第二話⑩

 ——いける!

 俺は長老の懐に飛び込もうとした。だが次の瞬間には、俺の体は洞穴の壁に向かって吹き飛んでいた。先ほどガークにしたのと同じように、今度は俺が壁に打ちつけられたのだ。

「がっはっ……」

 何が起こったのかわからなかった。次第に意識がはっきりしてきて、そのときにわかったことは、先ほどと同じような攻撃を受けたはずなのに、痛みが全然違っていたことだ。  

 吹き飛ばされた俺の体は大きく弧を描いて舞い上がり、背中から地面に落ちる。肺の中の空気が全て押し出されてしまいそうになるほどの衝撃だった。

 今度ばかりは、俺はすぐには立ち上がれなかった。痛みと息苦しさで意識が朦朧とする。

 長老がまたも翼をひと振りすると、今度は俺の体がふわりと浮き上がった。そして次の瞬間には、俺は洞穴の壁に叩きつけられていた。岩肌のザラザラとした表面に背中を強く打ちつけ、一瞬息ができなくなる。

 なんだこれ……。こんな攻撃を食らっていたら命がいくつあっても足りねえよ。

 だけどここで諦めるわけにはいかないのだ。俺が諦めたら、途端に彼らの歩もうとしている世界が閉ざされてしまう。

「コタロー! もういいっ!」

 ガークの叫び声が遠くから聞こえた。俺は声のするほうを、地面に這いつくばったまま見つめる。

「じいちゃんは本当はこんなことしたいわけじゃない!」

『ガーク! 口を挟むな!』

 アヴァリュートは激昂してまたも翼を振った。その拍子に俺の体がふわっと浮き上がると、今度は地面ではなく木の幹に背中から激突した。肺の中の空気が全て押し出され、再び呼吸が止まるほどの衝撃が走る。

「コタロー!!」

 ガークの悲痛な叫び声が洞穴に響き渡る。俺はまたしても岩肌に背中から叩きつけられた。

「ぐああっ……」

 何度も何度も繰り返されるこの攻撃に、俺の体はもう限界を迎えていた。体の骨が折れていないのが不思議なくらいだった。

「やめてくれ! じいちゃん!」

 ガークは俺のもとに駆け寄ろうとするが、長老のひと睨みによってそれは阻止された。

 俺は満身創痍だった。全身が悲鳴をあげている。ガークはピンピンしているのに、肉体の構造が根本的に違うのかもしれない。

 やっとの思いで顔をあげると、そこには、哀しげな顔をしてこちらを見つめるガークの顔があった。それは、今まで見たことがないような悲痛な表情だった。俺をここまで連れて来なければよかったとでも思っているのだろうか。俺にしてみればこれは自分の意思で来たわけだし、後悔などしていないのだが、本当は心優しいガークが責任を感じているとなると心が痛んだ。

 無理なのだろうか。俺が選んだ道は。後先考えずに、ヤケクソになって引き受けた選択肢は……。竜族の文化に人間が首を突っ込むのは、間違っていたのだろうか。

 いや、何を言っているんだ俺は。まだ何も始まっていないじゃないか。こんな初期の段階で諦めていたら、この世界で渡り合うことはできないぞ。

 元いた世界での、介護の事例に当てはめる。

 俺たち訪問介護事業所のヘルパーは、介護支援専門員、通称ケアマネジャーという専門職の依頼を受けて、利用者の介護を担うことになる。

 依頼があったときは、はじめに『アセスメント』という業務を行う。これは、要介護者である利用者のからだやこころの状態や本人の悩み、希望、それに家族の思い、家の中や、住んでいる場所の環境などについて情報を収集し、評価や分析をすることで、本人に必要なサービスは何なのかを検討することだ。そうすることによって、本人の心身の能力だけじゃなく、価値観や考え方、生活習慣、環境なんかにも着目して、本人の人間像全体を把握することが大切だといわれている。こもれびの杜では、最初のアセスメントを行うのは大体筒原さんだけど、最近では彼女の手が空いていないときは、俺に役割がまわってくることもあった。

 筒原さんは、どうやら俺を自分の後継者として育てたかったらしい。——後継者。俺もガークと同じじゃないか。

 

 俺はいま、アヴァリュートのアセスメントをするために、彼の住処に訪問している。依頼者は孫のガークだ(半ば強引に話をすすめたのは俺だけど……)。それを前提にして、俺なりに分析をしてみる。

 アヴァリュートは最近、もの忘れや見当識障害といったような、認知症の症状と思われる行動をすることがあり、元々暮らしていた竜族の集落にいたままだと、他の人たちに危険が及ぶ可能性があるため、一族で話し合った結果、本人も納得のうえで集落から徒歩十分ほどの崖っぷちにある奥まった洞穴に幽閉されて暮らしている。

 本人が納得しているとはいえ、これは身体拘束にあたる行為であり、このまま継続すれば、心身機能の著しい低下が見込まれる。また、湿度の高い薄暗い洞穴は、住環境が良好とはいえず、孫以外の他者との交流は殆どないことから閉じこもりがちになり、これも認知機能の低下を助長させる要因になり得る。

 孫のガークは、アヴァリュート本人と一緒に暮らすことを密かに望んでいたが、他者との兼ね合いなどからそれを提案することを躊躇っていた経緯がある。また、集落に暮らす他の住民たちの半数近くがこの提案には消極的であり、本人もいまの住処から出ることを望んでいない様子で、話をもちかけると不穏になり、闇雲に暴れ出してしまった。

 アヴァリュートの生活を改善するには、本人や集落の住民たちと話し合いを行い、納得してもらう必要がある。

 ——といったところだろうか。

 ここに「話し合いが頓挫した際、担当の介護福祉士が感情的になり、強引に介護サービスを提供すると主張した」なんて文言をつけ加えられたら、元いた世界では大問題になりそうだ。

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