悪く、朝の子の皆様に相応しい場所ではございせん。場所を移動してもよろしいでしょうか?」


 皇女パトリシアの言う通り、この場所の居心地は良くない。


 提案を受け入れ、この場を後にする。


 門の先は、薄暗い廊下が続いており、そんな中を黙々と歩く。


 やがて薄暗い廊下の先に、階段幅も、踏面も幅広い、大きな階段が現れた。


(さっきの場所は、地下だったのか……)


 階段は緩やかで、段数自体も大した数はなかった。


(……光が見える)


 見上げながら階段を上っていると、頂上に眩い光が見える。


 さらに、風の流れを感じ、見えている光が外に繋がっているということを理解した。


(ん? なんだ?)


 先に階段を上り切った者たちが、声を上げている。


 その声は、驚きに満ちた声をしていた。


「な……」


 階段を上り切って、そのわけがわかった。


 生徒たち全員が、驚愕し、固まる。


 それを見た皇女パトリシアが、風になびく長い金髪を抑えながら告げる。


「ここは地球ではございません。この地の名はレオガルド。異世界でございます」



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